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札幌交響楽団 東京公演 2025|齋藤俊夫

札幌交響楽団 東京公演 2025
Sapporo Symphony Orchestra in Tokyo 2025

2025年2月3日 サントリーホール
2025/2/3 Suntory Hall
Reviewed by 齋藤俊夫 (Toshio Saito)
Photos by 堀田力丸

<演奏>        →foreign language
指揮:広上淳一
ピアノ:外山啓介(*)
コンサートマスター:田島高宏

<曲目>
武満徹:『「乱」組曲』(映画音楽の演奏会用編曲版)
伊福部昭:『リトミカ・オスティナータ』ピアノとオーケストラのための(*)
(ソリスト・アンコール)チェレプニン:10のバガテルより第4曲(*)
シベリウス:交響曲第2番
(オーケストラ・アンコール)シベリウス:『悲しきワルツ』

 

作曲家が作曲家としてある限り逃れられない、彼らに内在する“ism”、「主義」を指揮者・演奏者が如何にして表現するか、聴衆(勿論我々批評家も含む)が如何にしてそれを受け止めるか、それが演奏会という場で繰り広げられる、ある種の勝負とも言うべきことだ。では、今回の武満、伊福部、シベリウスという三者三様 の「主義」を筆者はどのように受け止めたであろうか。

まず、黒澤明監督の同名の映画の劇伴音楽から編曲された武満の『「乱」組曲』。タケミツ・サウンドにティンパニーと低音楽器が付け加わった箇所と黒澤が求めたマーラーそのままの箇所が交互に現れたり 、武満のメロディメーカーとしての手腕がマーラー流の分厚いオーケストラと合体して現れたり、第4曲ではティンパニーの拍打ちが弔鐘のように続き武満らしからぬ重い音楽が続いたりと、武満の「主義」に黒澤明の「主義」がまとわりつき、はなはだ奇っ怪な音楽と聴こえた。同じ時代劇でも武満が音楽を担当したNHK大河ドラマ『源義経』のテーマ曲で彼が聴かせた、彼らしい、彼にしか書けない音楽作りとは正反対である 。だが、この武満が黒澤に従ったところに半ば以上無理矢理であるがゆえのユーモア、フモール とでも言うべきものが感じられたことは正直に述べておくべきだろう。

近年恐ろしいほどに演奏される機会の増えている*)、そしてその再現のレベルがどんどん上昇していっている伊福部昭『リトミカ・オスティナータ』だが、筆者の見るところこのレベルの上昇はCDにもなった2016年の井上道義・山田令子・東京交響楽団の、当時としては画期的かつ奇跡的なライヴを端緒とするだろう。それまでは1971年の若杉弘・小林仁・読売日本交響楽団の極めて理性的で客観的なアプローチのセッション録音、1983年の井上道義・藤井一興・東京交響楽団の蛮性が過ぎて崩壊してしまった主観性の極みとも言えるライヴ録音、2004年のドミトリ・ヤブロンスキー指揮・エカテリーナ・サランツェヴァ独奏・ロシア・フィルハーモニア管弦楽団の演奏者たちが疲れ果ててヘナヘナになって終わるセッション録音の3つの音源しかなかった。そこに現れた2016年のライヴは改めて申すが画期的であった。伊福部の理性・客観性と伊福部の蛮性・主観性がお互いに打ち消し合うものではなく、それらが一体となった所に初めて伊福部の音楽、彼の「主義」が鳴り響くということを身を以て証明したのである。
では今回の広上淳一・外山啓介・札幌交響楽団の『リトミカ・オスティナータ』はどうだったか?
まず序盤は昨年の井上道義・松田華音・神奈川フィルほどの狂気・殺気は帯びておらず、広上の采配の理知性が優れていたように感じた。全体でA(急)B(緩)C(急)D(緩)A’(急)の形式上のC部分、様々なパートで主旋律が受け渡される部分など、あわや空中分解しそうになるのを見事にまとめているあたりはさすが広上と思う。と、見るや、金管楽器のユニゾンで息の長い旋律が奏でられ、他の楽器がオスティナートを延々と繋ぐ箇所の圧倒的迫力に、伊福部と広上の「主義」が聴こえてきて「やられて」しまう。D部分で恍惚とした響きが聴こえたと思ったらA’で第1主題が帰ってきて、そこからの吶喊 は「恐るべし」と言うしかなかった。整然として、野蛮なる、猛々しい理性。ティンバレスがリムショットを連打する中、弦、木管、金管、打楽器が全て一丸となって走り抜ける! 一瞬にして永遠なる楽興の時!
存分に最良の伊福部音楽を味わわせても らった後のソリスト・アンコールでの伊福部の師・アレクサンドル・チェレプニン『10のバガテルより第4曲』の北国的哀愁がまた心に染み入る。これだから音楽はやめられない。

武満に興じ、伊福部に奮起した後のシベリウス交響曲第2番は、しかし、そこに内包された「主義」の「何か」が、そう、聴いている時も、その記憶を手繰り寄せている今も「何か」としか言いようのない「何か」の違和感が曲の進行につれて募ってくるのを抑えられなかった。
悠揚たる序奏から、北国フィンランドの自然を感じさせる楽想が連なる時点ではその響きを心から楽しめた。だが、次第にシベリウスの「愛国主義」が、「郷土愛」を押しのけて前面に押し出されてくる。木管楽器の鳥や風のような音に癒やされつつも、高らかに、誇らかに鳴らされる金管楽器や全楽器合奏の強音が会場に響き渡るとき、筆者はそれを怖く感じざるを得なかった。確かに筆者が参照する全音楽譜出版社のスコアでもfff(フォルティッティッシモ)やppp(ピアニッシッシモ)の指定はあるが、そこに禍々しい「何か」、人間のエゴが生み出す「何か」を感じてしまったのである。それは「現代」ではなく、「現在」の世界に満ちている「何か」と通じてはいまいか?
シベリウスにも、広上淳一・札響にも罪はないだろう。だが、現在の「何か」の「主義」がシベリウスを媒介として筆者の耳に届いてきてしまったのだ。
拍手もそこそこに、「何か」の「主義」から逃げるようにして会場を足早に出てしまった筆者であるが、クロークでコートを受け取った辺りで拍手が鳴り止み、「しまった!」と思った時にはアンコール『悲しきワルツ』が始まっていた。広上シェフと札響の心尽くしを最後まで味わわずに出てしまったことは痛恨であり、大変申し訳なく思っている。だが、筆者にはどうしても拍手を続けることができなかったのだ。

(2025/3/15)

*)本誌に評が掲載されたものだけでも
2024年7月20日 神奈川フィルハーモニー管弦楽団みなとみらいシリーズ定期演奏会第397回
2022年5月27日 日本フィルハーモニー交響楽団第740回東京定期演奏会
2020年12月5日 NHK交響楽団 12月公演 NHKホール
2016年7月10日 ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団 名曲全集 オール伊福部プロ
が挙げられる。
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<Players>
Conductor: Junichi HIROKAMI
Piano: Keisuke TOYAMA(*)
Concertmaster: Takahiro TAJIMA

<Pieces>
TAKEMITSU: RAN, Suite-Arrangement for Orchestra
IFUKUBE: RITMICA OSTINATA for Piano and Orchestra(*)
(Soloist encore)TCHEREPNIN: No. 4. Lento con tristeza from 10 Bagatelles
SIBELIUS: Symphony No.2 in D major, op.43
(Orchestra encore) SIBELIUS: VALSE TRISTE, op. 44, No. 1

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