プロムナード|能を観た、観た?|丘山万里子
プロムナード|能を観た、観た?|丘山万里子
Text by 丘山万里子(Mariko Okayama)
能を観に行く。
昨年5月、西村朗合唱作品『敦盛』実演に接し、その声の激烈に本誌4年西村考連載の出口(新たな入口でもある)をようやく探り当てた気がした。
今回の『生田敦盛』(国立能楽堂2月普及公演)は『敦盛』と物語は同じだが、話の筋が異なる。
亡霊であるシテ敦盛には子があり、その子(子方)と敦盛が生田の森で父子涙の対面を果たす、というのが生田版。
千駄ヶ谷の国立能楽堂は初めてだが、杖とともに先をゆく高齢世代数人の足取りにクラシックより年齢層はさらに上だな、と思いつつ我が身を振り返る。プレトーク付き土曜午後の公演でも、若者はちらほら程度。
これまで能を敬遠していたのは、日本の現代作曲家が国際的舞台で名を挙げる最大有効手段、かつ、実験工房の武満徹、湯浅譲二らに象徴される文化逆輸入時代、そこで強調される「間」だの「さび」だのを胡散臭く思っていたから。能自体も、退屈としか思えなかった。
が、西村のあれこれ、さらに執筆開始した三善晃にも能がチラ見えするにあたり、私も場数を踏むのが肝要と反省とともに関心を持ってのこと。
そこに何があるのか。
私は狂言もあまり面白いと思ったことがない(いい舞台を見なかったのか?)。
今回の『吹取(ふきとり)』にも興味はなかった。
筋はこう。妻が欲しい男が観音様に願掛け、美わしい月夜に五条大橋で横笛を吹くと授かるとのお告げ。笛の吹けない男は助っ人を頼み大橋で吹いてもらうのだが、現れた小袖を被った女、助っ人へばかり寄ってゆくので、たまらず小袖を剝ぐと、その女……あな恐ろしやブサイク太っちょ大女(差別用語ご勘弁を)。互いに押し付け、女は後追い……。
まずはこの音色良き「横笛」の調べに、このところ萩原朔太郎漬けになっている私はいたく頷く。彼は『青猫』の序で、自分の詩を「春の夜に聽く横笛の音」と言っている。明治・大正の教養人朔太郎であれば、これは実感に違いない。それにこの男、神頼みも観音様で、ちゃんと相手を選ぶ「音」繋がり。これが古典(宗教的文脈)というものなのか、と納得だ。
さらに「語り」についても考えていたので、シテ(男)、アド(何某)の言い回し、発音、発声を入念チェック。母音と子音、セリフを司る口内運動と口唇の使い方は三善の「語り」に通じるものがあるのでは。この発語、発声、台詞回しは母音のやたら多い日本語をどう扱うかの手本でもある。彼らの台詞回しは字幕(前座席の背についていて言語を選べる、便利!)を見なくともはっきり伝わる。
などなど、熱心に見聞、その掛け合いに場内それなりの笑いが起きるのを、ここが面白いのか、これって漫才、ボケとツッコミ、その呼吸(間合い)の勝負。してみると落語、講談、節談説教などなど全てが地続き、と気づくとウフフ、笑えるようにもなったのだ。地続きとは、仏教伝来以降、古代神道から仏教教化への流れの上に、様々な説話・芸能が花咲いたこと。私たちの日常の地層深くに、それが今なお潜んでいる(吉本喜劇然り)と思うと、日本て結構したたかかも、と思うのだ。
狂言、なかなか面白い。これが伝統の力というものか。
さて、肝心の『生田敦盛』。
こちらはお涙頂戴物語、特に父の亡霊と父を慕う幼子の対面どころは見逃せぬ、と私は張り切った。
『敦盛』の方は笛の巧みな美少年敦盛が(こちらも笛だ)、源平合戦波打ち際で首を取られたが、打ち取った武士はのち出家、弔いに一ノ谷に出向き、亡霊敦盛と再会、法の友となる(つまり仏教賛歌)。一方、生田はその美少年の子が法然に拾われ成長したものの自分の出自を知り、父に会いたいと生田の森を訪ねる話。父恋10歳少年の願掛けは明神さま。神さまは使い分けが必要なのだ。仏教教化話ではあっても神仏習合、日本古来の八百万神的あれこれ頼みはやはり捨てがたい。西欧圏の一神教は「我が神一人」信奉排他的、正邪で血の闘争をするが、八百万神的いい加減さを大日本帝国、天皇唯一絶対現人神としたことから昭和日本も奈落へ落ちたのである。
揚げ幕から静々と藁屋(中に人一人が入れる作り物)が運び込まれ、続いて子方(少年)、ワキが入るのだが、まあ子方の愛らしいこと。摺り足でも何やらゆらゆら重心が定まらぬところなど、つい口元が綻んでしまう。どうやら居並ぶ後見の孫らしい。昨年は市川團十郎襲名披露公演で子女子息の舞台を見たが、能もまた代々の芸、伝統とは宿命でもある……。
こちら地謡は「節」付きで高低もあり歌謡性に富む。子方の高音など凛々しいものだ。「ありがたや〜〜」「心も澄めるみたらしの〜〜」など延ばしっぷりも朗々かつ高い音程への移行もなかなか巧み。と、すっかり子方にハマった私は、厳格そうなワキの言い回しが何やら口にこもりすぎで不鮮明に思えるのであった。地謡と笛、小鼓、大鼓が舞台を盛り上げるが、なんといっても大鼓のカーンと鋭い打ち鳴らしに胸すく。ここぞの時にカーン、三善『トルスⅡ』の打の呼吸をつい思い出す。これまた、「間合い」であるのだな。
いよいよシテが藁屋から姿を現す。待ってました! 子方の「なう敦盛とはわが父かと、身にも覚えず走り寄り〜〜」と、父の袂に手を重ねる、可愛い!
せっかくシテの出現、謡と舞となるにもかかわらず、舞う父を見る子方ばかりが気になる。何せちんまり、ほぼ座っているだけの状態が続くから、だんだん上体が左に傾き、眠そうに目を瞬かせるに及び、気が気でない。いや、舞台で寝落ちはあるまいし(あったら大物)、と思ううちこちらの意識が飛びはじめ……要はシテ「無慙やな忘れ形見の撫子の、華やかなるべき身なれども、哀へ果つる墨染の、袂を見るこそ哀れなれ」などいうくだりから、あろうことか眠気を催してきてしまったのだ……。
と、隣席の若い(希少だ)学生風カップルの青年がもそっと動くのにハッとする。ん? 横目で見ると、指先で目頭を拭っているではないか! 私は焦った。実は、だ。このカップル、よくわからんが話の筋とともにか関係なくか、時折そっと手を彼の膝の上で重ねるのに私は気づいてしまっていた。まあ、能観劇でそういうシーンも珍しかろうが、おおおお、お若いの、青春真っ盛り、と私は一人盛り上がってもいたのである。
それが、だ。ここ、父子愛憐の情に涙を絞る場面でのこれ。なんてナイーブな青年よ。
ウトウトを恥じて正気に戻ったところが〈クセ〉つまり重要部分、ついで〈カケリ〉へ突入にいたりしっかと目は覚めた。閻魔大王が許した父子逢瀬の引き上げどきに遅れた罰の猛火黒雲に太刀を放つシテ狂乱の舞(こういう気狂いをカケリというとか)。私は脇正面席でなかなか面が見えなかったのだが、この時ばかりは眼前に迫るシテの凄愴な美しさに釘付け。煽るお囃子、太刀をふるっての能面の大迫力。その時、思った。勅使川原三郎のダンス公演で、海外ダンサーに感じる違いは、演劇的表情の量の差なのだと。能面が舞・音楽と共にドラマティックに変化する、それを知った目にはやはり過剰な「作り物」に見えるのだ。自分の中にそういう感性があるとは知らなかったが、能は怖い。能面とは、やはり凄まじいもので、魔界物なのだと改めて思った次第。この修羅場あって、『生田敦盛』は修羅能(修羅道に堕ちて苦しむ様を描く)と呼ばれる。日常、「修羅場よね」などと使う言葉の背後にあるもの。言葉は恐ろしい。
さて、シテが背を向け去る場面で子方が再び袖をとらえるところでまたまた、可愛い、とときめきつつ、余情を残して舞台は終了。空っぽになった能舞台に向けなんとなくパラパラ起こる拍手とパラパラ席を立つ観衆。これがクラシックだったら子役、盛大なカーテンコールでは? なんだか気抜けするのだが、「あちらとこちら」「あの世とこの世」「夢現(ゆめうつつ)」の異次元時空間に居たその残影残響をズズッと断ち切る、これも一つのしきたりなのかもしれない。
隣席カップルも立ち上がりつつ顔を見合わせ、お嬢さん大笑い、照れくさそうなこちらも笑顔の青年。爽やか。
老いも若きも、いい時間だった。
伝統は詰まるところ、細々とでもこうして続いてゆくのだと思う。
能の専門用語はわからないけれど、「ライブ」は知識だけでなく、やはり芸の「命」みたいなものをちゃんと分けてくれる。舞台ばかりでなく、器(うつわ)全体で。
帰宅して、なぜ「能」というのかふと思い、私たちが日頃使う「芸術」と「芸能」の相違を考えた。芸術の「術」は「技」(呪術・呪儀)、さらに「道」。「能」の原義は不明らしい(『字統』白川静)。ただ象形では、現実にはありえない三本足の昆虫をかたどり、そこから可能不可能(能力)といった意味が派生した。一方、獣の「熊」にも使われた。ちなみに「能」は物真似・滑稽芸とは異なる物語性を持つ芸能の呼称で、後世、個別ジャンル「能」として独立した。
実は西欧にあっても「芸術」という概念はごく近代のものなのだが、これ以上の話はここではしない。ただ、どの世界でも「術」は人為、「能」は自然へと結ばれるようだ。
とまあ、「問い」はいつまでも、どこまでも無数に続き、果てない。
知っていることと、分かったことは違う。
知っていることに命が宿って初めて「そういうことか」と腑に落ちる。まさに臓腑に落ちるので、それがなければ分かったことにはならない。
こうして気散りまくり能観劇体験をつらつら書くのも、自分の言葉で落とさねばわからない、身につかない、流れ去ってしまう、だから。
でも……いつもいつもそうやってきたつもりだけど、何か本当に身についたんだろうか。
(2025/3/15)