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パリ・東京雑感|情報革命が魔女狩りを招く 真実よりニセ情報を愛するホモ・サピエンスの宿命|松浦茂長

情報革命が魔女狩りを招く 真実よりニセ情報を愛するホモ・サピエンスの宿命

Text by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)

 

プランタン・モレトゥス印刷博物館

NHKのニュースをぼんやり眺めていたら、『サピエンス全史』のハラリ先生が登場し、聞き捨てならないことを言った。かつて、魔女狩りがあれほどはびこったのは、印刷術のせいだ、というのだ。
『フランダースの犬』で有名なルーベンスの絵を見ようかと、ベルギーのアントワープに行ったとき、友人に「絶対見逃してはならない」と厳命されたプランタン=モレトゥス印刷博物館を訪ねた。クリストフ・プランタンという男が印刷所を始めたのが1555年。世界最古の印刷機や、グーテンベルクの聖書、ルーベンスが描いた経営者の肖像画など、「なるほどユネスコの世界文化遺産に選ばれるだけのことはある」とうならせる展示だった。
感激したのは、見開き2ページを縦に分割し、ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語、アラム語、シリア語聖書のテキストを印刷した大きな本だ。修道僧が美しい字体で書き写し、ごく少数の聖職者だけが聖書に接した時代から、ヘブライ語版聖書とギリシャ語版聖書を比較して読める時代へ、批判的知性への大革命ではないか。その革命の拠点たる印刷所は、質素で厳しい。印刷術と聞くと、僕はあの修道院のような禁欲的空気を思い出し、〈 印刷術=聖書=宗教改革〉という精神世界の連鎖が頭にこびりついてしまった。だから、〈印刷術=魔女狩り〉の連鎖は、青天の霹靂だ。

ヨーロッパでは活版印刷が始まってから50年間に1200万冊の本が出版された。人類史上最大の情報革命だ。でも一番人気があったのは、聖書でも科学書でもなく、魔女狩りのマニュアルだったと、ハラリ先生は言う。たとえば、1490年ごろ印刷された『魔女への鉄槌』という本は、魔女の正体を暴いて殺すための訊問法・拷問法を指南するガイドブックで、30年間に13回版を重ねるベストセラーだった。
情報革命は、真実探求に貢献するよりも、ニセ情報を拡散し、無実の女性を焼き殺すために、はるかに効果的に貢献したのである。なぜか? ハラリ氏の答えは、「フィクション」のもつ力だ。

ユヴァル・ノア・ハラリ氏

真実はしばしば苦痛を伴います。自分自身、あるいは自国について、知りたくないこともたくさんあります。それに対してフィクションは、好きなように心地よいものに作ることができます。つまり、コストがかかり、複雑で苦痛を伴う真実と、安上がりで単純で心地よいフィクションとの競争では、フィクションが勝つ傾向にあるのです(NHK NEWS WEB 2024年12月26日)

『サピエンス全史』の冒頭で、ハラリ氏は、人類だけが「全く存在しないもの」の情報を伝達する言語をもっており、この「虚構」の力によって地球を制覇した、と説いていた。フィクション=物語=神話のおかげで、人類は「大勢で柔軟に協力するという空前の能力」を獲得したと言うのだ。ホモ・サピエンスの成功は、虚構力という危険なシロモノに由来するのであり、だとすれば、ニセ情報に飛びつくのはホモ・サピエンスの宿命でもある。

さて、今まさに印刷術発明に匹敵する情報革命の時代。誰もが情報を発信できるSNS、さらにAIが一挙に情報技術を高度化させた。では新情報革命のおかげで、政治や社会は賢くなっただろうか? どう見ても、劣化の一途をたどっているのでは? ハラリ氏は「私たちは歴史上最も高度な情報技術を手にしているにもかかわらず、理性的な会話を行なう能力を失いつつある」と手厳しい。あたかも脳が腐りつつあるかのようだ。( 〈Brain Rot〉がオックスフォード大学出版の、2024年『今年の言葉』に選ばれた。)

ニセ情報の古典、「魔女狩り」 が、なぜあれほど猛威をふるったのか、背景を振りかえってみよう。
実は、ここ数年ヨーロッパ、アメリカで魔女の羽振りが良い。

インターネット上の「魔女」を研究したレンヌ大学のソフィー・バレルさんは、若者が魔女にひきつけられるのは、「価値」が混乱し見つけにくくなったため――「意味」喪失の危機のためだとして、こう言う。「彼らは、信仰、霊的世界を通して、〈意味〉 を取り戻そうとします。それは〈自然〉に根を置いた価値であって、彼らはそこに立ち戻りたいという強い願いを持っています。」
そういえば、昔の魔女も〈自然〉に近かった。植物の知識を使って病気を治す村の治療師や産婆に、しばしば魔女の疑いがかけられ、火あぶりにされたのだから。

ネット世界の「迷える魂」――〈意味〉探求魔女と対照的に、街に出てデモする行動派魔女も少なくない。魔女はフェミニズムの大先輩、女性解放の闘いの殉教者なのだ。
パリでは2017年、労働法改正反対のデモに、とんがり帽子に黒装束の「魔女」集団が、「マクロンを大鍋に!」と書いたプラカードを掲げて登場した。
とんがり帽子に黒装束のデモの元祖は、アメリカ。ニューヨークには1968年にネオ魔女第一号が登場した。彼女らは、ウォール・ストリートに呪いをかけ、ニクソンに反対。1968年のマニフェストはこう宣言している。

魔女とは、いつの時代も、ひらめきに忠実に、勇気と知性を備え、好奇心と探究心に富み、因習にそむき、性的に解放され、独立して生きようとした女たちだった。900万人が火あぶりにされたのは、そのためなのだ。

900万人が火あぶり? 一昔前は魔女狩りの研究書などほとんど手に入らなかったから、こんな途方もない数字がまかり通ったのだが、今は4万人という数字に落ち着きつつある。かつて魔女研究を志す人は、参考文献が少ないので苦労したものだが、四半世紀前から、魔女に関する文献が爆発的に増え、いまは多すぎて苦労するとか。(杉並区の図書館サイトで「魔女」を検索したら1000以上の蔵書があるため、検索不能となった。)薄気味悪いほどの魔女ブームである。

ゴヤ『魔女集会』

魔女狩りは謎にみちている。魔女狩りと聞くとジャンヌ・ダルクが火刑に処せられた中世を連想するが、実は魔女狩りの最盛期は近代。活版印刷が盛んになるルネサンスから17世紀にかけて、ヨーロッパで数万の女たちが魔女として処刑されたのである。なぜ、人間が因習から解放された明るい時代のはずの近代に、魔女狩りの狂気が蔓延したのだろう? もしかしたら、近代というシステムには、狂気の原因になる闇が組み込まれていたのでは?

そもそも近代になって女性の地位は向上したのだろうか低下したのだろうか?
中世は聖母崇拝の熱気に包まれた時代だったし、騎士道華やかなころ、貴婦人に思いを寄せた騎士は、彼女の命ずることならどんな屈辱でも(馬上試合でわざと負ける、馬でなく荷車に乗って町を行く……)耐え忍び、忠誠の証しを立てた。中世は女性「理想化」の時代であり、レディー・ファーストの原型もこの時代に形作られた。教会には大きな本を抱えて読む聖女像があるところを見ると、学問ある女性も嫌われていなかった。
女性修道院長ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(1098–1179)は、神秘神学の偉大な著述家として、愛読者が少なくないし、彼女の作曲した宗教曲は、現代人にアピールする新鮮さがある。
ところがルネサンス時代に入り、ヨーロッパは女嫌い社会に変貌する。歴史学のロベール・ミュシャンブレ氏によると、その原因は、女性の活躍が急に目立ち始めたからだそうだ。フランソワ1世の姉マルグリット・ド・ナヴァルは文芸の保護者、作家として名声を獲得したし、カトリーヌ・ド・メディシスの時代、宮廷に数百人の女性が入り、男社会だった宮廷の伝統を打ち破った。

魔女集会と魔女の火刑

読み書きできる女性が増えるのは家父長制にとっての脅威であり、男たちの猛反撃を招いたのだろうか。女嫌いは1560年ごろ頂点に達し、その激しさは西欧の歴史に前代未聞だったと言う。
フェミニスト・イデオロギーを借りて読み解くと、近代的集権国家成立にともない、家父長制が強化され、女性は男性に服従する存在におとしめられた。そのわくからはみ出す独身女性や未亡人、とりわけ年取った女性(出産年齢を過ぎた女性)は危険視され、ついに悪魔と結ぶ魔女の嫌疑がかけられた。魔女は悪魔みたいに嫌な臭いを発し、子供を食べ、毒薬を調合する。身体に軟膏を塗り、ホウキに乗って空を飛び、悪魔の主宰する乱痴気パーティーに参加する……こんな物語が信じられるまでになったというわけだ。
彼女ら「はみ出し」女性たちは、魔女として恐れられ、拷問され、焼かれたのだが、いまフェミニストの目で振り返ると、ホウキに乗って煙突から飛び出す魔女は、家から解放された自由な女の姿を象徴するように見える。フェミニストによって名誉回復された新魔女像はこんな具合だ。

伝統的に女性のものであった癒しと「産」というわざに打ち込み、同胞の女性の相談に乗って不運から守り、ついには男の権力や影響力がこの分野に侵入することに対する抵抗運動の指導者となったのである。(ジェフリ・スカール、ジョン・カロウ『魔女狩り』)

さて西欧近代が女嫌いの高まりとともに幕を開けたことは分かったが、反フェミニズムだけで魔女狩りが起こるとは思えない。

カタリ派が立てこもったモンセギュールの城跡

魔女狩り前史として、中世の異端、カタリ派とワルド派弾圧を指摘する研究者もいる。スペインに近い南仏モンセギュールに、カタリ派が立てこもり全滅した古城の遺跡をたずねたことがある。美しい山を背景に立つ悲しい城の印象は強烈だった。禁欲、清貧を極端にまで守った宗教グループが、なぜ絶滅させられなければならなかったのか? 過激な異端狩りの歴史を魔女狩りにつなげるのは大変魅力的な考えだが、時代がやや離れすぎている。

宗教改革と宗教戦争は、どうだろう?
宗教戦争は30年戦争が終わる1648年まで。
魔女狩りが盛んだったのは1570年から1630年まで。
おおよそ重なっているように見えるが、宗教改革の初期に魔女狩りはかえって少なかったし、カトリックがプロテスタント女性を魔女裁判にかけたとか、その逆とかもなかった。同じ信仰共同体の中で魔女告発が行われたのだから、敵対宗教を迫害するために魔女狩りが利用されたとは言えない。ただ、宗教戦争の陰惨な空気が、魔女狩りの背景にあったことは確かだ。分断社会の不安である。
こうした不安な空気は陰謀理論を生みやすい。スカール氏、カロウ氏はそのからくりを解き明かしてくれる。

近世の魔女裁判には、はっきりと明示されているわけではないにしても、明らかにそれとわかる「内なる敵」という観念、すなわち国家や社会を腐敗させ、破壊する目的で広く社会に浸透した少数派や下位文化が存在するという観念が認められる。そうした観念は、ごく普通に見られる影響力の強い危惧の念で、不安定で急速な変化にさらされている時代には、多くの人がたやすくそうした念にとらわれる。身近な社会機構や文化制度がしっかりしていることで人は元気づけられるものだが、変化の時代にあっては、それが脅威にさらされているように思われるのである。(ジェフリ・スカール、ジョン・カロウ『魔女狩り』)

分断社会も〈内なる敵〉も陰謀理論も、いまの世界の病理現象とそっくりだ。ほかにも魔女狩り時代の特徴として、疫病の大流行と急激な気候変動があげられていて、どれもこれも、薄気味悪いほど、現代世界の不安と似かよっている。

中世ヨーロッパはイングランドやノルウェーでブドウが育ったほど暖かで、毎年豊かな収穫に恵まれた。森が切り開かれ新しい農地が作られ、1000年から1340年のあいだにヨーロッパの人口は倍増したと言われる。ところが1347年にペストが到来、人口の4分の1以上が失われ、もとの人口にまで回復するのに150年以上待たなければならなかった。
そのうえ気候も温暖な中世から一変して、「小氷河」時代に入り、不作、飢饉が続いた。天候を左右して作物に被害を与えるのは魔女の得意技と信じられており、ツァイル市長ヨーハン・ラングハウスは、こんな記録を残している。

1626年5月27日、全フランケン地方のブドウの木が、貴重な麦ともども霜によって被害を受けた。下層民のあいだで悲痛な嘆願と物乞いが始まった。なぜ当局は妖術師と魔女どもが穀物を損壊するがままにしているのか。殿下はこのような悪を処罰するよう注意を促され、この年魔女迫害が始まったのである。(黒川正剛『図説 魔女狩り』)

いまは逆に温暖化のため、地球のあちこちで、凄まじい雨、熱波、森林火災が年々ひどくなるし、身の回りでは、米、キャベツ、チョコレートの値上がりがひどい。敏感な人は、気候変動による破局を、肌で感じずにはいられない。
魔女狩りの背景として、スカール氏、カロウ氏が指摘した「国家や社会を腐敗させ破壊する 〈内なる敵〉の観念」は、どうだろう。
2017年10月、インターネット上の掲示板に、「目を開け。我が国(米国)政府には悪魔を拝む者が大勢いる」という書き出しのメッセージがのった。またたく間に世界中に(日本を除く)拡散し、熱狂的な信奉者を獲得したQAnonの第一声である。QAnonの教義は、「悪魔崇拝者・小児性愛者による国際的な秘密結社が存在し、彼らが世界を支配している」という古典的陰謀理論で、〈内なる敵〉を打ち倒す救世主として崇められたのがトランプだった。

大統領の椅子を取り戻したトランプは、何から何まで「虚構」で塗り固めてしまった。『ニューヨーク・タイムズ』のコラムニスト、トマス・フリードマンの表現を借りれば、「犯罪ファミリー同士がテリトリーを分けるような具合に、プーチンにむかって、『オレがグリーンランドをとる。オマエはクリミアをとれ。オレはパナマをとる。オマエは北極圏の石油をとれ。ウクライナのレアアースは山分けしよう。』と持ちかける。アメリカ合衆国はマフィアのゴッドファーザーに導かれる国になったのだろうか?」と疑いたくなるありさま。
世界はディールとやらの虚構を軸とする、奇想天外な幻想物語になってしまった。

セルゲイ・ソコロフさん

何もかもウソで蔽われ、濁りきった時代を、私たちはどう生きれば良いのだろう。
共産主義ソ連時代、モスクワ郊外の森の中の古い家で、中国文化を研究するソコロフさんに、「ウソで塗り固められた中で生きるのは、苦し過ぎないですか?」と尋ねたら、「片隅に残った真実だけを見つめて、他のものは見ないのです」と即答した。ソコロフさんを見習って、ぼくも本物を見分け、雑音から身を守るこつを身につけよう。

(2025/3/15)

 

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