大石将紀サクソフォンリサイタル「30年の時の深み」細川俊夫生誕70年記念コンサート|柿木伸之
大石将紀サクソフォンリサイタル「30年の時の深み」細川俊夫生誕70年記念コンサート
Masanori Oishi Saxophone Recital “In der Tiefe von dreißig Jahren”: A Concert for the Anniversary of Toshio Hosokawa’s 70th Birthday
2025年1月30日(木)19:00開演/ゲーテ・インスティトゥート東京ホール
January 30, 2025 / Auditorium of the Goethe-Institut Tokyo
Reviewed by 柿木伸之(Nobuyuki Kakigi)
写真提供:サクソフォン×邦楽器×現代音楽実行委員会
〈出演〉
サクソフォン:大石将紀
笙:宮田まゆみ
ハープ:吉野直子
ソプラノ:田口智子
ピアノ:大宅さおり
打楽器:葛西友子
書:白石雪妃
ダンス:小㞍健太
〈曲目〉
日本民謡より「黒田節」(2004)
独奏ソプラノサクソフォンのための《3つのエッセイ》(2016/2019)
ルチアーノ・ベリオ:セクエンツァVIIb(1995)
ソプラノ・サクソフォンとハープのための《弧のうた》(1999/2015)
笙とサクソフォン(ソプラノとテナー)のための《明暗》(2020/21)
ソプラノとアルト・サクソフォンのための《3つの愛のうた》(2006)
武満徹:《ディスタンス》(1972年)
テナー・サクソフォン、ピアノ、打楽器のための《ヴァーティカル・タイム・スタディ》II(1993/94)
2024年4月、大石将紀のサクソフォンを中心に編まれたアルバム「明暗──細川俊夫サクソフォン作品集」(Toshio Hosokawa: Light and Darkness – Works for Saxophone)がヴィーンの現代音楽のレーベルKAIROSから発売された。今回の大石のリサイタルは、この作品集の発表とともに細川俊夫の生誕70年──1955年に広島で生を享けた細川は、今年10月に70歳の誕生日を迎える──を記念するものとして開催された。そのテーマとして「30年の時の深み」という言葉が掲げられているが、その「30年」は直接には、サクソフォンを用いた最初の作品《ヴァーティカル・タイム・スタディII》(1993/94年)が書かれてからの歳月を指している。
この曲を含め、今回演奏された一連の作品を見ると、30年強のあいだに細川がいかに多くの音楽をサクソフォンのために書いているかが判る。その機縁となったのが大石将紀との出会いだった。彼の卓越した演奏技術は、サクソフォンという、管楽器の近代的発展から生まれた楽器をつうじて、細川が人の息吹から聴き出そうとした音楽を力強く鳴り響かせることを可能にした。その音楽とは例えば、後に触れる和泉式部の短歌を用いた《3つの愛のうた》が示すように、いにしえの歌に潜在するものでもある。今回のリサイタルは、細川が大石との邂逅を契機に、サクソフォンを自身の音楽の媒体として発見したことをあらためて伝えていた。
大石はパリで学んでいた頃に、テナー・サクソフォン、ピアノ、打楽器のための《ヴァーティカル・タイム・スタディII》をつうじて細川の音楽と出会ったという。リサイタルの掉尾を飾ったその演奏は、時間の流れを垂直に断ち切る打ち込みから新たな時が始まり、同時に空間が多次元的に拡がる過程を、聴く者の全身をそこへ引き込むかたちで繰り広げた。その過程を貫く響きは時に渦巻く嵐のように激しく、また時に澄み渡る水面のように静謐であるが、つねに強い求心力を感じさせた。そのことは、武生国際音楽祭などで共演を重ねてきたピアニストの大宅さおり、打楽器奏者の葛西友子と大石の息の合ったアンサンブルにもとづいている。
いや、三者は今回の演奏においてひと筋の息と化していた。それは驚くべきことと思われる。サクソフォン、ピアノ、打楽器はそれぞれ物理的な特性も演奏方法も大きく異なる。にもかかわらず、それらが一体となって緊密な時の持続を響かせえたのは、三名の奏者が細川の音楽を深く理解しているからである。三者は、細川の音楽の動きを瞠目させられるほどの振幅で体現していた。とくに大石の表現力の豊かさには、あらためて驚かされた。彼のサクソフォンの音は時に打楽器のように響き、また時にピアノの響きに溶け込んでいく。深淵を開くような咆哮を響かせることもあれば、細い糸を引くように響くこともある。
こうした大石のサクソフォンの表現の多彩さは、当初オーボエ独奏のために書かれ、後にソプラノ・サクソフォン独奏のために編曲された《三つのエッセイ》に凝縮されたかたちで表われていた。この楽器への相異なったアプローチを示す三つの小曲のそれぞれが、ひと息で歌われる歌として、またそれぞれ独特の動きを示す線として空間に浮かび上がった。その歌は細川の音楽においては、自然のなかに生きることの息遣いから此岸の生そのものに付きまとう苦悩を響かせ、魂の救済を渇望する。そのような歌を十世紀の和泉式部の三首の短歌から響かせようとするのが、ソプラノとアルト・サクソフォンのための《三つの愛のうた》である。
この曲で大石と共演した田口智子の語りかけるような歌い方は、聴く側が言葉を噛みしめられる奥行きを感じさせた。その声に呼応する大石のサクソフォンは、恋する人への止みがたい思いと、それを突き動かす煩悩からの解放への渇望を自然に託して表わそうとする情動を見事に描き出していた。「沢の蛍」に魂の化身を見る第三曲において、葛西友子の打楽器演奏が加わることによって深沈とした風景が広がったのも印象的に残る。こうしていにしえの歌とサクソフォンの音色が響き合うこともさることながら、今回のリサイタルにおいてとくに興味深く思われたのは、三千年の歴史を持つ笙とサクソフォンの緊密なアンサンブルである。
昨年出された細川のサクソフォンのための作品のアルバムの表題は、大石が細川に委嘱した笙とサクソフォンのための《明暗》に由来している。この作品においては、これも希うように立ち上る短いメロディーとその翳のような下降音型のモティーフとが呼応し合ったり、絡み合ったりしながら陰陽の対照をなし、奥深い空間を開いていく。その動きの多彩な展開に引き込まれた。渦巻くように広がることもあれば、滴り落ちることもあるその動きは、全体としては撚り合わされたひと筋の線として響きながら時の密度を高めていく。《明暗》は、今回の演奏されたなかで最も新しい作品であるが、そこに至る音楽の時の深まりも感じさせる演奏だった。
そのことに刺激を与えた作曲家の一人が武満徹であるが、今回の演奏会ではその《ディスタンス》も取り上げられた。オーボエと笙のために書かれたこの作品には、オーボエのパートがアルト・サクソフォンのために編曲された版がある。それを用いた大石と宮田まゆみの演奏では、二つの楽器のあいだの隔たり──笙は舞台の奥で、サクソフォンは舞台から下りたところで奏でられた──のなかで色合いの異なる響きが溶け合ったり、分かれたりしながら広がっていく動きが彩り豊かに聴こえた。宮田は、ベリオのセクエンツァVIIbの演奏の際にも、音楽の展開の基礎をなすロの音を持続させることで、あらゆる技法を駆使した大石の演奏を支えた。
本来ソプラノ・サクソフォンだけ──原曲はオーボエ独奏のために書かれている──のセクエンツァの演奏に宮田まゆみの笙が加わることによって、音楽がどこから繰り広げられるかだけでなく、その響きが広がる空間も暗示されていたと思われる。今回のリサイタルでは、こうした演奏上の工夫だけでなく、演出的な工夫も興味深かった。細川の《三つのエッセイ》とベリオのセクエンツァが続くあいだには、白石雪妃の書の即興が繰り広げられ、《ヴァーティカル・タイム・スタディII》の演奏には、小㞍健太のダンスが加わった。とりわけ小㞍のパフォーマンスは、音響の広がりを洗練された身体表現で象徴するものと感じられた。
このように、今回の大石のリサイタルは、それぞれの作品の潜在力をさまざまな角度から引き出そうとする試みにも満ちていた。それを間然することのない一つの流れにまとめた大石のコーディネイトの力量も特筆されるべきだろう。とはいえ最も印象的だったのは、彼をはじめ細川の音楽を知悉した演奏家のアンサンブルである。吉野直子のハープと大石のサクソフォンの共演によって奏でられた《弧のうた》では、アーチをなすように広がり、螺旋を描きながら深まっていく時の流れが細やかに繰り広げられた。時に霧が立ち上るようでもあったその響きが深みへ沈むように消え入ったのは、細川の音楽にふさわしいと思われた。
関連評:♪大石将紀サクソフォンリサイタル「30年の時の深み」細川俊夫生誕70年記念コンサート(1月の2公演短評|齋藤俊夫)
(2025/2/15)
[Performers]
Saxophone: Masanori Oishi
Sho: Mayumi Miyata
Harp: Naoko Yoshino
Soprano: Tomoko Taguchi
Piano: Saori Oya
Percussion: Tomoko Kasai
Calligraphy: Setsuhi Shiraishi
Dance: Kenta Kojiri
[Program]
Toshio Hosokawa: Kuroda-bushi (2004)
Toshio Hosokawa: Three Essays for Soprano Saxophone (2016/2019)
Luciano Berio: Sequenza VIIb (1995)
Toshio Hosokawa: Arc Song for Soprano Saxophone and Harp (1999/2015)
Toshio Hosokawa: Mei-an: Light and Darkness for Sho and Saxophone (2020/21)
Toshio Hosokawa: Three Love Songs for Soprano and Saxophone (2006)
Toru Takemitsu: Distance (1972)
Toshio Hosokawa: Vertical Time Study II for Tenor Saxophone, Piano, and Percussion (1993/1994)