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B→C バッハからコンテンポラリーへ  268 松島理紗(ソプラノ) |藤堂清

B→C バッハからコンテンポラリーへ 
268 松島理紗(ソプラノ) 
B to C: From Bach to Contemporary Music [268] 
Risa Matsushima Soprano Recital 

2025年1月21日 東京オペラシティ リサイタルホール 
2025/1/21 Tokyo Opera City Recital Hall 
Reviewed by 藤堂清 (Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 大窪道治/写真提供:東京オペラシティ文化財団

<出演>        →Foreign Languages
松島理紗(ソプラノ)
青木ゆり(ピアノ)*

<プログラム>
J.S.バッハ:カンタータ第211番《おしゃべりやめて、お静かに(コーヒーカンタータ)》BWV211から「ああ、コーヒーは何て美味しいのでしょう」*
ライマン:《オレア ─ ハイネの詩による4つの歌曲》(2006)から「賢い星々」
ピンチャー:《歌と雪の画》(2000/01)から「沈黙する貴婦人」* 「沈黙は見つめる鳥」
ムンドリー:アナグラム(2000)*
小倉美春:ソプラノとピアノのための《澹として…》(2025、松島理紗委嘱作品、世界初演)*
———————(休憩)———————
J.S.バッハ:《ヨハネ受難曲》BWV245から「わが心よ、溶けてゆけ」*
ノーノ:《生命と愛の歌 ─ 広島の橋の上で》(1962)から「ジャミラ・ブーパシャ」
B.A.ツィンマーマン:《兵士たち》(1958~60/1963~64)から「私の心はとても重く」*
ディーン:《ハムレット》(2013~16)から「しかしこのために、しかしこの喜びの希望のために」*
ヘンツェ:《若い恋人達へのエレジー》(1959~61/1987)から「幻影とビジョン」*
ノーノ:《イントレランツァ1960》(1961)から「だめだ!だめだ!だめだ!この呪われた陰謀をやめろ!」*

 

ソプラノの松島理紗は、ウィーンの大学院で学んでいた2021年に、ウィーンフィル・サマーアカデミー主催企画『ホールオペラシリーズ』のオペラ「ドン・ジョバンニ」でドンナ・アンナとして出演する機会を得た。いまは、現代音楽をレパートリーの中心として、ケルンを拠点に活動しているという。
「B→C バッハからコンテンポラリーへ」というのがこのシリーズのタイトルだが、この日のプログラムはさながら「バッハとコンテンポラリー」といったもの。バッハの2曲以外で歌われたのは、すべて20世紀後半から21世紀にかけての「コンテンポラリー」作品。松島ならではのプログラミングといえるだろう。

前半の1曲目は、J.S.バッハの世俗カンタータ第211番《コーヒーカンタータ》からソプラノのアリア「ああ、コーヒーは何て美味しいのでしょう」。松島は軽々と歌っていく。リリカルなソプラノにとっては、あまり苦労することなく歌えてしまう曲だろう。この曲を取り上げた理由についてはここでは分からない。
2曲目はライマンの《オレア ─ ハイネの詩による4つの歌曲》からの「賢い星々」。無伴奏ソプラノのための曲。高音から低音まで幅広い音域を使い、また多彩な音色の響きで会場を埋めていく。技巧的な高音での動きも印象的。松島の技術の正確さを存分に聴かせる。
次いでピンチャーの《歌と雪の画》から2曲、「沈黙する貴婦人」と「沈黙は見つめる鳥」。ともに沈黙をテーマとした作品、1曲目はピアノ伴奏付き、2曲目は無伴奏である。E.E.カミングスによる歌詞は正直なところ聴きとれない。母音を長くのばして歌う場所もあり、あるいは奇妙なところで区切られていたりもする。ピアノの技巧的な音型とその上で強く叩きつけるように歌うのは印象的。そして2曲目の後半の極端な弱声で響きだけ残るような歌い口も。
続いては、ムンドリーの《アナグラム》という曲集であるが、歌詞をどのようにアナグラムとして扱い、変更していったのか分からなかった。松島の歌唱力を楽しむという以上のことはできなかった。一部でピアノの内部奏法を使っていた。
前半の最後は、この日が世界初演となる小倉美春のソプラノとピアノのための《澹として…》。作曲者によれば「テキストは日本語と発音記号からなります。極限まで音域を拡げた声と、音域が限定されたピアノのコントラストの中で、日本語らしさとは何なのか考えさせるような作品を目指しました。」というのだが、声とピアノのコントラストという点ははっきりつかめたが、日本語らしさをという方に関しては、聴きとることは難しかった。それでも、松島の声楽技術を限界まで引き出していた曲といえるだろう。

前半は歌曲が多く、もともとピアノ伴奏の作品が中心であった。後半はオリジナルではオーケストラとともに歌われる曲が並んだ。
最初のバッハの《ヨハネ受難曲》から「わが心よ、溶けてゆけ」はイエスの死を嘆くソプラノのアリア。松島はピアノの前奏の間に舞台に入り、ピアノの後ろに立ってこの悲しみにみちたアリアを歌った。同じバッハの作品でも、最初に歌われた《コーヒーカンタータ》の明るい音調とは対照的な音楽を聴かせる。
次いでノーノのカンタータ《生命と愛の歌 ─ 広島の橋の上で》から第2曲「ジャミラ・ブーパシャ」、無伴奏ソプラノのための曲である。高音への大きな跳躍のある歌を松島は無理なく歌い上げていった。弾圧の中でも「新しい日」が来ることを信じて。
ツィンマーマンのオペラ《兵士たち》からマリーの歌「私の心はとても重く」。かなり強い声を使う場面が多く、その一方でささやくように歌うところもある。松島の声の幅がよく示される曲であり、演奏であった。
ディーンの《ハムレット》は後半の中では唯一21世紀の作品。「しかしこのために、しかしこの喜びの希望のために」はオフィーリアの狂気を強烈に表現する。松島の声楽的な技巧とここでの歌いながらの演技は、聴き手を惹きつけて行った。
ヘンツェの《若い恋人達へのエレジー》から「幻影とビジョン」、ヒルダ・マックが幻影を見て、さまざまな情景を歌う。コロラトゥーラの細かな動きがこの場面での音楽の特徴。強い声より響きの透明感が要求される。この作品のオリジナルは英語なので、ドイツ語で歌われたのには少し驚いた。
最後は、ノーノの《イントレランツァ1960》から「だめだ!だめだ!だめだ!この呪われた陰謀をやめろ!」は、強い否定から始まるが、最終場面では、希望をみるような穏やかなものとなっていく。リサイタルのエンディングに相応しい終わり方と考えられる。

高音の強声、低音から高音への跳躍、細かな音の動きなど、技術的に高度なものを惜しみなく盛り込んだプログラム。すべての曲でそれぞれの特徴を反映した演奏を、休むことなく聴かせた。最後に「アンコールは用意していません」とアナウンスしたが、それが当然と思われる充実した一夜であった。
プログラムの一文に「B→Cの舞台が子供の頃からの唯一の夢」と書かれていたが、それがかなってしまったのだから、もっと大きな夢の舞台を目指して欲しい。その力量は十分にある。
無伴奏の曲以外で、彼女の歌を前に立ち、後から支えた青木ゆりのピアノもこの日の演奏の大切な要素となっていた。

(2025/2/15)

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<Performers>
Risa Matsushima (Sop)
Yuri Aoki (Pf) *

<Program>
J.S.Bach: “Ei, wie schmeckt der Coffee süße”, from Cantata No.211, Schweigt stille, plaudert nicht (Kaffee-Kantate), BWV211 *
A.Reimann: “Kluge Sterne”, from Ollea: Vier Gedichte von Heinrich Heine (2006)
M.Pintscher: “Lady of Silence” * and “Silence is a Looking Bird”, from Lieder und Schneebilder (2000/01)
I.Mundry: Anagramm (2000) *
M.Ogura: Le silence introspectif, pour soprano et piano (2025, commissioned by R.Matsushima, world premiere) *
—————–(Intermission)—————–
J.S.Bach: “Zerfließe mein Herze”, from Johannes Passion, BWV245 *
L.Nono: “Djamila Boupachà”, from Canti di vita e d’amore – Sul ponte di Hiroshima (1962)
B.A.Zimmermann: “Das Herz ist mir so schwer”, from Die Soldaten (1958-60/1963-64) *
B.Dean: “But for This, But for The Joyful Hope of This”, from Hamlet (2013-16) *
H.W.Henze: “Erscheinungen und Visionen” from Elegy for Young Lovers (1959-61/1987) *
L.Nono: “Nie! Nie! Nie! Schluß mit den verfluchten Intrigen!”, from Intolleranza 1960 (1961) *