Back Stage|KYOTO EXPERIMENT 2024 ー えーっと、それから?|川崎陽子
KYOTO EXPERIMENT 2024 ー えーっと、それから?
Text by 川崎陽子 (Yoko Kawasaki) :Guest
2010年に始まったKYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭は、毎年秋に京都市内の劇場を中心に開催されている。このフェスティバルの企画者であり、初回から2019年までプログラムディレクターを務めた橋本裕介(現・ベルリン芸術祭チーフ・ドラマトゥルク)からディレクションを引き継ぎ、私と塚原悠也、ジュリエット・礼子・ナップによる3名の共同ディレクター体制となったのが2020年。新体制のスタートとともに新型コロナウイルス感染症が蔓延し、2020年度と2021年度は参加アーティストや関係機関の大きな協力を得ながら、なんとか国際舞台芸術祭としての開催がかなった。その後も、財政的には頭を悩ませながらであるが毎年開催を重ね、2024年には初回から数えて15回目となる節目のフェスティバルを迎えた。今回執筆の機会をいただき、この2024年の開催について振り返ってみたい。
KYOTO EXPERIMENTは、「京都の実験」という名が示すとおり、実験的な同時代の舞台芸術を紹介する国際舞台芸術祭である。表現のジャンルや形式の混ざり合いと越境、あるいは作品の主題が時代に立てる問いなどに実験性を見出して、プログラムを構成している。また、既存作品の招聘に加えて、新作の創作を積極的に行い、フェスティバルが創造のプラットフォームとしても機能することも目指している。年一回行われるフェスティバルは、参加するアーティストや観客にとって、限られた期間に始まって終わるイベントであると同時に、毎年の継続のなかでゆるやかに形づくられていく交流と対話の空間でもあるだろう。多くの観客にとって初めて作品を観るアーティストも多いなかで、それらのアーティストの表現との出会いが、その時と空間をつなぎ、さまざまな思考や視点を引き出してくれること。時にその出会いは、「感動」などという言葉では描写できないほど複雑なこともあるかもしれないし、頭を殴られたかのようにショッキングなものかもしれない。何年も経ってからようやく腑に落ちるものもあるかもしれない。そうした出会いの複雑な豊かさこそが、フェスティバルを継続していくことの重要性のひとつではないかと考えている。私自身、学生時代に出会った「あれは何だったんだろう」という表現がどこか頭の片隅に残っていて、ふと自転車を漕いでいる時に思い出したりすることがある。未知の表現やわからなさとの出会いには、短い年数では計り知れないような影響があるのかもしれない。
話が少しそれてしまったが、KYOTO EXPERIMENT 2024は「えーっと えーっと」というキーワードのもと開催した。芸術祭のキュレーションにおいては、先にテーマやコンセプトを掲げたうえで、それに沿ってプログラミングしていくという方法が多いと思うが、私たちの場合は、「いま、なぜこの舞台芸術の実験を京都で紹介すべきか」という問いへの自分たちなりの応答に沿ってプログラミングするのが先で、ラインナップが決定してからキーワードを見出していく、というやり方にしている。きっかけは、新型コロナ拡大時に刻一刻と状況が変わっていったことから、1年先のプログラムについてのコンセプトを先に立てることよりも、その時起こっていることに応答するなかで何を見出せるか考えるほうが良いのではないか、と思ったことだった。その後、世界情勢も大きく変わり、ますます変化が激しくなるなかで、このやり方はひとつの有効な選択肢なのではないかと思っている。
キーワードを検討するなかでいつも留意しているのは、それが日常的に使う言葉である、ということである。もちろん、かっこいい言葉や深遠な言葉でも良いとは思うのだが、KYOTO EXPERIMENTのプログラムはそれがどんなに日常生活とかけ離れているように見えたとしても、どうしたってやはり毎日の現実と結びついている。日々読む本や目にする映像、スーパーに行って野菜の値段に仰天したり、京都市内を自転車で移動して街の様子を観察したり、市バスの混み具合にびっくりしたりしているなかで感じていることは、作品を観劇したりアーティストと会話する際の感覚につながっているのではないだろうか。そして、それは作品を創作する側のアーティストもそうなのではないかと思う。そう考えると、普段は使わない言葉でキーワードを提唱するより、日常的な会話の中でついつい口にしてしまう言葉のほうがしっくりくる。
2024年のプログラムでは、ダンス リフレクションズ by ヴァン クリーフ&アーペルとの共同主催で実現したダンスプログラムの軸のひとつがダンスにおける「継承」を検証するものであったこと、それ以外のプログラムにおいては個人的かつ集合的な記憶をたどったり再構成するような要素を見出せたことから、何かを思案中であったり思い出そうとしたり、あるいは言葉と言葉をつなぐ時につい発してしまう「えーっと」に着目して、「えーっと えーっと」をキーワードとした。なお、ここで強調したいのが、キーワードとはテーマではなく、あくまでここを入り口にフェスティバルに入ってもらえたら、という提案だということである。個々の演目とキーワードそのものとの整合性を追求するよりは、このキーワードが設定されていることにより、ともすれば実験性、先端性を提唱することで入りにくくもなるかもしれないフェスティバル全体へのドアを観客が開けやすくなることを企図している。そして、キーワードはそのドアと各プログラムへの道をつなぐ時のとっかかりにもなるもの、と考えている。
さて、プログラミングを行っている側からすると、2024年でいうとShows(上演プログラム)14演目、Super Knowledge for the Future(略称SKF、トークやワークショップ等参加型フォーマットで構成されるエクスチェンジプログラム)10プログラム、Kansai Studies(リサーチプログラム)のひとつひとつに当たり前だが意図があり、また思い入れも非常に深く、実現に至るまでの困難や実務の膨大さも思い当たるので、すべてに触れたいところだが、そうしていると字数がいくらあっても足りないので、ここではShowsとSKFからいくつかのプログラムに触れるにとどめたい。
Showsでは、先述のとおり14演目を紹介した。うち、5組のアーティストによる6演目がダンス リフレクションズ by ヴァン クリーフ&アーペルが京都・埼玉で開催したフェスティバルとの共同主催である。KYOTO EXPERIMENTでは、2022年から継続してフランスのジュエリーメゾン「ヴァン クリーフ&アーペル」によるダンスプログラムである「ダンス リフレクションズ by ヴァン クリーフ&アーペル」とのコラボレーションを実施してきたので、今回の規模を拡大してのプログラム共催は自然な発展とも言えるし、ここまで互いの信頼関係を構築してきたなかでのひとつの到達点でもあったかと思っている。この枠組みで紹介した6演目は、先述のとおりダンスの歴史における継承に焦点をあてたラインナップとなったが、今後のダンス史に名を残すであろう振付家の作品を紹介すると同時に、いまヨーロッパで最も注目されている新世代の振付コレクティブのひとつである、(ラ)オルドの話題作も紹介することで、プログラム全体の歴史的文脈により多様性をもたせることができたかと考えている。その上演作、(ラ)オルド×ローン with マルセイユ国立バレエ団『ルーム・ウィズ・ア・ヴュー』は、(ラ)オルドとフランスの電子音楽におけるキーパーソンであるローンのコラボレーションによる作品で、2019年より(ラ)オルドが芸術監督を務めるマルセイユ国立バレエ団のダンサーが出演した。暴力的な表現と権威への抵抗が隣り合わせになりながら、次第に集団的な連帯の身振りを獲得していく作品内容には賛否両論の反応があったが、極右政党の台頭などいまの政治状況をふりかえってみると、この現実にどのように向かい合うべきか考えさせられると同時に、そのなかに少しでも希望が見出せるような気もする上演になったのではないだろうか。
『ルーム・ウィズ・ア・ヴュー』と同週末に上演したのは、ムラティ・スルヨダルモによる『スウィート・ドリームス・スウィート』である。KYOTO EXPERIMENTでは、この数年間、同時代のアジアのアーティストとの協働に取り組んできた。スルヨダルモはインドネシアを代表するアーティストで、身体およびパフォーマンスを起点に、さまざまなメディアを横断しながら自身のアイデンティティや、身体と社会の関係性などを扱う作品を発表してきた。いつか紹介したいと思っていたアーティストのひとりであるが、今回ようやくその願いがかなった。『スウィート・ドリームス・スウィート』は、上演される地域に暮らす19歳から26歳の女性パフォーマー28名が出演する作品で、今回の出演者も公募で集まった。全員が制服のような白い衣装とヴェールを身につけ、ペアになってゆっくりした動きを屋外の会場で3時間にわたり行う。その静かなパフォーマンスは観る者のさまざまな思考を引き出した。10月とは思えない厳しい日差しが照りつけるなか、素晴らしいパフォーマンスを行った出演者に改めて拍手を送りたい。リハーサル時のスルヨダルモの言葉はひとつひとつが重みのあるもので、なかでも本番前の最後のリハーサルで若い世代の出演者に語っていた、「いま、世界にはさまざまな問題があります。そのなかで、私たちはこれらの制服とヴェールを簡単に脱ぎ捨てることはできません。しかし、このヴェールの下で何をするか。考えてください」という言葉が印象に残った。
同時代のアジアのアーティストとの協働は、松本奈々子&アンチー・リン(チワス・タホス)『ねばねばの手、ぬわれた山々』においても取り組んだ。本作は、台北パフォーミングアーツ・センターとの共同製作により発表した作品で、東京を拠点とするダンスアーティスト、松本奈々子と台北・メルボルンを拠点とするビジュアルアーティスト、アンチー・リン(リンがバックグラウンドを持つ台湾の原住民族、タイヤル族の呼び名はチワス・タホス)によるコラボレーションである。松本がメンバーであるパフォーマンス・ユニット、チーム・チープロの作品は2021年、2022年に続けて紹介してきたため、京都の観客にとってはこれまで作品を通して知り得てきた松本の創作に、リンというコラボレーターを得て新たな視点が加わることになった。日本の民話における「山姥」と、タイヤル族の言い伝えに残る女性だけのコミュニティ「テマハホイ」を通してふたりが自らの物語を語りなおす本作は、2025年に台北での上演が予定されている。アーティストの創作をこのように継続した形で紹介していくことも、毎年行われるフェスティバルの役割のひとつであるかもしれない。また、かつての植民者ー被植民者という、避けては通れない関係性を踏まえながら協働を行うなかで、東アジアの歴史的・政治的文脈をふたりが自らの視点で捉えなおす試みにもなったことを記しておきたい。
2024年から新たに始動した、次代のキュレーターによるショーケース公演「Echoes Now」では、川口万喜、堤拓也、和田ながらという3名のキュレーターに、それぞれ1プログラムずつキュレーションしてもらった。私たちのディレクションも5年目を迎えるにあたり、若手のキュレーターにこのKYOTO EXPERIMENTという舞台芸術のプラットフォームで大いに実験しながら次代を担う存在に成長していっていただければと考え、始めたプログラムである。黒田大スケ、髙橋凜、福井裕孝による上演作品がプログラムされた公演は、通常「ショーケース公演」という言葉から連想される、「同じ舞台設定の中で、短めの作品が次々上演される」という予想を思いっきり逸脱し、上演の設定もそれぞれに全く異なるものになった。特にそのようなことを考えてほしいというリクエストは私たちからはしていなかったのだが、想定以上にエクスペリメンタルになったショーケース公演を目にして、今後の展開をますます楽しみに感じた。「Echoes Now」は、2025年にも続いていく企画となる予定である。
Super Knowledge for the Future[SKF]は、2020年に共同ディレクター体制となってから立ち上げたプログラムで、作品を鑑賞する体験が主となるShowsプログラムに対して、トークやワークショップなど参加型フォーマットでフェスティバルに参加する入り口を広げると共に、作品鑑賞に伴う思考をより豊かにすることを目的のひとつに実施している。また、上演作品に直接は関係がなくとも、いま取り上げるべきトピックに触れられるのもこのプログラムの魅力のひとつである。2つだけ挙げるが、2024年のプログラムでは、参加型展示「Future Dictionary」と「『ガーダ パレスチナの詩』上映会 × ガザ・パレスチナ近現代史レクチャー」が良い例ではないだろうか。「Future Dictionary」は、上海を拠点とするキュレーター、オフェリア・ジアダイ・ホァンとの協働で進めてきたプロジェクトで、アジア圏のアーティストやキュレーターが、自身の第一言語で自分にとってのアートの概念や創作における実践について捉え直す試みである。1日限りで開催した展示では、日本・中国のアーティストたちがこれまでのセッションで提示してくれた、自身の創作にとって重要な言葉やコンセプトで、かつ外国語に翻訳しにくいもの、というエントリーを展示した。また、ホァンからの言語についての質問がホワイトボードに書かれ(あなたの第一言語は何ですか?その言語で一番好きな言葉は何ですか?など)、来場者はそれに対する答えをポストイットで貼っていく仕組みになっていた。予想に反して非常に多くの方々にご来場いただき、積極的に自身の考えをポストイットに書いて貼り付けていく様子に、「言語」というテーマについての関心の高さを感じるイベントになった。「『ガーダ パレスチナの詩』上映会 × ガザ・パレスチナ近現代史レクチャー」では、ガザ・パレスチナについてのレクチャーと、2005年に製作された古居みずえ監督のドキュメンタリー映画『ガーダ パレスチナの詩』の上映を通じて、いまパレスチナで何が起こっているのかを知り、考える機会になった。国際舞台芸術祭という人々が集う場だからこそ、こうした機会をきちんと作っていくことの重要性を改めて感じる会になった。私たちに何ができるのか、今後に希望はあるのか、という観客からの問いに対して、レクチャーを担当していただいた岡真理さんが「こうして、いま集まって一緒に考えている私たちこそが希望なんだと思います」という返答をされていたことが非常に印象的であり、勇気づけられる言葉でもあった。
まだまだ、書きたいこと、振り返りたいことは尽きないが、最後に、KYOTO EXPERIMENTを構成する欠かせない要素のひとつとして、観客の貢献について触れて終わりとしたい。新型コロナウイルスの影響が色濃く残っていたこの数年は動員の点でなかなか思うように行かないことも多かったが、2024年は会期最後の演目に至るまで観客の熱気を感じる開催となった。チケットの売れ行きはその測り方として最も客観的にわかりやすいもので、ソールドアウトとなっていた演目の当日券にたくさんの方が並んでくださった光景は、それだけで胸熱だった。数字だけで測りきれないこととしては、日本初紹介のアーティストも多く、また新作が多いということはつまり、作品の内容について初演を迎えるまで誰もわからないという状況が多いなか、そうした「実験」に立ち会ってくださる観客がいることで表現が初めて成り立っている、ということがある。未知の表現に果敢に挑戦してくださる観客のみなさまに敬意を表すると共に、これからもガンガン未知の表現を紹介し、創作に取り組んでいくので、ぜひ引き続きお立ち会いいただきたい。
(2025/1/15)
KYOTO EXPERIMENT
共同ディレクター
川崎陽子