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會田瑞樹 ヴィブラフォン ソロ リサイタル 2023 闇に舞う|齋藤俊夫

會田瑞樹ヴィブラフォンソロリサイタル2023闇に舞う
Mizuki Aita Vibraphone solo recital 2023 -Dancing in the Darkness-

2023年12月11日 杉並公会堂小ホール
2023/12/11 Suginamikoukaidou small Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 佐原詩音 and HAMA

<演奏>        →foreign language
ヴィブラフォン、打楽器:會田瑞樹(全ての作品に登場)
ソプラノ:薬師寺典子(*)
打楽器:HAMA(**)

<曲目>
福丸光詩(b.1997):『メラヘフェット(Gen.1:2)』ヴィブラフォン独奏のために(2023/委嘱新作)
山内雅弘(b.1960):『I’m gonna be a Vibraphone』独奏ヴィブラフォンのために(2023/委嘱新作)
松平頼暁(1931-2023):『想像上の美術館』(2021/薬師寺典子委嘱作品)(*)
南聡(b.1955):『碑:stele』una stele in memoria di Yoriaki Matsudaira op.63-3(2023/委嘱新作)
高橋悠治(b.1938)/矢川澄子(1930-2002)詩:『だるまさん千字文』(1983)(*)(**)
一柳慧(1933-2022)/谷川俊太郎(b.1931)詩:『私のうた』(1994)(*)
細川俊夫(b.1955):『Sakura for Vibraphone』(2020)
水野修孝(b.1934):『ヴィブラフォン独奏のための三章』(2013)
松村禎三(1929-2007):『ヴィブラフォーンのために~三橋鷹女の俳句によせて~』(2002)

 

©HAMA

筆者が會田瑞樹と出会ってからもう十年以上。長い時間が経った。その間に筆者も會田も変わるべき所は変わり、変わるべくない所は変わらずにいた、はずだ。現代音楽の様式(スタイル)も随分変わったり変わらなかったりしたのではないかと思うが、変わらなかった所より、変わった所の方が筆者には大きい意味を持つ。漠とした言い方だが、スタイルへのかたくなさが丸くなり、随分と風通しが良くなった。クセナキスとペルトとライヒと伊福部昭を全て愛好しても変に見られなくなったように筆者には感じられる、というか、そういう自分でも臆せず現代音楽を語れるようになったように感じられるのだ。そんな現代音楽シーンの空気を長年に渡って醸成してきた一人が正に「初演魔」の異名を取る會田瑞樹その人であると言える。

まず福丸光詩『メラヘフェット(Gen.1:2)』、優しく耳朶を喜ばせる第1楽章、荒々しい生命の息吹を呼び起こす第2楽章、ヴィブラフォンの余韻が重々しくかさなり敬虔な感情を喚起する第3楽章、全体で謎めいた旋法を用い目まぐるしく転調を繰り広げるが、調性を捨てることはなく、いわゆる(前世紀の)「現代音楽的」表現主義や無調のスタイルとは明らかに異なる音楽が展開される。現在20歳代の作家の新しい感性を感受した。

山内雅弘『I’m gonna be a Vibraphone』、會田が「ウォーー!」「オェアオェアオェア――」等々唸り声をあげつつ、ヴィブラフォンに喰らいつかんばかりに獣のように襲いかかる。楽器を殴り、足踏み鳴らし、飛び上がり、ブツブツと早口で何語かわからない言葉をつぶやき、最後に”I’m gonna be a Vibraphone”と繰り返し唱えてヴィブラフォンを指でつついて了。會田がヴィブラフォンを奏でているのかヴィブラフォンが會田をして叩かしめているのかわからなくなるような愉快な体験であった。

松平頼暁『想像上の美術館』は〈どこか〉の言語で「想像上の美術館」の作品目録――つまり実在するかどうかわからない作品群の目録――をソプラノが歌唱している、のではないかと筆者は推測したが、これがどこまで〈正しい〉のかわからない。〈正しい聴き方〉がわからないと〈理解〉ができず、つまり〈直感〉的な享受ができない本作品、今回は――松平頼暁作品と筆者が邂逅したときにままあることであるが――良い出会いができなかった。

南聡による、2023年に逝去した松平頼暁への『碑:stele』は松平の音名象徴としてのA音を持続音とし、その周辺で音が爆ぜ、奇怪に変形し、されどその総合として静けさが空間を支配し、こちらはその静けさを謹聴せざるを得なくなる音楽。一音一音研ぎ澄まされるごとに透明になる音楽空間に悲しみが染み込んでいくのを感じ、最後に安らかな〈旋律〉が別れの言葉のように散って了。

©佐原詩音

福丸の美的に整然とした調性音楽の後に山内の猛々しい音楽が続き、その後に松平の(おそらく)システマティックな音楽、さらにその松平を悼んだ透明な南作品が続く、という前半だけで會田の音楽宇宙の広さに改めて驚嘆した。

後半第1曲、非常口から會田とHAMAが竹製の打楽器を鳴らしつつ入場して始まった高橋悠治『だるまさん千字文』は「だるまさんがころんだ だるまさんがわらった だるまさんたっちして だるまさんあんよ だるまさんのかあさん」以下延々と「だるまさん」を接頭辞としたパラノイアックな文章が紡がれ続けるのを、ソプラノがごく単純な童謡風に歌うようでいて、突然ソプラノの頓狂な声や會田のトイピアノと金属体鳴楽器、HAMAの膜鳴楽器による異物が挟まるという奇怪な作品。「だるまさんはいまこそ ゆっくりとねころんだ」で眠るように声が落下して了。ただものではない。

一柳慧『私のうた』は日本語がはっきりとわかる薬師寺の歌声を會田のマリンバのまろやかな音が包みこむ。谷川俊太郎の優しい詞と一柳の真っ直ぐな書法が見事に共鳴して心に届く。人間は一人だけど、孤独じゃない、音楽にそう言ってもらえたような気がした。

ここから3作品は全て暗譜・独奏で演奏された。

細川俊夫『Sakura』は「さくら さくら のやまも さとも」のあの歌を編曲したものであるが、一音一音の時間間隔が大きく、一音の減衰にじっと集中して聴き入らねばならない作品。かくも幽玄にして峻厳な音楽が実在するとは。あたかも水墨画を見るような心地。

細川の厳粛な水墨画から一転して水野修孝『ヴィブラフォン独奏のための三章』は色彩華やかな水彩画。第1楽章では硬いマレットで花々をまき散らしつつ疾走し、第2楽章では軟らかいマレットで甘くアダージョを歌いあげ、第3楽章のプレストで真夏の陽光の下での南洋の極彩色の世界を広げ、最後はアダージョで歓喜の「鐘」を何度も何度も打ち鳴らして終わる。こんなに純粋素朴に「楽しくて美しい」現代音楽に出会えたことが嬉しかった。

©佐原詩音

思えば2010年の「競楽IX」でのこの作品で筆者が會田に出会った松村禎三『ヴィブラフォーンのために~三橋鷹女の俳句によせて~』は怪しく蠱惑的な音響美の中に潜む狂気と恐怖に心が雁字搦めになるよう。調性がありつつも先の水野とも細川とも全く異なる色彩感覚はいっそサイケデリックアートかもしれない、ただし暗く湿った和風の。第3楽章に入って感覚が陰から陽に一転して超高速大音量で踊り狂う會田は神懸かりの巫術師のごとし。会場全体に鳴り響く余韻の最後の尾まで心から楽しんで終演した。

前半に続いて後半も奇怪、優しい、厳粛、極彩、陰陽と會田の音楽宇宙に咲く星々のきらめきにやられてしまった。まだまだこの宇宙旅行は続きそうである。

 (2024/1/15)

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<players>
Percussion solo: Mizuki Aita,Vibraphone,Marimba
Mezzo soprano: Noriko Yakushiji
Percussion: HAMA

<pieces>
Kouji Fukumaru: Merahephet (Gen. 1:2) for Vibraphone solo
Masahiro Yamauchi: I’m gonna be a Vibraphone for Vibraphone solo
Yori-aki Matsudaira: Lé Musée Imaginaire
Satoshi Minami: 《stele》una stele in memoria di Yoriaki Matsudaira op.63-3
Yuji Takahashi/Sumiko Yagawa: DARUMA-SAN SENJIMON
Toshi Ichiyanagi/Syuntarou Tanikawa: My song
Toshio Hosokawa: Sakura for Vibraphone
Syukou Mizuno: Three chapters for Vibraphone solo
Teizo Matsumura: For the Vibraphone-Hommage a Haiku by Takajo Mitsuhashi