特別寄稿|ワルシャワへの旅より|柿木伸之
ワルシャワへの旅より
From the Journey to Warsaw
Text by 柿木伸之(Nobuyuki Kakigi)
9月の末にポーランドのワルシャワを訪れた。当地のポーランド科学アカデミーとSWPS大学を会場に開催された国際ヴァルター・ベンヤミン協会の研究集会に参加するためである。ウクライナと国境を接し、その難民をすでに数多く受け入れているばかりでなく、ロシアの侵攻を受けたこの国に、武器を含め、多くの物質的な援助をも届けてきたポーランドで、戦争とファシズムの時代を生きたユダヤ人思想家の著述を読み直し、その位置と意義を問うことに特別な意味を感じないわけにはいかなかった。しかも今年は、ワルシャワのゲットーに閉じこめられていたユダヤ人が蜂起してから80年の節目にあたる。
「正義の政治──テクスト、イメージ、実践」をテーマに、9月27日から30日にかけて行なわれた研究集会のプログラムが連日非常に充実していたため、残念ながら、当地出身のフレデリック・ショパンを記念する博物館などを見て回ることはできなかった。彼がどのような背景からバラードのような詩も結びついた独特の音楽を紡いだのかという問題は、近代以降の歌の姿を考えるうえで重要と思われるが、作曲家ゆかりの場所を訪ね、それを掘り下げる素材を得るのは、次の機会にゆずりたい。とはいえ、ワルシャワを発つ前日に、ポーランド・ユダヤ人歴史博物館の常設の展示を見ることができたのは幸いだった。
ポーランド・ユダヤ人歴史博物館は、ゲットー蜂起から70年を記念して2013年に開館した。建物の設計を手がけたのは、フィンランド出身の建築家ライナー・マフラスキ。総ガラス張りの外壁がところどころで有機的なリズムを感じさせるそのデザインは、この博物館の通称POLINを意識したものだろう。POLINとは、追われてさまよっていたユダヤ人の一団が、神の導きによってたどり着いたとされるポーランドの森の名である。博物館のギャラリーでは、この頃から現代に至るユダヤ人の一千年以上にわたる歩みが、貴重な資料とその詳細な説明とともに描き出されてきた。その歩みが苦難の連続だったことは言うまでもない。
POLINを訪れたのは、80年前にゲットーでユダヤ人が武装蜂起するに至る歴史を、もう少し詳しく知っておきたいと思ったからだった。研究集会の初日の午前中に組まれていたゲットーの痕跡をめぐるフィールドワークに参加し、その思いを強くした。1940年11月に市の一角に造られた強制集住区域には、一時は44万人を超えるユダヤ人がひしめいていた。壁の内側の苛酷な環境の下、最初の一年間で人口の約一割が命を落としたとされる。飢えと、腸チフスなどの疫病の蔓延が重なったのだった。博物館のギャラリーには、窮状を訴える指導者層の肉筆の言葉や、それでもなお生き抜こうとした人々の手仕事を伝える品々が展示されていた。
1942年の半ばからゲットーは、ナチス・ドイツによる「ユダヤ人問題の最終的解決」の実行の舞台となる。8月までに人口の半分近くがトレブリンカなどの収容所へ移送され、虐殺されていった。翌年には、それに対する抵抗を武力で抑えながら、ゲットーを一掃する方向で移送作戦が本格化する。それに対する組織的な武装蜂起が、80年前の4月19日に始まったのだった。ギャラリーに浮かび上がっていた、一か月近くに及んだ抵抗が虐殺によって鎮圧され、ゲットーのなかで続いていた生活が根こそぎにされる過程を思い返すと、それは今やイスラエル軍によって包囲されたガザ地区でパレスティナ人の身に起きていることと、驚くほど重なる。
人々が狭い区域に閉じこめられ、飢えと渇きに苦しめられ、ついには「テロリストの掃討」の名の下、無差別に殺されていく。このような虐殺が80年後に繰り返されていることを前に、暗然とせざるをえない。この出来事について、その報じられ方について容認しがたいと思うことはある。だが、ここでは暴力にさらされ、心身に深い傷を負った一人ひとりの悲しみに思いを馳せたい。時に激しい憎しみに転じうるこの悲しみに、どのようにして近づくことができるのか。悲しみに震える魂の実在を人々と分かち合う道は、どこにあるのだろうか。このように問うとは、ショパンも追究していたうたの可能性を突き詰めることでもあるはずだ。
ワルシャワでは、今年の武生国際音楽祭で出会ったアンジェイ・カラウォフ(Andrzej Karałow)さんと交流を深められたのも幸いだった。カラウォフさんは現在、フレデリック・ショパン音楽大学の助教授を務めながら、傑出した作曲家として、また優れたピアニストとして活発な音楽活動を繰り広げている。武生で聴いた彼のピアノ三重奏のための《開花 Florescene》(2018年)は感銘深い作品だった。微かに波立つような最初の音の動きから絶えず湧き出るように音楽が発展していくが、その過程に繊細な歌が感じられる。螺旋を描くように高まった音響が頂点で翻り、はかなく散っていくように消え入ったのも忘れがたい。
カラウォフさんは、この他にも電子音響を交えた室内オペラ《死の誘いについて De Invitatione Mortis》(2020年)をはじめ、数多くの作品を書いて発表している。ショパン音楽大学出版からの音源を聴いたなかでは、六重唱と電子音響のための《二つの太陽の光の外で──幻像の都市が出現する Out of the Light of the Two Suns: a Phantasmagorical City Appears》(2021年)とチューニングを変えたヴィオラ独奏のための《白の圏域、紺青の地に White Sphere, Navy-blue Background》(2019年)に、彼の響きに対する非常に繊細な感覚と音楽の独特の抒情性がよく表われている印象を受けた。カラウォフさんとは、音楽とその領域横断的な協働などについて考えを交わすことができた。
カラウォフさんの導きにより、ワルシャワ国立歌劇場の2023/24年のシーズンの幕開けを告げる公演「コーラス・オペラ Chorus Opera」を観ることができた。これはオペラの合唱が活躍するシーンを中心としたガラ・パフォーマンスとでも言うべきもので、現在の劇場の落成55年を記念して2020年に制作されたという。ジェレ・エルッキレの演出によるその舞台では、劇場の合唱団が力のこもった演技を繰り広げながら、説得的な歌唱を聴かせていた。カール・オルフの《カルミナ・ブラーナ》の「おお運命の女神よ」に始まり、スタニスワフ・モニューシュコの《幽霊屋敷》のマズルカで締めくくられる構成も喝采を呼んでいた。
舞台の奥には時折、演奏されている作品──例えばヴァーグナーの《さまよえるオランダ人》──のワルシャワ国立歌劇場における過去の上演の舞台写真が映し出される。これは、ガラ・パフォーマンスをつうじて劇場への興味を喚起するうえで効果的な手法かもしれない。後半ではモニューシュコの一曲に先立ち、いずれもポーランドの作曲家であるクシシュトフ・ペンデレツキの交響曲第7番「イェルサレムの七つの門」の第1楽章と、カロル・シマノフスキのオペラ《ロゲル王》からロクサーナの歌が演奏された。前者における熱い祈りの歌もさることながら、後者において深沈とした響きのなかに切々とした歌が浮かび上がったのは忘れがたい。
シマノフスキの《ロゲル王》からの一曲は、ソプラノのアンナ・テルレツカをはじめ、この劇場の舞台に立つ歌手たちの歌唱力も伝えていた。ロクサーナのアリアは、王の荒れた魂を鎮め、祈りの旅へ誘おうとする愛の歌である。今ふり返ると、それが取り上げられたことにどこか寓意的なものも感じる。言うまでもなく、このような歌だけで、すべてを奪われた、またその果てしない繰り返しに絶望した魂を思うことはけっしてできない。それでもなお、聞こえてくる歌に、心の底から湧き上がってくる歌に耳を澄ますことをやめるわけにはいかない。それをつうじてこそ、死者を含む他者一人ひとりの魂の実在に、地を這う生のなかで心が開かれる。
総選挙が行なわれる二週間前に開催された国際ベンヤミン協会の集会におけるディスカッションの場で、アーティストたちはみずからの活動を、多様な生き方を抑圧する権力に対する抵抗と特徴づけていた。民主的な方向への政治的な転換を前に、社会の溝もわだかまっているポーランドにおいて芸術は、真に抗うべきものを指し示しながら、ともにより深く生きることへ人を誘う役割を果たすことを、以前にも増して求められるだろう。このことを顧みるとき、ジェノサイドの歴史が続く現在において芸術がどのような意味を持ちうるのかを自問せざるをえない。9月末のワルシャワへの旅の記憶は、今もうたへの問いを喚起し続けている。
(2023/11/15)