Hakuju Hall 20周年記念 カウンターテナーの饗宴|大河内文恵
Hakuju Hall 20周年記念 カウンターテナーの饗宴
Banquet by Countertenors
2023年10月19日 Hakuju Hall
2023/10/19 Hakuju Hall
Reviewed by 大河内文恵 (Fumie Okouchi)
Photos by Hakuju Hall
<出演> →foreign language
米良美一(カウンターテナー)
藤木大地(カウンターテナー)
村松稔之(カウンターテナー)
加藤昌則(作曲/ピアノ)
<曲目>
〈村松稔之ソロ〉
J.A.ハッセ:オラトリオ「聖ペテロとマグダラのマリア」より“我が苦しみよ、急げ”
G.F.ヘンデル:歌劇「リナルド」より“私を泣かせてください”
G. ロッシーニ:歌劇「タンクレーディ」より“この胸の高鳴りに”
〈藤木大地ソロ〉
寺島尚彦(詞:寺島尚彦):さとうきび畑
武満徹(詞:谷川俊太郎):死んだ男の残したものは
村松崇嗣(詞:Miyabi):いのちの歌
〈米良美一ソロ〉
久石譲(詞:宮崎駿):もののけ姫
美輪明宏(詞:美輪明宏):ヨイトマケの唄
~~休憩~~
〈加藤昌則作品〉
加藤昌則(詞:千家元麿):落葉 [村松]
加藤昌則(詞:高村光太郎):レモン哀歌 [藤木]
加藤昌則(詞:山之口貘):ミミコ三部作 [米良]
〈三重唱〉
加藤昌則編:日本の歌メドレー
~~アンコール~~
宮本益光作詞、加藤昌則作曲:もしも歌がなかったら
豪華な饗宴というのは始まる前からわかっていた。日本のカウンターテナーの草分け的存在である米良と、中堅の藤木、若手の村松がそれぞれの持ち味を存分に発揮したら、当然である。今宵繰り広げられたのは、そんな予想を遥かに超えたものだった。
冒頭は村松によるハッセのアリア。昨年フィギュアスケートの宇野選手がフリープログラムに使用したことで世界的に有名になった曲であるが、元々ヴェネツィアの養育院の少女たちのために書かれたオラトリオのため、通常のカウンターテナーのレパートリーよりも高い音域を使っており、おいそれとは手の出せない代物。細かいアジリタ(装飾)を含め、村松のポテンシャルの高さを存分に活かした演奏だった。ピアノでの伴奏だったため、器楽部分の疾走感がもう少し欲しかったとは思う。古楽アンサンブルでの演奏もいつか聞いてみたい。
ヘンデルの“私を泣かせてください”は、このアリアだけで歌われることも多い。この曲では村松の中音域の声質の良さが際立った。カウンターテナーの中でも高い音域を得意とする村松に、こんな一面があったとは意外だった。ロッシーニは時代としてはロマン派に区分されるもののバロック・オペラの伝統を色濃く残している。“この胸の高鳴りに”はベルカントの豊かな声量と細かく声を転がす超絶技巧の両方が要求される声楽家泣かせの曲だが、村松は堂々と歌いきった。ここまでやってしまったら、後の2人が霞むのでは?と心配したくらいに。
続く藤木は、日本の歌を並べた。チラシでは武満・寺島・村松の順だったが、1曲目と2曲目が入れ替えられていた。《さとうきび》が始まって、「これ森山良子の歌だ」と気づいた。たしか沖縄の戦争がテーマだったはず。この選曲はそういうことだったのかとここで気づいた。「おとうさんて呼んでみたい」という歌詞のところでぐっと来た。戦争は人を殺すだけではない、誰かの大切な人を奪うのだと。
《死んだ男の》は藤木の十八番だが、今まで聞いたどの演奏よりもたっぷりと間を取り、ところどころをアカペラにして歌われ、歌を聞いているというより、演劇を見ているかのようだった。この間合いに過不足なくピアノを合わせた加藤もまた役者だったと思う。最後の《いのちの歌》は竹内まりやの名曲(作詞者は竹内まりやの別名)。命のかけがえのなさを明るい曲調で歌うこの曲で、救われた気持ちになった。
前半のトリは米良。まずは彼の代表作《もののけ姫》。この曲が世に出た時には、カウンターテナーという概念がまだ日本では珍しく、これを歌っているのは誰なのか?と話題になったものだが、今やすっかりカウンターテナーは日本にも根付いている。そんな来し方を思い起こさせた。米良の《ヨイトマケ》は美輪明宏に比べて泥臭さが少し抜けている分、親子の情愛が胸に迫る。これは藤木の《さとうきび》《死んだ男の》へのアンサーソングなのだなと思った。
後半は作曲家でもある加藤の作品を1人1曲ずつ。どれもいい曲だったが、なかでも米良の《ミミコ三部作》が抜群。加藤の説明によると、詩人の山之口が溺愛する娘、泉(=ミミコ)を描いた詩を歌詞にしている。ミミコの部分を歌っている米良が本当に4歳の女の子に見えてしまう不思議。この芸当は他の誰にもできないだろう。
最後は加藤編曲による日本の懐かしい童謡をメドレー式にした三重唱。バロックオペラなどでカウンターテナーが重唱を歌うことはあるが、たいていはソプラノなどと組むので、カウンターテナー同士の重唱はかなり珍しい。藤木のソロの前に加藤が言っていたが、日本語の歌というのは実は難しい。歌詞がわざとらしくなくきちんと聞こえるように歌うにはかなりの技術が要求される。この3人の四季を巡る歌の数々は、一見何でもないように聞こえる中にこそ、ものすごい技術が詰め込まれていることを如実に感じさせた。
本篇の間、「カウンターテナーは喋ってしまうと声のコントロールが難しくなるから」とトークはすべて加藤が担当していたため、最後の曲が終わってから3人がマイクを持って現れた時には、あー歌はもう終わりかと誰もが覚悟したことだろう。
村松と藤木は、米良がいたからこそ僕らはカウンターテナーになったと米良へのリスペクトの言葉を口にしていた。そうか、村松も藤木も持てる力すべてを使って全力のステージをみせたのは、米良へのリスペクトゆえだったのかとそこで気づいた。
アンコールはバリトン歌手の宮本益光作詞による《もしも歌がなかったら》。もしも歌がなかったら、この3人は出会うことはなかったし、私たちは彼らの歌を聞くことはできなかった。この場に居合わせることのできた幸福をかみしめた。
(2023/11/15)
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<performers>
Yoshikazu MERA, countertenor
Daichi FUJIKI, countertenor
Toshiyuki MURAMATSU, countertenor
Masanori Kato, composer / piano
<program>
Muramatsu:
J.A. Hasse: “Mea tormenta, properate” from Oratorio ‘Sanctus Petrus et Sancta Maria Magdalena’
G.F. Händel: “Lascia ch’io pianga” from Opera ‘Rinaldo’
G. Rossini: “Di tanti palpiti” from Opera ‘Tancredi’
Fujiki:
Naohiko Terashima (word by Naohiko Terashima): Satokibi Batake
Toru Takemitsu (word by Shuntaro Tanikawa): All that the Man Left Behind when He Died
Takatsugu Muramatsu (word by Miyabi): Inochi no Uta
Mera:
Joe Hisaishi (word by Hayao Miyazaki): Princess Mononoke
Akihiro Miwa (word by Akihiro Miwa): Yoitomake no Uta
–intermission–
Masanori Kato (word by Motomaro Senge): Ochiba
Masanori Kato (word by Kotaro Takamura): Remon aika
Masanori Kato (word by Baku Yamanokuchi): Mimiko Sanbusaku
Masanori Kato arr.: Japanese song medley
–encore–
Masanori Kato (word by Masumitsu Miyamoto): Moshimo Uta ga Nakattara