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特別寄稿|みわぞう sings 三文オペラ in 西神|大田美佐子

みわぞう sings 三文オペラ in 西神 / 『三文オペラ』が求める創造性
Miwazou sings Die Dreigroschenoper in Seishin
Sung in Japanese by Jun Ooka

2023年7月1日 西神中央ホール
2023/7/1 Seishin Chuo Hall (Kobe, Hyogo)
Reported by 大田美佐子 (Misako Ohta)
Photos by marmelo

【出演】
こぐれみわぞう (歌・打楽器)
大岡淳 (語り・歌)
大熊ワタル (クラリネット)
関島種彦 (ヴァイオリン・マンドリン)
木村仁哉 (チューバ)
サルディ佐藤比奈子 (ピアノ・キーボード)

 

『三文オペラ』は不思議な魅力に溢れた作品だ。社会の矛盾を鋭く捉えたブレヒトの主張を明確に打ち出した作品でもあるが、重要なのはむしろ観客に「問う」仕掛けかもしれない。それゆえに三文オペラは時代を映し、その上演のスタイルも世界中で百花繚乱に展開してきた。

日本での三文オペラ上演史は長い1。1928年のベルリンでの初演の成功が専門家の間で話題になると、レコード、映画と展開し、ドイツの初演から4年後の1932年には舞台初演を迎えた。それも幾つかの演出が登場することとなり、「三文フィーバー」と呼べるほどに評判になった。その音楽は特に、日本でも当初から親しまれてきた。音楽劇の歴史のなかでもマージナルな特性を持つこの作品がここまで日本で人気を博した理由として、日本語訳の歌詞の役割は大きかった。浅草オペラでカルメンを日本語で歌ってきたそのセンスが、存分に活かされたのである。 佐藤信が1988年に演出した黒テント版は、時代の読み替えという点で、土方与志演出の「乞食芝居」の原点を彷彿とさせたが、特に「自分の声で歌う」役者たちの熱量が素晴らしかった。他方、日本では三文オペラを「オペラ」の文脈からアプローチする舞台もあった。オペラカンパニーである二期会やびわ湖ホールのプロダクションなどがその例だ。欧米でもルネ・コロがメッキースを演じた録音があるが、これはホセ・カレーラスによってミュージカルの「ウエストサイド物語」が演じられた例とも通ずる。筆者は、どのアプローチが「真正の」三文オペラなのか、という問いには関心が薄い。なぜなら、「オペラではない」とは言い切れない曖昧さとその面白さを逆手に問いに変えて、アングラからオペラまで、様々なアプローチを許容してきた点こそ、この作品が持つ特異な包容力と考えるからだ。

ヴァイルのメモリアル・イヤーでもあった2020年からのコロナ・パンデミックのなかでも、「三文オペラ」の上演の勢いは衰えなかった。未曾有のウィルスに直面し、時代の変化の先に何があるのか、舞台の演出家として、その問いを作品自体の問いと重ね合わせて突きつけられることが、この作品の醍醐味でもあった。初演の地ベルリナー・アンサンブルはオーストラリア人の演出家、バリー・コスキー演出で刷新。ニューヨークの演出では、ZOOMのシステムを利用した観客参加型のオンライン作品としての三文オペラも飛び出した2。2023年夏のエクサン・プロヴァンスのフェストでも、コメディー・フランセーズの俳優たちがトーマス・オスターマイアーの演出のもと、舌を巻く芸達者ぶりを見せつけた。三文オペラから触発された開高健の『日本三文オペラ』の世界を想起させた鄭義信の演出では、観客にメッキースの死が突きつけられ、ハッピーエンドがやってこないそのショックに言葉を失った..。三文オペラの世界を描けなくなった末路の現代、ということか。

クルト・ヴァイルの音楽を主体として、「演奏会形式」を試みた三文オペラもある。パーカッショニストの芳垣安洋が主催するオルケスタ・リブレの『三文オペラ』では、講談師の神田京子を語り部に迎え、歌は柳原陽一郎が、動きは別に芝居役を立てるというスタイル。両国の門天ホールで上演された黒テントの服部吉次による『剃刀横丁のオペラ』は、実験音楽から古楽との共演までをこなす哲学的な深みを滲ませるジャズピアニスト、黒田京子との共演で、ブレヒト演劇が江戸前落語の名調子で実現される鮮烈なスタイルを築いた。三文オペラをめぐる実験は続く。

数多の三文オペラの試みのうえに、満を持して登場したのが『みわぞうsings三文オペラ』である。今回は、これまで上演してきたライブハウスや、かつてのグランド・キャバレーとは異なる初の劇場公演。昨年10月に神戸の西に新しくオープンした西神中央ホールで行われた。出演者はヴォーカルとパーカッションのこぐれみわぞう、語りとヴォーカルに、演出、作画、そして何より今回の訳などマルチな奇才ぶりの大岡淳。そして、クラリネットの大熊ワタルをはじめ、ヴァイオリンとマンドリンの関島種彦、チューバの木村仁哉、ピアノ・キーボードのサルディ佐藤比奈子。音楽家たちはサウンドスケープの要素も交えながら、一人一人の楽器の個性的な語り口で三文オペラの語りに関わっていく。その一人一人の創造性によって、このコンパクトな編成を最大限に活かした三文オペラが生まれるのである。ホール公演ならではのスケールの大きな照明の効果、背景のスクリーンに映し出される、時に詩情あふれる大岡の作画も、仕掛け満載の面白さがあった。

三文オペラが「民衆のオペラ」としてオペラの伝統から決定的に外れる点、それは「原語」上演では観客には届き難い、という点だ。そこには原語から「訳詞」へと飛躍する過程で生まれる「解釈」という新たな豊かさと観客に問いかける「語り」の役割がある。「三文オペラ」を日本に紹介した立役者である千田是也や、彼の弟子を自認していた独文学者の岩淵達治らは、翻訳から演出、俳優、舞台美術までをこなし、考え出すマルチな意欲に満ちていた。大岡淳の訳業もまた、その路線を発展的に受け継いでいるとはいえ、大岡訳の素晴らしさはヴァイルの音楽とドイツ語の音の組み合わせとの格闘の末に得た新しい境地にある。つまり、ドイツ語の脚韻に合わせて日本語詞の音とリズムを整えるアクロバティックな大岡訳は、ヴァイルが言葉と音との掛け合わせにしかけた巧みな音響の身ぶりを見事に炙り出し、カタルシスと異化効果の両方を生み出した。3東京公演を観た『うたのしくみ』の著者、細馬宏通氏は、以下のような文言でその訳業を称賛している。「大岡さんの訳で三文オペラの歌(たとえば 「兵隊の家は大砲の上」)をきくと、その音の面白さは倍。韻を待ち望んで思いがけないことばが来る時間もライブならでは。これ日本語のおぺらじゃなかったの?くらい楽しい」4。その大岡訳の仕掛けに触発されたみわぞうによる声の七変化の面白さは、衣装での視覚的な要素の効果も相俟って、一人で三文オペラを演じることの豊かさを感じさせた。

神戸新聞にも音楽評論家でワーグナー関連の著作も多い藤野一夫氏の公演評5が掲載された。この実験的な舞台への称賛は着実に広がりつつある。ヴァイルの「三文オペラ」のマージナルな実験は、偶発的にできたものではなく、20世紀前半という独特なモダニズムの空気のなかで、試行錯誤を繰り返したことによって生まれたものだ。まさに「オペラ」を解放するために。ヴァイルの新しい音楽劇の「原型」という構想を基盤にしつつ、『みわぞう sings 三文オペラ』は、チンドン太鼓が鳴り響く序曲に導かれ、大岡が予見した「世界市民のための音楽」の構想へと新たな段階へ展開していくようだ。6

『みわぞう sings 三文オペラ』は、登場人物の心情を吐露する「アリア」ではなく、時代や観客に問いとして放たれる「ソングを歌う」ことが持つ本質的な力強さを貫いた舞台である。そして、大岡は意識的に観客と舞台とを隔てる第四の壁を、三文オペラを「語る」話術で揺り動かす。今回の上演には多くの大学生が観覧していたが、大岡が語りのなかで展開した政治ネタが、ラストのコラール「不正を追求するな」と見事に呼応していることに気づき、その仕掛けに感嘆した若者も多かった。三文オペラの真髄ここにあり、である。

  1. 日本の三文オペラ試論 (1) – 黎明期における三文熱をめぐって
    https://da.lib.kobe-u.ac.jp/da/kernel/81012455/
  2. コロナ禍の試み -師走に考えるヴァイル生誕120年、没後70年
    http://mercuredesarts.com/2020/12/14/trial_under_covid19-120anniversary_kurt_weill-ohta/
  3. ベルトルト・ブレヒト/ 大岡淳訳 『三文オペラ』共和国出版, 2017年。
  4. 2023年6月3日 細馬宏通氏のTwitterより。
    https://twitter.com/kaerusan/status/1664994714968539136?s=20
  5. 音楽評論家 藤野一夫氏「ジャンル越境した音楽劇」2023年7月22日付け神戸新聞19面より
  6. 大岡淳「世界市民のための音楽」, 岩波書店『図書』2022年8月号, pp.22-27.

(2023/8/15)