La ROSETTA アルス・ノーヴァからアルス・スブティリオル|大河内文恵
La ROSETTA アルス・ノーヴァからアルス・スブティリオル
La ROSETTA Ars nova ~ Ars subtilior
2023年7月23日 日暮里サニーホール コンサートサロン
2023/7/23 Nippori Sunny Hall Concert Salon
Reviewed by 大河内文恵 (Fumie Okouchi)
Photos by 岡田 純
<出演> →foreign language
夏山美加恵(歌)
佐藤亜紀子(ギターン・リュート)
渋川美香里(ゴシックハープ)
<曲目>
G. de マショー:どんな花も
:どんな花も(ファエンツァ写本15世紀より)
:私はとても良い時に生まれました
J. da ボローニャ:私は緑の中を
F. ランディーニ:悲しみにくれる私の眼よ
作者不詳:レトループ(エスタンピー)
A. Z. da テラモ:決して色あせることのない愛しい薔薇よ
~休憩~
M. da ペルージャ:一人で行くだろう
B. コルディエ:私はすべてコンパスで
:美しく、気立てがよく、聰明で
P. des ムラン:このおろかな思い(ファエンツァ写本より)
J. ヴェイヤン:何度も私は
J. R. トレボール:ああ、私への憐みは
J. de サンレーシュ:旋律を奏でるハープは
~アンコール~
M. da ペルージャ:私が怒ることはありません
会場に入って驚いた。この音楽ホールは何度も来たことがあるが、こんな配置は初めてだ。通常は入り口か ら一番奥まったところをステージとし、そこに向かって客席が設けられるところ、ホールの真ん中に円を描くように演奏者の3人の席があり、それを取り囲むように客席用の椅子が置かれていた。これはどこに座るのが正解なのだろう?
しばらく逡巡したが考えても答えが出ないので、適当に座った。もしかしたら、正解も不正解もないというのが、本当の答えなのかもしれないと今になって思う。
ヨーロッパの音楽において、器楽だけの楽曲が残されるようになったのはもう少し後の時代(もちろん、楽譜に残っていないだけで即興では演奏された可能性はある)だが、初期の器楽については、「歌の模倣」であったとよく言われる。それは後の時代に器楽特有の音型が使われるようになったこととの対比から出てきた発想だが、歌に従属するものといったニュアンスが知らず知らずのうちに加わってしまう。
本日の演奏では、1つの曲の中で歌の部分と楽器の部分があったり、歌も楽器と一緒だったりアカペラだったりとさまざまな形が取り入れられていた。彼女らの音楽を聴いていると、歌と楽器は対立するものではなく、変幻自在に行き来できるものであるように感じられ、「歌の模倣」というのはむしろ誉め言葉であり、ポジティブな意味だったのかと、オセロ盤の黒いマグネットが一気に全部白になったような衝撃を受けた。
透明度の高い夏山の声は、声の美しさだけに頼るのではなく、朗読を聞いているかのように言葉がしっかり届く。だから、マショーの《私はとても良い時に生まれました》で途中の一節を朗読にしたときにも何の違和感もなくむしろ説得力が増すように感じられた。
アルス・ノーヴァとアルス・スブティリオルは、音楽史の教科書には必ず出てくるし、言葉として知っている人は多いはずだ。しかしながら、実際の音楽を知っているかというと、この時代が専門でない人にとっては、マショーの有名な曲とランディーニ止まりなのではないだろうか。
この時代の音楽はそれらだけではないという、よく考えれば当たり前のことが自然と感じられ、また、ランディーニといえばランディーニ終止があまりにも有名なためにランディーニ終止でない曲がこんなに魅力的であることは見落とされがちであるということに気づかされた。
前半最後の《決して色あせることのない愛しい薔薇よ》では、コンサートのタイトル回収がなされた。夏山の細かく揺れ動く声を聴いていたら、もしかしたらヨーロッパの音楽が調性を手に入れたことは、後の音楽の発展に絶大な影響を与えたけれど、それと同時に途轍もなく大きなものを捨ててしまったのではないかと思えてきた。
休憩後は、面白さが加速する。冒頭の《一人で行くだろう》は器楽のみで演奏された。1つのメロディーがカノンになっていて、3人で追いかけていく。フレーズの最後の音型の中世っぽさが良い。次の《私はすべてコンパスで》もカノン。ギターンの音が沖縄の三線のように聞こえる。中世の音楽は実はいわゆるクラシック音楽よりも、現在“民族音楽”として各地に残っている音楽の方が、親和性が高いのかもしれないと思った。途中、楽器3つでカノン。楽器同士だとカノンの動きと響きの変化がよりリアルに感じられて楽しい。
続く《美しく、気立てがよく、聰明で》はハート型の楽譜で有名な曲だが、演奏を聞くのは初めてだった。こんなに楽しい曲だったのか。カノンでどんどん複雑になっていくのに終止だけがっつり中世でおもしろい。
あれ?鳥の声が聞こえる。と思ったら、《何度も私は》が始まった。鳥の笛の音はもちろん、歌詞のなかにも鳥の鳴き声が織り込まれていて、その歌声がキュート。次の《ああ、私への憐みは》では、夏山が手を動かしながら歌っているのだが、その手の動きが音楽そのものになっていて魅入られてしまった。最後の曲も細かい装飾が自由自在で、聴いているこちらの心の扉を開放してくれるかのよう。アンコールまで含め、3人の創り出す世界を堪能した。
アルス・ノーヴァ、アルス・スブティリオルの音楽、おもしろい!と心から楽しめるコンサートだった。
(2023/8/15)
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<performers>
Mikae NATSUYAMA song
Mikari SHIBUKAWA gothic harp
Akiko SATO lute, gittern
<program>
Guillaume de Machaut: De toutes flours
De toutes flours (from Faenza codex 15c)
Moult sui bonne heure nee
Jacopo da Bologna: Io mi son un che per le frasche
Francesco Landini: Occhi dolente mie
Anon. (from Robertsbridge Codex 14c): Retrove (Estampie)
Antonio Zacara da Teramo: Rosetta che non cançi mai colore
–pause–
Matteo da Perugia: Andray soulet
Baude Cordier: Tout part compass
B. Cordier: Belle, bonne, sage
Pierre des Molins: De ce fol penser
Jehan Vaillant: Par maintes foys
Johan Robert “Trebor”: Helas! pitié envers Moys
Jacob de Senleches: La harp de melodie
–encore—
Matteo da Perugia: Ne me chaut