MUSIC TOMORROW 2023|丘山万里子
2023年6月27日 東京オペラシティ コンサートホール
2023/6/27 TOKYO OPERACITY CONCERT HALL
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
写真提供: NHK交響楽団
<演奏>
NHK交響楽団
指揮:杉山洋一(ライアン・ウィグルスワースから変更)
尺八:藤原道山
ヴァイオリン:金川真弓
三味線:本條秀慈郎
<曲目>
藤倉 大:尺八協奏曲 (2021) [第70回「尾高賞」受賞作品]
(ソリストアンコール)
藤原道山(尺八) 中尾都山:鶴の巣籠
一柳 慧:ヴァイオリンと三味線のための二重協奏曲(2021) [第70回「尾高賞」受賞作品]
〜〜〜
スルンカ:スーパーオーガニズム(2022)[NHK交響楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロサンゼルス・フィルハーモニック、パリ管弦楽団、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団共同委嘱作品/世界初演]
第70回尾高賞受賞2作は藤倉大『尺八協奏曲』(2021)と一柳慧『ヴァイオリンと三味線のための二重協奏曲』(2021)。これにN響、ベルリン・フィル、ロサンゼルス・フィル、パリ管、チェコ・フィル共同委嘱作のM・スルンカ『スーパーオーガニズム』(2022)世界初演というプログラム。
昨秋逝去の一柳作品が群を抜いて光る。とにかくヴァイオリン(金川真弓)と三味線(本條秀慈郎)のデュオが素晴らしい。擦弦と撥弦それぞれの和洋弦楽器語法の持ち味が見事に生かされていることに舌を巻く。どの楽器の組み合わせであっても、「二重協奏曲」が確かにそうである、と思える協奏はそう多くないと筆者は考えるが、同じ弦でありながら響きの質が全く相違する両者が、ここまで寄り添い、語らい、応答するさま、さらにオーケストラがその世界を支え、包み、三位一体となってもう一回り大きな音楽的包摂と高みへ昇ってゆくのに、胸を打たれた。
冒頭vnのひそやかなモノローグに忍び入る三味線の情感にまず刮目する。このデュオの抒情的な語らいの繊細は、個々の音形、音響の隅々にまで行き渡り、一柳の響きの扱いの巧みが際立つ。三味線とはこうも表情の多彩な楽器であったかと心底感じ入る。一貫して控えめなオケ、とりわけ低弦が底支えする透明な音景から、打楽器とともにオケが迫り出しても二者それぞれの歌声は決して埋もれない。ある種の情念が含まれるのに、その上澄みだけを掬い、妙に気張らない抑制がことのほか美しく、一柳の音楽の一つの頂を見る思い。
第2楽章は全体で刻むリズムと反復音形がヴィヴィッドで、ここでの三味線のバチ音の効果たるや、目覚ましいものがある。邦楽でのそれはいくらか知っていたものの、オケを引っ叩くくらいのパワーを発揮、楽器とは、数でも音量でもない、気迫だ、とまたまた感じ入る。金川が常に注意深く本條に眼差しを投げているのにも感銘を受ける。それまで背景となっていたオケが、終盤どんどんギアを上げ、全員でクライマックスに雪崩れ込むその息遣いの逼迫。全楽器ドワーンと最強奏の幕切れ、微かな三味線の弦の震えが尾をひき、消えた。
いわゆる邦楽を知らない層(筆者もそれに近い)の「三味線、すごすぎ!」との声が上がりそうな客席の万雷の拍手。
米国から帰国、ケージを日本に紹介、60年代の輝ける前衛の筆頭であった一柳のこれまでの足跡を改めて思いつつ、西も東もない唯一無二の「一柳慧の音楽」をそこに聴く気がした。本作は一柳が完成した最後の作品。欧米がまだ壁であった時代の開拓者がまた一人去って行った。だが、振った杉山洋一、金井、本條、オケ(中でもコンサートマスターの席に座った郷戸廉の強い眼差しが印象深い)は、この日本の作曲家の遺した音楽の美とその意味を確実に受け取ったと思う。
渾身の名演であった。
藤倉大作品は藤原道山の澄んだ尺八の音色と奏法をこだわりなくオーケストラの響きの中に織り込み、海中に揺らぐ光のような静けさを湛えた佳品。
チェコの作曲家スルンカ作品は打楽器群とアコーディオン2台が響きに多彩な表情を与える4楽章構成で、全体が部分の増殖の総和以上に膨らむ生命体を描く。どの楽章もみっしり描き尽くされ、水滴、水輪、波、波濤(水を細胞と置き換えてもよいが)といった一連の音の運動のデジタルな描写に感じられ、筆者はその筆致の圧に窒息しそうになったが、それはおそらく一柳の後だったからだろう。
この2作の向こうの「tomorrow」とは。
人間はいずれ仮想に遊ぶようになるのだろうか。
夢想、幻想、妄想でなく。
それにちょうど似合う音楽であったように思う。
にしても尾高賞、なぜこうも同じような顔ぶれが並ぶのか。これではtomorrowでなくyesterdayでは?という声が上がっても不思議はなかろう。大家や人気作曲家ばかりと言う偏向は、レヴェル的な現実問題として致し方ないのだろうが、聴く側からすると、また?と思ってしまう。受賞回数の多さを誇るなんて、新陳代謝ができていないことの証左でしかなかろう。
尾高賞というのは前年にコンサートや放送を通じて初演された日本人の管弦楽作品のための賞だが、そもそも「管弦楽で書き、初演してもらえる」日本人作曲家がどれほどいるか。かつては現代日本の管弦楽作品を並べるコンサートもそれなりにあったが、どんどん減ってきて、若手新人でそんなチャンスに恵まれる人は一握りだろう。もはや大掛かりな管弦楽の新作を求める人々も消えつつあるのだろうか。
優れた作品を表彰(賞金30万だとか)するなら、まず若い作曲家たちがトライできるような周辺環境の整備にお金をかけて欲しいと筆者は思う。人の集まるところにはさらに人が集まり、金の集まるところにさらに金が入る格差社会。
権威と財力のある方々こそ知恵を絞っていただきたいものだ。
(2023/7/15)
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<Artists>
Orchestra/ NHK Symphony Orchestra
Conductor/Yoichi Sugiyama*
Shakuhachi/Dozan Fujiwara
Violin/Mayumi Kanagawa
Shamisen/Hidejiro Honjoh
<Program>
Fujikura / Shakuhachi Concerto (2021) [The 70th Otaka Award Work]
Ichiyanagi / Double Concerto for Violin and Shamisen with Strings and Percussion (2021) [The 70th Otaka Award Work]
Srnka / Superorganisms (2022) [Co-commission Work for NHK Symphony Orchestra, Berliner Philharmoniker, LA Phil, Orchestre de Paris and Czech Philharmonic / World Première]
(Soloist Encore)
Dozan Fujiwara/Tozan Nakao “TSURUNOSUGOMORI ”