東京都交響楽団 第972回 定期演奏会Bシリーズ|藤原聡
東京都交響楽団 第972回 定期演奏会Bシリーズ
Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra Subscription Concert No.972 B Series
2023年4月13日 サントリーホール
2023/4/13 Suntory Hall
Reviewed by 藤原聡 (Satoshi Fujiwara)
Photos by 堀田力丸/写真提供:東京都交響楽団
(演奏) →foreign language
指揮:大野和士
コンサートマスター:山本友重
管弦楽:東京都交響楽団
(曲目)
マーラー:交響曲第7番 ホ短調
大野和士は2015年4月の都響音楽監督就任記念演奏会でマーラーの交響曲第7番を披露しており、それゆえ2023〜2024年度の開幕を飾る本コンサートにおける同曲演奏は8年ぶりの再演ということになる(筆者は前回の演奏は聴いていない)。勝負曲ということなのかも知れない。
周知の通り、この曲はマーラーの作品の中では一人称的なドラマを語るのではなく、一歩引いた視点から三人称的な観点で何らかの心象風景や事象を語るような趣がある。大野和士はそれをことさらに謎めかせてあらわすのではなく、あくまでスコアを起点とした純音楽的な視点で表現しようとしていた、ように「も」思えた。しかし。
第1楽章の序奏部からその音楽は極めてはっきりした輪郭と音響を提示し剛直である。第1主題と第2主題の対比は明快ながら、それはあくまで音楽的な要請に基づいた表現を取り間違っても誇張の方向へは向かわない。シュールレアリスティックな展開部も夢幻的な雰囲気はあまり感じさせずにその音楽にはあくまで実体感が伴っている。
第2楽章と第4楽章の「夜曲」も魑魅魍魎が跋扈するような、あるいはセレナードのパロディとしての通俗すれすれの甘美さの演出も控えめであり、第3楽章のスケルツォは俊敏な音響設計がこの上なく冴えていながらも不気味さはない。
ここまで読んだ方は、この日の大野&都響の演奏はこの楽曲の「異常性」を無視しているような演奏なのか? と思われるかも知れないけれど、そうではなくて、いかにも意味ありげに、ではなく逆にこのように明快に竹を割ったような表現で本交響曲が演奏されることにより、古典的な文脈での「交響曲」からすればまさに鬼っ子のような異様な作品であることが白日の下に晒 された、と見るべきだ。
その肝はあのどんちゃん騒ぎの終楽章。バーンスタインの演奏で聴くと、それまでいかにも陰鬱であった雰囲気が一掃、世界が反転したかのような突き抜けたハイテンションの異様な明るさ、そのコントラストに仰天させられたが、それはマーラー的な逆張りのオチの付け方でもある。しかし、大 野和士はそれまでの楽章と同様のスタンスでこの楽章を演奏する。そのためか、第4楽章までと第5楽章の断絶感を聴き手はさほど感じることがない。ポジ的な意味であれネガ的なそれであれ何らかの形で綜合させられる交響曲の終楽章が綜合させられない。それまでの楽章が先述したような演奏であるから、同じように並列的に投げ出されるような形であっけらかんと演奏される終楽章との差異が生まれないということだ。なんだか逆に気味悪くないか?
大野和士という指揮者はやはりオーソドックスに見えてオーソドックスではない。だから目が離せないのだろう。もっとも、ことマーラー演奏に関して言えばかつて島田雅彦が看破したようにオーソドックスな演奏なんてものは存在しないのかも知れないが、ともあれ大野の演奏が聴き手に「根源」を考えさせることは間違いない。
(2023/5/15)
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〈Player〉
Kazushi Ono,Conductor
Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra
〈Program〉
Mahler:Symphony No.7 in E minor