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プロムナード|かみさまにはいいましたか|西村紗知

かみさまにはいいましたか(日記と時評と感想と)
comments on current events

Text by 西村紗知(Sachi Nishimura)

2023年2月10日。
クインケ浮腫が上唇に急に出る。疲労が溜まっているようだ。

2023年2月12日。
身体が動かなかった。最近日曜日は身体が動かない。
洗濯物を片付けた。スーパーに買い物に行った。
久々に千川通りを練馬駅方面に歩いて新目白通りを通って歩いて帰ってきた。いくつもの集合住宅を見た。さみしくなった。

2023年2月19日。
こんにゃく座の「あいつは賢い女のキツネ」を見た。不思議な話だった。断片的で主題も一定しているのかいないのか一回見ただけではわからず、ただヤナーチェクがやりたいようにやっているだけで凄みがあった。私小説的でもあり祖国の話でもあった。私の中では、林光とヤナーチェクはあまり似ていないという印象に終わった。ヤナーチェクの場合、オペラからくらった毒だけが、毒にのたうち回る己の姿だけが音楽だった。

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日付不詳:昔は、J-POPを聴く場所といえば私にとってはラーメン屋だったが、最近ではVTuberの「歌枠」で曲を知ることが増えた。そこで披露されるもので印象に残るのは、脈絡のよくわからない転調を含んだ、かなり早口言葉に近い歌唱技術を要する、ヴィルトゥオージティを要する曲だ。私はこれを、ボーカロイド制作やラップミュージックのトラックメイキングの感受性などがまぜこぜになって自然と生じた調性崩壊に近いものだと思っていたが、音楽というのは作品という側面と同じほどレパートリーの側面も大事なわけであろう。この調性崩壊めいたかなり音楽的にいって難しい歌唱技術を要する曲を実際にレパートリーとしてもつのはVTuberの女の子たち、というのはいろいろ考えさせられるものがある。彼女らのうちのほとんどが完璧には歌えないのであるし、だが、完璧には歌えないまでもがんばって歌っている彼女らの姿は魅力的なのである。そういう姿を導き出す曲こそが重宝されていくだろう。歌枠というのはスナックとあまり変わらないのかもしれない、と思う。それなら彼女らのレパートリーとなるところの曲というのは、昔のムード歌謡と役割としてはそれほど変わらない、ことにならないだろうか。
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2023年3月5日。
今日は井上郷子ピアノリサイタルにいった。
リンダ・カトリン・スミスの「白いレース」をもう一度聞けたのは嬉しかった。彼女の作風は「内向の世代」を勝手に連想してしまう。というより小川洋子とかに近い。なんにしても個人的な印象に過ぎないのだが。「潮だまり」は中低音域のぐしゃぐしゃ、としたテクスチャが心地よくて良かった。
伊藤祐二「偽りなき心Ⅱ ピアノ版」は、形式面ではかっちりした変奏により成り立っているような作品だが、これを構成する音の音色が朴訥としてぬくもりがあった。
フェルドマンが一番謎めいていた。
そしてなぜかフェルドマンで落涙してしまった。
とても疲れているらしい。

2023年3月13日。
今朝はうさぎとキスする夢を見た。うさぎさんはお口がもふもふ、ふがふが、ぴくぴく、していてこそばゆかったし、歯が立派だから何かのはずみで口の中を怪我してしまうかもしれないと思って、スリリングだった。

2023年3月21日。
東京都現代美術館のコレクション展を観に行く。千葉正也の絵が観られたのでよかった。
入場無料の受賞記念展の方は、もはや定番になったフォーマットだが、リサーチ・ベースの作品で、映像やインスタレーションをひとつのだだっ広い空間にまとめた、あれだった。あれの観照の方法をまだ私の中で開発できていない。面目ない気持ちになる。

2023年3月24日。
ひくねとコントサークル主宰「雪見だいふくの第一印象は固い」(@ユーロライブ)を観に行く。
サルゴリラ・児玉智洋の演技の幅が広く、主宰である福井俊太郎がお笑いトリオ・GAGで継続してコンセプトに据えてきた、「ダサ坊」のニュアンスを繊細に汲み取っていた、と感じた。テニスコート・神谷圭介、浅野千鶴は場をしっかりとつくる芝居で、唯一、福井だけがコント師としての芝居なのだが(場をつくったり、観客の視線の導線をつくったり、設定を伝えたりするよりも先にキャラとして屹然と立ち現れるような)、それは演劇的な芝居とコント的な芝居の取り合わせの実践という点で、興味深かった。内容的には最後6本目のコントが印象に残る。

2023年3月25日。
ワタリウムへ。ワタリウムもコレクション展だった。パイクのビデオアートが観られたのでよかった。
ワタリウムから外苑西通りを北上し、高級クレープ屋「パーラ」へ。メレンゲと生クリームのクレープ、950円。冷静に考えると非常に高いが冷静に考えなければセーフである。カスタードクリームとラム酒も効いていて、しっかり甘めでおいしい。
帰宅後、推しの配信者がメンシにvlog投稿していたから見たら、ちょうど先週、同じ時間帯にだいたい同じ場所に居たらしい。推しが行っていたお店、行ってみようかしら。カレー屋さん。

2023年3月27日。
斬刀の一振りよりも妖刀の一閃、という使い道のないイタいフレーズを思いつく。

2023年4月9日。
髪を切った。「セーラームーン」に登場する土萠ほたるみたいにされた。いや、どちらかと言えば岸田劉生の麗子像のようなビジュアルになった。
神社に行きおみくじを引く。和歌が引用されたおみくじで、在原業平の「かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは世人さだめよ」が。これが大吉というのがまたよくわからないのだが、「世人さだめよ」ってのはいいですね。そんなの俺知らない、って拗ねた感じが色っぽいし「世人さだめよ」って言わせたら、こう、いいでしょうね。この句の意味がどう、というより、言わせたい句でしょうね。

2023年4月13日。
今更になってゲーム実況グループ「ナポリの男たち」にハマる。誰もかれもゲーム実況をやるようになり、いろんな人のゲーム実況を見るようになったため、ベテラン実況者の安定感に有難みを感じるようになったため、と思われる。

2023年4月17日。
友人が勧めてくれたホットアイマスク「めぐりズム」で多少は睡眠が改善されているようである。
冷蔵庫・冷凍庫の中の腐った食材を捨てること。

2023年4月18日。
西荻窪clopclopに加藤崇之と武田理沙の即興ライブを聴きに行く。缶などの鳴り物が床に転げ回っていくラストが印象的だった。それと、ブタのおもちゃの鳴き声。音楽が音楽のようなものへと、音楽ではないかもしれないものへと、かつて音楽だったかもしれないものへと、移り変わったり戻ったりする瞬間はスリリングである。この瞬間はよりアカデミックな現代音楽でもある。こういう瞬間に立ち会えたら、やっぱり幸せだと思う。

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日付不詳:ありえなかった将来と、ありもしなかった生活とで、5月の千川通りの新緑は窒息を強いるだろう。
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2023年4月19日。
仕事をしていると中産階級の迫力に気圧される。BtoBとはそういう経験らしい。
言葉が出てきづらい。認知機能が低下しているかもしれない。

2023年4月21日。
『クロイツェル・ソナタ』を再読した。ポズドヌイシェフの語りの最中で、汽車に乗り出すシーンからいきなり運命が転げ落ちるように加速していく、あの感覚がたまらなくすばらしい。クロイツェル・ソナタが鳴り始めるタイミングも完璧過ぎる。子供たちとの面会の帰りの車中、回想の中の自分はまさにその子供たちとの縁を切りに行ってしまう、と考えるとこれは案外子供たちのための物語なのかもしれない。普通に読めば性愛と嫉妬の話だが、家族の話としても読めるという発見があった。破綻した家族を経験した帰り道に、いかにして家族が破綻したのかポズドヌイシェフは語っているのである。

2023年4月29日。
藝大の「買上展」を観に行く。大西博の絵画作品が印象に残る。

2023年5月1日。
夕方、スーリィ・ラ・セーヌでお茶をする。器とカトラリーもきちんと冷やされて、イチゴのロールケーキ(正式名称を忘れてしまった)と紅茶が運ばれてくる。生地はスポンジだけかと思いきやメレンゲも入っていて、イチゴはほどよくごろごろと異物感があって、クリームはずっしりともったりと全体をまとめあげていて、今にもほころびそうなそれらのバランス感覚が楽しいケーキだった。平日だが普通に喫茶に成年男性がいるのが、岡山らしいというのか。

 (2023/5/15)