Menu

The Shakuhachi 5 第3回コンサート |丘山万里子

The Shakuhachi 5 第3回コンサート
The Shakuhachi 5  The 3rd Concert 

2023年3月7日 すみだトリフォニーホール小ホール
2023/3/7@ SUMIDA TRIPHONY HALL/Small Hall
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
Photos by 岡野 真実子/写真提供:The Shakuhachi 5

<演奏>        →foreign language
The Shakuhachi 5
小濱明人・川村葵山・黒田鈴尊・小湊昭尚・田嶋謙一

<曲目>
冷水乃栄流 :『飛翔/追想』2021
新実徳英 :『風韻Ⅱ』1988
金田望:『”コレオグラフィ”5つの尺八のための』(初演)2022
武満徹 :『うた』より「島へ」「小さな部屋で」「恋のかくれんぼ」
〜〜〜〜
廣瀬量平 :二つの尺八のための『アキ』1969
望月京:『観音アナトミー』(委嘱初演)2022
(アンコール)
武満徹:「翼」

 

超流派尺八若手5人衆の第3回公演。パンデミックにあって舞台に立てない日々、かえって何度も集まり、話しあい、練習できたと語るメンバーのアグレッシブかつ和気藹々の空気が、若者たちの多い客席にほのぼの感を醸し出す。前半はスタイリッシュな黒の上下、後半は紋付袴という定番衣装がこれまた新鮮で、と言って音楽にその種のボーダーがあるわけでなく、そこがまた新鮮。
冷水乃栄流『飛翔/追想』(2021)は東京藝大作曲科修士在学中の新鋭だが邦楽器作品に意欲を燃やすとか。鳥の群れ、その飛翔を活写したもの。シュパシュパ、ぽぽぽぽ、コロコロ、フルフルなどなど、尺八の特性を活かしつつ、自然なメロディラインと動きで、筆者は昔々 のTV『日本昔ばなし』の語りを聞いているような気分になった。この種の郷愁を今日びの若者たちが持つとは思えないが、でも音それ自体がそういういざないのようなものを宿すのかもしれない、とか思ったりもして。
3回目となる作品公募には多数の応募があったそうで、けっこうなことだ。尺八の未来は明るい。
その公募作、金田望『”コレオグラフィ”5つの尺八のための』(世界初演)は国立音大音楽学部音楽文化デザイン学科で学んだこちらも新鋭の作。尺八に関してはあえて基本知識のみで作曲に臨んだとのことで、リズムをテーマにしたもの。金田自身による指揮で「ライト且つデザイナブルなダンスミュージック的印象」(プログラム記載)を狙ったそうだが、この言葉に非常な期待をもった筆者には、そのデザイナブルなダンスが今ひとつ決まらない感がしたのはやはり楽器の未消化にあるのではないか。楽器はそれほどに強い。ケージが箏で作ってもケージにならなかったように。電子音でパルスを刻むのとは決定的に異なる音出し、息づかい。スウィングとは決定的に異なる微妙な揺れ具合。ただ、あえて扱いの基本のみを頭に入れてのこの試み、ハマれば非常に面白く、まさに尺八の未知なる世界を開く可能性があったのでは。5人衆は心地よさげにスウィングを楽しんでいたし(特に田嶋)。
これら若手に比べ、圧倒的な横綱相撲を見せたのは望月京『観音アナトミー』(2022委嘱世界初演)。楽器の特性として「多彩な“ゆり”(ヴィブラート)と、“むらいき”“そらね”などの息を混ぜた音色」を挙げていたが、それらのもつ豊かさ深さを十全に引き出すものだった。「いかに“一音”の内外をつぶさに観る(聴く)か」が作曲のコンセプトでありタイトルの意味でもあるとのこと。ここで観音とは「観察された(avalokita)」+「音・声(svara)」との意でもあろうが、私たちが観音というと通常、観音さまで、それは全方位に働く妙知(救い)の御方といったイメージになろう。それはあながち見当はずれでもないのでは。
同音で順次入ってゆく導入から、透明で(尺八はどちらかというと雑味こそが味わいだろうが、それを漉して漉して究極の上澄だけをすくいとった音色というものもあるようで、筆者は初めてこの澄み切った音色を聴いた気がする)かつ柔らかく温かな音色にまず耳を惹かれた。それが少しずつ少しずつ開いてゆく、まさに蓮の花が人知れずそっと花びらを開いてゆくような美しさはやはりこの楽器でしか、この5人でしか創出し得ないものではないか。紗を幾重にも重ねるようなその透かし美に夢幻が宿る。やがてリズミックなシーンも登場するが、それが決して不自然にならず、要は「沿ってゆく、添ってゆく」作曲家の素直な筆先がそこに常にうかがえる。現代的なセンスを要所に煌めかせつつそのように拡がる光輪模様は、まさに観音像の放つ光に似て全景を照らすのだ。音をあやつるとか新たな音響の斬新を狙う、とかいったあざとい自己主張をせず、けれども明らかに作曲家のオリジナリティ(世界観)が立ち上がってくる。カノンが観音にかかったもの、とかの遊び心もいかにも「柔らかい」。筆者はそこに『夜空ノムコウ』の「ぼくの心のやらかい場所を」にある「やらかい」という表現をふと思い浮かべたのだった。
文化・伝統との対峙といった力みも、海外受けなども眼中にない。
こういう作品はいずれ広く世界を歩いて行くだろう。
新実徳英『風韻Ⅱ』(1988)、廣瀬量平『二つの尺八のための「アキ」』(1969)は、武満徹を含め日本の現代音楽(という言い方が適切かどうかはともあれ)における「日本」や「邦楽器」の扱い、あるいはそれに対する姿勢のそれぞれを見せはしたものの、前回の彼らの公演での諸井誠『対話五題』(1972)の持つインパクトには及ばない。常套臭(当時の「現代邦楽」臭あるいはそれっぽさ)がどうしても感じられてしまう。したがって、かつての現代邦楽のそれと、今日のそれとの間の相違をあらわにするという意味で、筆者にとってはおおいに興味深い曲並びであった。
武満『うた』からの編曲版3曲は相変わらず箸休め的で楽しいが、今回で一旦終わりとのこと。ポピュラリティ開拓へのアプローチの一つであったと思え、いささか残念。
海外ツァーも予定にあるという彼ら、ぜひ日本の今の作品をあちこちで吹き回ってもらいたいものだ。

(2023/4/15)


—————————————
<Artists> The Shakuhachi 5
Akihito OBAMA, Kizan KAWAMURA, Reison KURODA, Akihisa KOMINATO, Ken-ichi TAJIMA

<Program>
Noel Hiyamizu: Hisho/Tsuisou
Tokuhide Niimi:FUIN Ⅱ
Nozom KANEDA : Choreography *World Premiere
Toru TAKEMITSU:Songs
Ryouhei HIROSE:AKI
Misato MOCHIZUKI : KANNON ANATOMY *World Premiere Commissioned by The Shakuhachi 5
〜Encore〜
Toru TAKEMITSU:Wings