Shimmering Water――ストーリーズ|齋藤俊夫
Just Composed 2023 Spring in Yokohama―現代作曲家シリーズ―
Shimmering Water――ストーリーズ――
Just Composed 2023 Spring in Yokohama―Modern Composer Series―
Shimmering Water――Stories――
2023年3月11日 横浜みなとみらいホール小ホール
2023/3/11 Yokohama Minatomirai Hall, Small Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by (c)堀田力丸 /提供:横浜みなとみらいホール
<出演> →foreign language
ピアノ:福間洸太朗
ティンパニ:目等貴士(*)
<曲目>
近藤浩平:『海辺の祈り―震災と原子炉の犠牲者への追悼 Op.121-f』
田中カレン:『Crystalline II』(1995年度 横浜市「日本の作曲家シリーズ」委嘱作品)
田中カレン:『Water Dance』
茂木宏文:『ゆく河の流れは絶えず』(Just Composed 2023 Spring 委嘱作品、初演)(*)
レヴィツキ:『魅惑の妖精―ピアノのための詩曲』
カスキ:『泉のほとりの妖精』
ラヴェル:『夜のガスパール』より『オンディーヌ』
ルトスワフスキ:ピアノ・ソナタ
(アンコール)
ドビュッシー:『月の光』
サン・サーンス(ゴドフスキー編曲):『白鳥』
Shimmering Water、即ちきらめく水を巡る福間洸太朗今回のリサイタル、水のイメージをただ美しくピアノで表現するだけで終わらない好企画となった。
プログラム後半の西洋近代作品から評を始める。
ウクライナ出身のレヴィツキ、フィンランドのカスキ、フランスのラヴェル、ポーランドのルトスワフスキの4人が並んだのだが、この時代のヨーロッパでのラヴェルの圧倒的影響力を再認識させられた。いや、因果関係が逆か? この時代のヨーロッパの時代精神を最も忠実に形にしたのがラヴェルだったのであって、他の3人も時代精神の為せる業によって似た表現を取らざるを得なかった、とも言えるのかもしれない。だがいずれにせよラヴェルが偉大なことには変わりがない。
そして福間洸太朗のピアノの美しさはまさに筆舌に尽くし難かった。まずピアノの単音の時点で格が違う響きである。音が広大で深遠。楽器だけが振動するのではなく、会場全体が共振しているのが感じられる。その音で奏でられるピアノ曲は、繰り返すが、筆舌に尽くしがたい。
福間によるレヴィツキ『魅惑の妖精』で現れたのはエレガントでジェントルなのに艶美極まりないという、妖精というより妖魔のような存在。この魅惑には抗えない。幽世まで連れて行かれても本望と思わされた。
トレモロが華やかに、無邪気に会場を飾り立てるカスキ『泉のほとりの妖精』で現れた妖精は先のレヴィツキに比するとまだ若いように感じられた。透明な水の瞬きがこの上もなく愛らしい。
先に述べたように、プログラム後半全ての源流と聴こえたラヴェル『オンディーヌ』(オンディーヌとは水の妖精のこと)、福間は妖精のような繊細さを備えつつ極めてダイナミックで豪華絢爛な音を響かせる。その音による水のさざめきや奔流の輝き、妖精の為せる業の全てが美しい。ファンタジーとリアリティーの境界が失せ、音楽が聴こえる今・ここに全てがある。
と、ここまで聴いてのルトスワフスキ1934年21歳時の『ピアノ・ソナタ』、筆者も知らない作品だったが、第1楽章が聴くだにラヴェルで驚かされた。ただしラヴェルに比べると素朴というか、飾り気がない。と思うと、シマノフスキ的豪奢な響きも現れる。第2楽章の荘重で悲壮な響きにこちらの居住まいを正される。この楽章はシマノフスキ成分多し。第3楽章はきらめくラヴェルよりもっとモヤッとしているドビュッシー風。いや、これはフォーレか? 和声進行はフランス式に聴こえる。などと考えていたが、終結に向かっての上行デクレシェンドで昇華していく、水の妖精のきらめきのように哀しげで儚い様を聴いて、類似作品・作家を捜すことなど野暮な振る舞いと自分を恥じた。
ここからはプログラム前半の現代日本作品。
大した発見ではないが、近代西洋作品はルトスワフスキを除いて皆、水を人になぞらえた存在たる「水の妖精」を美的形象としており、現代日本作品はそのようななぞらえなしで「水そのもの」を美的形象としている。ここに西洋と日本、近代と現代の相違、パラダイムの位相差を見ることは誤りであろうか? モノを擬人化しないと美的存在として捉えられない人間中心主義は近代西洋のもの、モノをそのままに美的存在として見ることができるのが現代日本、とするのはオクシデンタリズムとオリエンタリズムの併発であろう。むしろ筆者は妖精のような目に見えない存在を失ったのが現代日本(西洋も、かもしれない)なのではないかと言いたい。この喪失は、少なくとも筆者にとっては、悲しむべきことであり、また回復不能な文明の傷である。
その妖精の消えた社会の中で、現代日本作曲家たちはどんな水を形どるのか。
田中カレン『Crystalline II』、冒頭の高音での強い光線が目を射る射アルペジオを多用した硬質で無機的にきらめく音は確かに結晶だ。終盤、その音の結晶がどんどん大きく岩石級の規模になり、ついに割れて飛散した……と余韻を響かせて、了。
田中『Water Dance』、はろばろとした海原を思わせるミニマル・ミュージック的音場で水が戯れる第1楽章、さざ波のようなトレモロに始まり、肩の力を抜いて音・水の揺らぎに身を委ねる第2楽章、福間洸太朗の大スケールで寄せては返す波のようにアルペジオで上行、スピード落として順次下行のパターンが奏でられ、最後にその波がいずこかに消えていく第3楽章。
田中の2作品は「結晶」「水」が音楽として美しく形象化されているが、どこか寂しい気持ちになったのは筆者だけであろうか。妖精がいない世界とは、人間との対話相手が人間以外いないという世界である。美しい形象と対話することができず、ただその姿を描くしかできないという現代は、やはり寂しい時代ではないだろうか。
茂木宏文の今回委嘱作品『ゆく河の流れは絶えず』は、言葉に尽くせない、というより、言語化するのが非常に難しく、しかして滅法面白い作品であった。言語化が難しいというのは、ピアノが単独で最高音域をキーン、キーン、キーンと強く打鍵する禁欲的なイントロ、はっきりと旋律と識別できる音型がピアノに現れ、そこにティンパニがなだれ込んで踊っているのか戦っているのか定かではないがとにかく面白い場面から、先の田中作品のような線の細いトリルやメロディらしきものが仄光る場面、ジャズか何かポピュラー音楽的に2人でリズムを刻む場面、ピアノの最低音域トレモロとティンパニのロールがかち合う場面、などなどを通過して、最後は目等がゴムボールでティンパニを擦ったり福間が苦しむようなメロディを奏でたりしていると見たら、2人の音が「ドン」と合わさって終わる。と、いった風に舞台上で起きたことを列挙すると訳の分からない記述に陥ってしまうが、実演に当たると全ての場面の音楽が的確に感じられてすこぶる面白い。タイトルからして何らかのコンセプトやストーリーを背負っているのだと推測されるが、そのような観念抜きのナマの音・音楽にこそ非凡なセンスが光る音楽であった。
妖精がいなくとも水はそれ自体として美しい、だろうか。東日本大震災での津波、日本全国、さらには世界各地を襲う豪雨と洪水を経験しつつある今となっては、我々にとって水とは畏怖すべき、恐怖の対象となってしまったのではないか。
そう考えると近藤浩平『海辺の祈り―震災と原子炉の犠牲者への追悼』が我々の心に重く深く響いてくる。福間のピアノの1音1音が澄み切ってかつ重い。美しさも、悲しさも、もしかすると怒りもが美しく溶け合った、けれんも衒いもない純粋な祈りの音楽。果たして水は人間を赦してくれるのだろうか?
美は、美単独でこの世界に現れることはできない。水という美的形象をもって文化・文明の諸相を映し出した今回のピアノ作品群こそが我々の時代に生きる音楽であろう。福間洸太朗と作曲家の皆に感謝。
(2023/4/15)
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<Player>
Piano:Kotaro Fukuma
Timpani:Takashi Mokuhito(*)
<Pieces>
Kohei Kondo:Prayer on the Seashore – In Memoriam of Victims of Earthquake and Nuclear Reactors Op.121-f
Karen Tanaka:Crystalline II (Commissioned by Yokohama City for the “Japanese Composer Series” in 1995)
Karen Tanaka:Water Dance
Hirofumi Mogi;Incessant is the Change of Water (Commissioned for Composed 2023 Spring: Premiere)(*)
Mischa Levitzki: The Enchanted Nymph, A Poem for Piano
Heino Kaski: Die Quellennymphe Op,19 No.2
Maurice Ravel: “Ondine” from “Gaspard de la nuit”
Witold Lutoslawski: Piano Sonata
(Encore)
Claude Debussy:”Clair de lune”
Camille Saint-Saens (arr. L. Godowsky for piano):” (The Swan)”