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Just Composed 2023 Winter in Yokohama―現代作曲家シリーズ―|齋藤俊夫

Just Composed 2023 Winter in Yokohama 現代作曲家シリーズ 驚異の声、驚異の言葉――未体験の音空間へようこそ!
Just Composed 2023 Winter in Yokohama -Contemporary Composer Series-

2023年1月28日 横浜みなとみらいホール小ホール
2023/1/28 Yokohama Minatomirai Hall Small Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by ©藤本史昭

<演奏>        →foreign language
指揮:西川竜太
声楽アンサンブル:ヴォクスマーナ

<曲目>
川上 統:”Chor Rhinogradentia” 〜『鼻行類について』より (Just Composed 2014 委嘱作品 | 2020 Spring/2023 Winter 編曲委嘱 初演)
三輪眞弘:『火の鎌鼬』女声傍観者達と5人の男声歌手のための(2014)
桑原ゆう:「古事記」からの抜粋による『名づけのうた』(Just Composed 2020 Spring/2023 Winter委嘱作品 初演)
伊左治 直:『グランド電柱』(2011) 詩:宮澤賢治
伊左治 直:『あたらしい歌』(2010) 詩:ガルシア・ロルカ|訳詩:伊左治 直
伊左治 直:『彩色宇宙』(2019) 詩:新美桂子
伊左治 直:『一縷の夢路』(2012) 詩:新美桂子
伊左治 直:『二つの日記』(2018) 詩:鈴木淳子
(アンコール)
伊左治 直:『カリビアン・ジョーク』 詩:池辺晋一郎

 

現代音楽を聴いていると、その「現代音楽っぽさ」のマンネリズムに食傷を覚えることが少なくない。なんでこんなに現代音楽っぽくあらねばならないのか、というかなり根本的な問いかけが思わず口から出そうになる。現代音楽というジャンルがまとってしまったこの「現代音楽っぽさ」の拘束に疑問を持たない人間の音楽は真に自由にはなれないだろう。また、作曲家が真の自由に基づいた作品を書いても、それを再現できる自由な演奏家がいなければ音楽は現実に現れない。自由な現代作曲家たちと自由な歌手たちが出会う稀有な場としてヴォクスマーナの舞台はある。さて、どんな出会いであったろうか。

口の前に掲げた手のひらを前後に震わせての「ハワワワワワワ……」という謎発声で始まった川上統『鼻行類について』は「鼻行類」という鼻で歩行する架空の動物を題材とした作品。架空の珍奇な動物をあたかも実在するかのようにイメージさせる、この難題が川上の現代音楽的創造力を掻き立てる。しかしてその音楽はというと、「ナ」「ニ」「ヌ」「ネ」「ノ」といったそれ自体では意味をなさない断片が舞台上で前後左右に跳ね回る。「ü~~~」と口をすぼめて発した音がくねくねと踊る。猿のように「アアアアアアア~~」と音高を上下させつつ叫ぶ。声を出しながら胸を叩いてしゃっくりのように音を弾けさせる。等々、珍奇極まりない技法づくしながら、それらが珍奇な生物の群れの珍奇な生態を活写しているように感じさせ、かつ珍奇な構造的統一を成した音楽作品となっている。何故珍奇を集めたものが音楽作品となるのかは謎であるが、川上統一流の感性とヴォクスマーナの技術をもってなせる業だったと言えよう。

三輪眞弘『火の鎌鼬』は、まずこれは合唱なのか?というより、はたしてこれは音楽作品なのか?と悩まざるを得ない恐ろしく謎めいた舞台作品であった。
舞台上に現れるのは西川竜太と5人の男(声歌手だが歌は歌わない)と6人の女(声歌手だがやっぱり歌は歌わない)。舞台中心に西川竜太が何本かのプラスチック製のパイプを持って佇んでいる。時折パイプで肩付近を叩いて音をたてる。その周りを正方形の4つの頂点に当たる所に4人の男性が立ち、もう1人の男性が正方形の4辺、もしくは2本の対角線に当たる所を歩く。この5人は場面によってパイプを持ってたり持っていなかったりして、直立不動ではなく、なんらかのアルゴリズムに従って4辺と対角線を歩き、これら男性同士もしくは男性と西川がぶつかると持っているパイプを交換する。アルゴリズムとタイミングはわからなかったが「ひ」「の」「か」「ま」「い」「た」「ち」という言葉の断片の1音を発する。この順列はアルゴリズムに沿って変わっていく。タイミングがわからなかったが、「はい」という声もあげられた。6人の女性たちは正方形の両脇に3人ずつ座り、西川と男性たちとのパイプの交換がなされると拍手をする。終盤では女性たちは何かお喋りをしているようにも見えた。
淡々と歩いてパイプを交換して拍手して……が延々と続くのを静まり返って眺め続ける聴衆。舞台上の彼らも客席の自分たちも何をしているのだろうか? ストイックなのかナンセンスなのか、と問われたら、筆者は、行為に意味付与をすることなくストイックにナンセンスを続けているのだと答えるだろう。実にラディカルなナンセンス。
語順がじわじわと変わっていった男性たちの「ひ」「の」「か」「ま」「い」「た」「ち」という断片が「火の鎌鼬」という語順になった所で作品は一旦完結しそうに見えたが、陣形をほどいた男性たちが西川に恭しくパイプを渡し、皆で左、右、前にやはり恭しく礼をしてやっと終わった。この終幕を見て、自分はずっと儀式的ななにかを見続けていたのではないかという感覚を覚えた。だが真相は異なるだろう。本物の儀式であれば、まず人間の内面が先にあり、それが外面の形姿をとって現れるが、『火の鎌鼬』では内面を欠いたまま儀式的外面が提示され、その殻のような中身のない外面に接した我々人間が、殻の中に内面を見て取ってしまうのであろう。しかしテレパシーなど使えない我々はどんな人間であっても外面からその内面を推測して生きている。すると内面というものはどこにあるのか? そもそも本当に内面などあるのか? 非常に不穏なものすらもはらんだ舞台であった。

桑原ゆう『「古事記」からの抜粋による《名づけのうた》』、テクストは「古事記」のあめつちのはじめのとき、アメノミナカヌシノカミ、タカムスビノカミ、カムムスビノカミの3柱が成る所から始まり、イザナギノカミとイザナミノカミがアメノミハシラを立てる所までで終わる(と、筆者には聴こえた)。
この作品の動機たる「名づける」という行為はいかなるものであろうか。それはまず、名づけられる対象が何ものであるかを定めようとする行為だと言えるだろう。名づけることによって漠然としたモノから、名前ある者へと、名づけられる対象が名づける者の中で輪郭をはっきりとさせられる。古事記に語られる以前、神々に名前がなかった頃、人々は自らを超越するモノを漠然と思い浮かべるだけであった。名づけられることによって漠然とした神的対象は人々の祈りの声を聞く人格神へと変貌した。名づけるという行為は祈りの始原にある。
ではその始原的な祈りの音声はいかに響いたか?
実にたくましい音声であった。
全編、謡か聲明かという発声法で叫ばれ、朗唱される。音階も日本的だと感じられたが、細かくはわからない。メリスマ的に母音を上下させつつ「いいいいいいい~!」など伸ばし謡う声の力は我々がいつも使っている日本語とは雲泥の差。イザナギノカミとイザナミノカミが成った所での謡のポリフォニー音声はクラスターをうねらせたよう。そこからテノールのソロが朗々と歌われ、最後は女声がしめやかに曲を終わらせた。真新しい始原とのいみじき出会いを体験した。

伊左治直(アンコール含め)6作品で川上・三輪・桑原作品からの刺激が丸く和らげられる。『グランド電柱』のスケールの大きな叙情、『あたらしい歌』の一筋縄ではいかない調性で歌われる「あたらしい歌」への強い意志、『彩色宇宙』のボイスパーカッション交じりで古い外国のポップスのような軽快さ、『一縷の夢路』の童謡のような懐かしさ、『二つの日記』の飾り気のない記述から染み出す謎の叙情性、『カリビアン・ジョーク』のジョークというよりエスプリの氾濫、どれもこれも温かく心豊かで、かつ機知に富んでいる。得難く有り難い作品群であった。

現代音楽とはなんと多様で想像を超えて自由なものであろうか。筆者の音楽への信頼と探究心または好奇心を改めて強くさせてくれる演奏会であった。まだまだ我々はもっと遠くへ行ける。

(2023/2/15)

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<Players>
Conductor:Ryuta Nishikawa
Chorus:Vox humana
<Pieces>
Osamu Kawakami:”Chor Rhinogradentia” based on “About Rhinogradentia” (Commissioned for Just Composed 2014 | Arranged for
Masahiro Miwa:”Hi no Kamaitachi (The fiery sickle wind) ” for Female Bystanders and Five Male Singers (2014)
Yu Kuwabara:Nazuke no Uta (Songs of Names), after Excerpts from “Kojiki (Japan’s oldest historical record)” (Commissioned for Just Composed 2020 Spring/2023 Winter : Premiere)
Sunao Isaji:Grand Telephone Pole (2011) Text by Kenji Miyazawa
Sunao Isaji:Cantos Nuevos (2010) Text by García Lorca (Translated by Sunao Isaji)
Sunao Isaji:The Colored Universe (2019) Text by Keiko Niimi
Sunao Isaji:A Dream Road in a Stream (2012) Text by Keiko Niimi
Sunao Isaji:Two Diaries (2018) Text by Atsuko Suzuki
(Encore)
Sunao Isaji:Caribbean Jokes Lyrics by Shinichiro Ikebe