コレギウムSpace415 第1回公演 スクランブル古楽|大河内文恵
コレギウムSpace415 第1回公演 スクランブル古楽
Collegium Space 415 1st concert Scramble KOGAKU
2023年1月14日 梅若能楽学院会館
2023/1/ 14 UMEWAKA Noh Theatre
Reviewed by 大河内文恵 (Fumie Okouchi)
写真提供:コレギウム Space 415
<出演> →foreign language
高橋美千子(ソプラノ)
出口美祈、鳥生真理絵(ヴァイオリン)
佐藤駿太(ヴィオラ)
島根朋史(チェロ)
布施砂丘彦(ヴィオローネ)
長谷川太郎(ファゴット)
中川岳(チェンバロ)
天野寿彦(ヴァイオリン独奏)
佐藤亜紀子(テオルボ)
柴田俊幸(企画&アーティスティック・リーダー、フラウト・トラヴェルソ)
カヴァー:佐藤裕希恵(ソプラノ)
<曲目>
J.S. バッハ:カンタータ第209番「悲しみを知らぬ者」BWV209
J.S. バッハ:三重協奏曲 イ短調 BWV1044
~休憩~
M. ロック:劇付随音楽「テンペスト」組曲より第6曲カーテン・チューン
ジョン・レノン&ポール・マッカトニー/ベリオ編:「声楽と器楽のためのビートルズの歌」より 〈イエスタディ〉、〈ミッシェル I〉
G.F. ヘンデル:組曲 変ロ長調HWV354よりサラバンド~歌劇「リナルド」よりアリア〈涙の流れるままに〉
H. パーセル:組曲「アブデラザール」よりロンドー+即興
H. パーセル:歌劇「ディドとエネアス」よりアリア〈私が地に伏すとき〉
H. パーセル:静かで心地よい音楽
どこからかぱりぱりと音がしてきそうな刺激的な時間だった。いったい誰が考えたのか、西洋古楽(などというと何やら古めかしいもののように見えてしまうが、とりあえずそれは措いておく)の演奏会を能楽堂でやるなんて、それだけ聞いたら何をトンチキな?と反応してしまいそうな状況なのに、その場を見事に成立させてしまった。
Space415というチェンバロ2台が備え付けられている練習室が中野にある。サロン・コンサートなどがおこなわれることもあるが、普段は練習用に貸し出されており、多くの古楽器奏者に利用されている。スタジオ利用者の呼びかけによって、この度設立された演奏団体が、コレギウムSpace415である。
前半はJ.S.バッハの作品。カンタータ209番はシンフォニアから始まる。中間部が終わって最初のテーマが出てきてからの尖り具合が、スクランブル(=出発)の決意表明と感じられた。レチタティーヴォを挟んで1曲目のアリアはゆったりとしたテンポとも相俟って、いかにもバッハらしい旋律と和声進行を持つのだが、歌詞がイタリア語なので、はじめは「なんでドイツ語じゃないの?」と混乱した。だんだん慣れてくるとバッハの旋律がイタリア・オペラに聞こえてくるから不思議だ。
それにしても、高橋の深い声と柴田のフルートの相性の良さが抜群で惹きこまれる。続くレチタティーヴォでは最後のtanti Augusti(白沢訳でいうところの「才人続々の」)の部分など、表情でも歌詞の内容が伝わってきた。そして、最後のアリアでは船乗りのように大海原へ出発しようと歌い上げ、船出(=スクランブル)「宣言」がなされる。
チェンバロ・フルート・ヴァイオリンと3人のソリストを擁する三重協奏曲の第1楽章では、ソリスト同士の掛け合いが素晴らしく幸福な気持ちになった。チェンバロの音運びと拍節感からくる独特のグルーブにバッハらしさが溢れる。ソリスト3人はもちろん、リピエーノ奏者たちの巧者ぶりも聞き逃せない。
休憩後の後半は、柴田が「パスティッチョ」と表現したさまざまな時代の音楽のミックス。本来パスティッチョという用語は17~18世紀のオペラにおいて複数の作曲家の別のオペラなどからの寄せ集めで上演されたオペラのことを指すので、これをパスティッチョと呼ぶのはかなりの拡大解釈になるのだが、“”付きのパスティッチョというのであれば、言えなくもないかもしれない。公演に先立っておこなわれた柴田のトークによれば、後半には「ロックLockeからロックRockへ」という隠れテーマがあった。17世紀のマシュー・ロックから20世紀のロック・ミュージック(ビートルズ)までを広くカヴァーし、しかも、ビートルズの編曲者はルチアーノ・ベリオと20世紀を代表するクラシックの作曲家という凝った趣向。
M.ロックの《カーテン・チューン》ではヴァイオリン奏者が楽器を肩の下で構える17世紀式の奏法。そこから一気に《イエスタディ》と《ミッシェル》は高橋の独擅場。そこから今度はヘンデルへと時代が一気にバロック時代に引き戻される。サラバンドはテンポの遅い曲で、そこに入れられる装飾にセンスの煌めきが聴かれた。《Lascia chi’io pianga涙の流れるままに》はさすがのクオリティ。
パーセルのロンドーからの各楽器のソロでは、これまでバックでまとめて聞こえていた奏者1人1人にスポットライトが当てられ、ポピュラー系のコンサートなどで長い間奏の間に1人ずつソロを入れながらバンドメンバーを紹介していくやり方とオーバーラップしてみえた。
《私が地に伏すとき》のテオルボとソプラノの絡みがジャズっぽくて粋なのだが、そこにチェロ、続いて他の弦楽器が入ってくるといきなりパーセルの世界が広がり、その対比に圧倒される。この1曲の中に何層ものクロスオーバーが仕込まれている。ふと高橋の声を聴きながら、彼女の高音がただ高い音を美しく正確に出すということではなく、あくまでも表現の一部になっていることに気づく。フィギュア・スケートで高い点数のためのジャンプではなく、表現の流れの一部としてジャンプを飛ぶというのと同じイメージ。そして、最後は静けさの極みの1曲で演奏会は閉じられた。
能舞台の上に紫色の毛氈を敷き、演奏者はみな白足袋。それが奇異に見えなかったのは、高橋が能役者の所作を取り入れたり、柴田が切戸口を上手く使っていたりとその場所を活かす心配りがなされていたゆえであろう。そういった意味でも情報量の多い演奏会であった。第2回は企画者を交代するのだという。次もまた楽しみである。
(2023/2/15)
Collegium Space 415:
TAKAHASHI Michiko, soprano
DEGUCHI Minori, violin
TORIU Marie, violin
SATO Shunta, viola
SHIMANE Tomofumi, cello
FUSE Sakuhiko, violone
HASEGAWA Taro, bassoon
NAKAGAWA Gaku, harpsichord
AMANO Toshihiko, violin solo
SATO Akiko, theorbo
SHIBATA Toshiyuki, flute(artistic leader)
Cover:SATO Yukie, soprano
Johann Sebastian Bach: Cantata No. 209 “Non sa che sia dolore” BWV209
J.S.Bach: Concerto in A minor for Harpsichord, Flute, Violin, String and Basso continuo BWV1044
–intermission–
Matthew Locke: Curtain Tune from the Tempest
John Lennon & Paul McCartney(arr. Luciano Berio): “Yesterday” , “Michelle I” by Beatles Songs
George Frideric Handel: Sarabande from Suite in B-flat major HWV354 ~ “Lascia ch’io pianga” from Rinaldo HWV 7
Henry Purcell: Rondeau from Abdekazer Suite – Improvisation
H. Purcell: “When I am laid in earth” from Dido and Aeneas
H. Purcell: Diocletian Z 527. “Soft Music”