小人閑居為不善日記|嘘と虚構――《SPY×FAMILY》、《チェンソーマン》、《4人はそれぞれウソをつく》|noirse
嘘と虚構――《SPY×FAMILY》、《チェンソーマン》、《4人はそれぞれウソをつく》
Lies and Fiction
Text by noirse
※《鎌倉殿の13人》、《パラサイト 半地下の家族》、《ワンダヴィジョン》、
《チェンソーマン》、《攻殻機動隊 SAC_2045》、《4人はそれぞれウソをつく》
の内容に触れています
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2022年が幕を閉じた。今回は昨年話題になったアニメやドラマ、映画をいくつかピックアップして、そこから窺える傾向について書いていきたい。
まずは大河ドラマ《鎌倉殿の13人》。主人公の北条義時は辺境の一武士から幕府の執権にまで上り詰めるが、その過程で権謀術数を図り、源氏一族や戦友たち、家族まで騙して、必要とあらば暗殺していく。その結果、義時も家族の手にかかって命を落とす。
比較してみたいのは、昨年アニメ化された《SPY×FAMILY》だ。主人公は凄腕のスパイだが、任務のため急遽家族を作ることが必要となり、素性を隠したまま孤児の女の子を娘に、公務員の女性を妻とした疑似家族をでっちあげる。この二人にも誰にも知られてはならない秘密があったが、正体を偽った家族生活を送るうち、互いに心を通わせていくようになる。
象徴的なのは、彼らが自宅で楽しく団欒を過ごすアニメ二期のエンディングだ。ここまでベタな「理想の家族」像は久々に見たが、それが虚構の上に成立していると思うと皮肉でもある。
家族というテーマは普遍的な、言わば手垢のついたものだが、ここ数年ほどは疑似家族ものがちょっとした流行になっていた。是枝裕和監督の映画《万引き家族》(2018)や《ベイビー・ブローカー》(2022)、細田守監督の劇場アニメ《バケモノの子》(2015)、それに《竜とそばかすの姫》(2021)も、主人公が疑似的な母になっていく話だった。
《鎌倉殿》の義時は、嘘まみれの生きかたが災いし、家族に裏切られるという結末を迎えた。だがこれは逆に言えば、正直に向き合っていれば「幸せな家族」が実現できていたということだ。けれど現在はまず、家族を作ることのハードル自体が高くなっている。経済問題によって若者の結婚への意識が低下しているという話を耳にしたことがあるだろう。
ところがこうした疑似家族ものにも、少しずつ変化が訪れている。アカデミー作品賞受賞作《パラサイト 半地下の家族》(2019)は、困窮に苦しむキム一家が巧みな嘘を用いて資産家のパク一家に取り入り、家屋や財産を乗っ取ってしまおうとする映画だった。これは厳しい現実を虚構によって逆転させ、「幸せな家族」へと生まれ変わろうという試みとも言える。
マーベル作品についても同じことが指摘できる。映画《ブラック・ウィドウ》(2021)は典型的な疑似家族ものだったが、ドラマ《ワンダヴィジョン》(2021)は、主人公ワンダの魔力によって「幸福な家族」という虚構を無理矢理打ち立ててしまう話だった。
《SPY×FAMILY》はこれらの作品と地続きにある。《鎌倉殿》の時代には嘘は家族を崩壊させる悪手だったが、《SPY×FAMILY》では逆に嘘や虚構を用いなければ、家族を手に入れることはできないのだ。
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次は家族というテーマから離れ、虚構と現実の関係について見ていきたい。まずは、これも昨年アニメ化された《チェンソーマン》だ。
《チェンソーマン》で描かれる世界観は、作者の藤本タツキ風に言うと、「現実はクソだ」となるだろう。主人公のデンジは父親の借金を背負っているため極貧生活を送っており、片目や腎臓さえ売り渡していて、それでも毎日の食事は食パンがせいぜいで、ジャムさえ買うことができない。彼の夢はひとつ、「普通の生活」を送ることだ。
一方で藤本作品では虚構、フィクションが称揚される。藤本は様々なマンガや映画からの影響を公言しており、多くのパロディやオマージュを指摘されている。その屈託のなさはデビュー長編《ファイアパンチ》(2016-18)や中編《ルックバック》(2021)でのフィクションへの強い憧憬にも表れているし、フェイクドキュメンタリーの手法を駆使した《さよなら絵梨》(2022)を読むと、クソな現実を虚構の力で攪乱したいという思いが伝わってくる。
原作でのデンジのセリフに「アンタの作る世界に糞映画はあるかい」というものがある。デンジの敵が理想とする世界に対する疑義なのだが、現実はクソだと思いつつ、かけがえのない仲間と出会ったその世界を肯定したいとデンジは考えている。であればそう言えばいいのだが、クソな現実を率直に受け入れるのも癪なのだろう、現実を映画に置き換えないと肯定できないという、持って回った虚構賛美になっているわけだ。
もうひとつ象徴的なのはアニメ化に際しての炎上騒ぎだ。監督の意図で「映画的」な演出が施されたことに不満な一部のファンが、原作に忠実に作り直すよう訴えかけるという騒動が起きている。
映画的と言っても色々あるが、《チェンソーマン》の演出は長回しとロングショットを多用し、デンジを巡る過酷な現実を細密に表現する、雑にたとえれば「リアリズム」だ。原作ではブラックコメディめいた要素が多分にあるが、そちらはいくつかオミットされている。
とすると、原作に忠実にしてほしいというファンの要望は、現実に準拠したアプローチではなく、虚構をそのまま虚構として作品化してほしいというものだ、と言える。現実より虚構を。これは藤本作品のテーマそのものだ。つまりこの騒動自体が、藤本タツキ的な状況と形容できるのである。
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同じことはやはり昨年アニメ化された《異世界おじさん》からも窺える。人間不信の気がある「おじさん」は,人生における大切なことをすべてSEGAのゲームから学んだような人物だ。おじさんの生きかたは、「クソな現実」を虚構の力で乗り越えようというものだろう。
さらに一歩進んでみたい。《攻殻機動隊 SAC_2045》は「攻殻機動隊」シリーズ最新作で、前半が2020年に、後半が昨年配信された。全世界同時デフォルト発生後、ゆるやかに破滅が進んでいく中で起こる、ポストヒューマンと攻殻機動隊との戦いを描いている。
この作品で目を見張るのは最終回だ。戦況は核ミサイルの発射にまで切迫するが、ポストヒューマン側がヴァーチャル状態を作り出し、ミサイルが炸裂した世界としなかった世界に分岐させてしまう。ポストトゥルースが乱立し、人々が断絶して軋轢が生じるならば、世界そのものを選り分けてしまえばいいという発想だ。
事態が大きすぎてピンとこないのならば、こちらもマンガ原作で昨秋アニメ化した《4人はそれぞれウソをつく》を見てみよう。女子高生の友達グループの掛け合いを描いたギャグアニメなのだが、4人はそれぞれ宇宙人、忍者、エスパー、男であることを隠していて、嘘をつくことで何とか友情を成立させている。
しかしその状態がずっと続くことはなく、最終話で各自の嘘が露見する。宇宙人の子の特殊な力によって時間が巻き戻り、平和な日々へ戻っていく。時間のループは世界の並列化を意味する。現状維持のために世界を分岐させていくという点で、規模さえ違えど《SAC2045》に似た発想だ。
VtuberやVRなど、オンライン上のコンテンツやコミュニケーションの虚構の度合は増しており、そちらの方が現実より楽しいという人も中にはいるかもしれない。しかしたとえばイーロン・マスクのTwitter騒動のように、その居場所もいつ終末を迎えるかは分からない。《4ウソ》はそのような状況を、ギャグに塗して表しているとも言える。
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《SPY×FAMILY》の「幸福な家族」像や《4ウソ》の友情は、嘘で築き上げられた砂上の楼閣だ。友人同士や家族であっても当然隠しごとはあるものだが、これらの作品の嘘は、エスパーや宇宙人など土壌が大きく異なった者たちによるものだ。
これは社会問題とも繋がっている。たとえばジェームズ・キャメロンによる13年振りの新作、《アバター:ウェイ・オブ・ウォーター》。主人公サリーは地球人ながら、異星人ナヴィにアバター化した。サリーはナヴィ族の娘ネイティリと結婚したが、ネイティリからすればエイリアンと契りを結んだに等しい。しかし彼らはすべてをさらけ出し、理解し合っているから結束できる。これは明らかに現在世界を取り巻く差別問題や「分断」状況を意識していて、他者であっても分かりあえるというメッセージが込められている。
しかし《SPY×FAMILY》や《4ウソ》では、真実を告白し、理解を求め合うことはない。言い換えれば、理解を求め合おうとすることの弊害を避けているとも言える。SNS上などでの保守とリベラルのやり取りの大半は理解し合うような態度ではなく、悪罵の応酬で終わってしまう。であればいっそ理解しようという態度など不要という考え方だ。
そこで必要とされるのが虚構なのだろう。《チェンソーマン》が示す通り、「クソな現実」の中で平穏な日常をやり過ごすには、虚構を必要とする者もいるのだ。そういった作品がいくつも生まれ、強い支持を得る。これが2022年の状況ということなのだろう。
ただ《4ウソ》が示す通り、虚構の上に張り巡らされた日常も、いつか終わりが来る。それはマスクのような権力者によるサービスの終わり程度で済むのか、それとも遠いウクライナで起きている戦争のようなものなのか、それは分からないが、これもおそらく確かなことなのだ。
(2023/1/15)
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noirse
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