イギリス探訪記|(3)戦死者を悼む|能登原由美
(3)戦死者を悼む|能登原由美
Another side of Britain (3) Mourn the fallen
Text & Photos by 能登原由美(Yumi Notohara)
第一次世界大戦で激しい死闘が繰り広げられたフランダースの地で、カナダの詩人ジョン・マクレーは、あえなく命を落とした戦友を弔った。その後、そこには赤いポピーの花が一面に咲き乱れたという。詩人はその様子を「フランダースの野に」と題する一編のテクストに紡ぐ。詩はやがて広く知られるようになり、日本で「ケシ」と呼ばれるその赤い花は、祖国を守るべく戦った兵士への敬意、あるいは犠牲になった人々への弔意を表す象徴になった。
イギリスでは毎年11月が近づくと、この赤い花弁を象ったバッジを目にするようになる。
まずはテレビ。それがなんらかの意思表示であるかのように、キャスターらはこぞってその飾りを胸につけ始める。日本で言えば、「赤い羽根・緑の羽根」のようなものかもしれない。ほぼ同じ頃、行き交う人々の襟元にも赤いものがちらつくようになる。今度の滞在中も、10月の終わりが近づくにつれ目に入ることが多くなった。その数は日毎に増し、11月の初めになるとかなりの割合にのぼった。ちょうどその頃、3日ばかりパリに赴くことがあったが、ここでは誰もつけていない。フランスもイギリスと同じく、「大戦争」と呼ばれるこの最初の大戦で兵士を中心に大きな犠牲を払ったはずだが…。どうやら、フランスの場合は青い矢車菊がそれに相当するらしい。とはいえ、花のバッジと引き換えに行われている募金活動は、ロンドンでは主要な駅で必ず見かけたが、パリではほとんど目にしなかったように思う。
赤いポピーがこの時期を彩るのは、毎年11月11日に戦死者の追悼式が行われるためだ。第一次世界大戦の休戦協定が、1918年11月11日午前11時に発効されたのを記念してのことである。これはフランスやベルギーでも同じようだが、イギリスの場合、国会議事堂や首相官邸など政府機関の集まった地区の通りに戦争記念碑があり、そこで国王以下政府要人を擁した追悼式が行われている。さらに、直近の日曜日には、全国に点在する戦争記念碑の周りでも市町村レベルでの慰霊祭が挙行される。細かな式次第は場所によって異なるかもしれないが、いずれも午前11時を合図になされる2分間の黙祷が中心となるもので、その前後に軍隊ラッパによって吹奏される「ラスト・ポスト」も一連の儀式において象徴的な役割を果たしているようだ。それにしても、全国各地で同日同時刻に同じ行事を行うとは、祖国のために散った命を悼む気持ちは共通するということであろうか。いやむしろ、国の中枢から辺境の小さな村落に至るまで、イギリス全土が一つの共同体としての意識を再確認する場になっているのかもしれない。
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実際、この国家行事は地方の人々にどの程度浸透しているのか。王族たちの居並ぶ壮大な式典も良いが、私が住んでいるロンドン近郊の小さなタウンでも大きな行事があることを知り、そちらに出向くことにした。市の広報サイトによれば、市内中心部にある教会前の戦争記念碑に向けて、10時半から行進がスタートするという。規模や格式は大きく異なるに違いないが、どうやら似たような光景が繰り広げられるらしい。
早めに出かけたつもりであったが、着いた時には雨模様にもかかわらず、行列参加者のほか大勢の見物客でメイン通りは既に埋め尽くされていた。とりわけ、儀式が行われる記念碑の辺りにはもはや近づくことができない。関係者以外に集まる人はそれほどいないだろうと高を括っていた私の考えは、どうやら甘かったようだ。とりあえず、比較的空いていた行進出発点付近に陣を取り、その様子を眺めることにした。
陸海空軍の士官学校の生徒たち、さらに警察や消防署の関係者など、いずれも「国を護る」べく様々な制服に身を包んだ人々が隊列を整えながら進んでいく。その後には、スカウトのメンバーらしき子供たちの一団。沿道には、その家族と思われる人たちも詰めかけている。我が子の様子をスマホなどに熱心におさめている姿が微笑ましい。まるで祭りのパレードか何かのようだ。通りのあちこちに掲げられた大小の赤い花弁も、慰霊というよりむしろ華やかな気分を盛り立てるものに見えてくる。こうした和やかで明るいムードは、中央とは異なるのかもしれない。通りの向こうには、ブラスバンドと合唱隊が構えているようだ。人垣で全体の様子はわからなかったが、様々な楽の音だけはよく聞こえてきた。そしていよいよあの「ラスト・ポスト」。大きな背と頭に遮られて結局その音の主を見つけることはできなかったが、曇天に響き渡る旋律に耳を澄ませていると、それまでの柔らかな空気が一転し、戦地の空が今にも蘇ってくるかのようであった。やがて最後の一音が鳴り止み、2分間の黙祷。その後、要人たちによるリースの献花、英国国教会の教区牧師らが執り仕切る儀式が続いていった。
後で知ったことだが、この戦没者追悼式には数百人の見物客が集まったらしい(ちなみに市の人口は8万2千人余り)。決して多い数字ではないが、100年以上も昔の戦争犠牲者を悼む行事にこれほどの人々が集まったとあれば侮れない。しかも小さな地方都市でのこと。首都で行われる儀式のように、国の最高権力者たちが臨席し、随一の軍楽隊に伴奏される壮麗な行進といったスペクタクルに遭遇できるわけではない。にもかかわらず、これだけの人々が繰り出しているのだ。これが全国各地で行われていることを考えると、その意味の重さがズシリと頭にのしかかってくる。
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翌日はロンドンの戦争記念碑へと足を運んでみることにした。国王らが列席する追悼式のニュース映像を見ていると、勇壮な音楽や厳粛な行進以上に、赤いポピーのリースが次々とこの石碑に供えられていく様子が気になったのである。
広い通りの中ほどにある記念碑の周りには見物用スペースが設けられ、そのために左右の車線が一つずつ規制されていた。まさに私と同じような考えを起こす人が多いためであろう。訪れた時はちょうど小学生の一行が周囲を取り巻き、先生に導かれながら一面に広がるリースの絨毯を眺めていた。私も彼らの後を追いかけながら地面に目を走らせる。よく見ると、それぞれのリースにはいずれもメッセージが書き添えられている。囲いがあるために近づくことはできないが、スマホのカメラを使って拡大させながら、それらの文字を読み取ってみる。戦死者を追悼する決まり文句のようなものもあれば、個人の名前とともにそのありし日の姿を讃える文面もある。
意外にも、2つの世界戦争に触れたものばかりではなく、フォークランド戦争に従軍した人を偲ぶ言葉も多くみられた。そうだ、この国ではその後100年余りの間でも、戦争は断続的に行われてきたのだ。恐らく全てを見ていけば、もっと多くの紛争の名を目にするのだろう。ボスニアやコソボ、イラク戦争など、各地の争いに何らかの形で関わってきたことも含めると、ここではまだ戦争は終わっていない。いや、今後もずっと終わらないのではと思えてくる。
ふと、「ラスト・ポスト」の節が頭をよぎった。ニュース映像に流れたロンドンのラッパは、さすがに技量豊かで、力強く凛々しいものであった。生前の勇姿を讃える調べとしてはそれが良いのだろう。が、私の住む街で聞いたその音はもっと弱く、どこか悲しみを帯びたものであった。祖国を護るとはいえ非業の死を遂げた死者を悼み、彼らの永遠の安息を願うものであるならば、むしろこちらがふさわしい。少なくとも、友の屍を埋めた野に咲くポピーを謳ったマクレーの言葉には、戦死者の無常に対する憐れみが滲み出ているように思われる。
(2022/12/15)