サー・サイモン・ラトル指揮 ロンドン交響楽団 日本ツアー2022|秋元陽平
サー・サイモン・ラトル指揮 ロンドン交響楽団 日本ツアー2022
Sir Simon Rattle and London Symphony Orchestra JAPAN TOUR 2022
2022年10月7日 東京芸術劇場 コンサートホール
2022 /10/7 Tokyo Metropolitan Theater Concert Hall
Reviewed by 秋元陽平 (Yohei Akimoto)
Photos by T.Tairadate©︎
<キャスト> →Foreign Languages
指揮:サー・サイモン・ラトル
<曲目>
ベルリオーズ:序曲「海賊」op.21
ドビュッシー:劇音楽「リア王」から 「ファンファーレ」、「リア王の眠り」
ラヴェル:ラ・ヴァルス
ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調(B-G.コールス校訂版)
頭を悩ませる素晴らしさであったというべきか。
前半はフランスもの三点。ベルリオーズのきらびやかなショウビズの世界が、ラトル一流の、真空を嫌うかのようなフレーズの数珠繋ぎによって一気に幕を開ける。オーケストラを煽る指揮者が犠牲にしがちなそのめくるめく色彩とテクスチュアも全て高解像度で展開され、ああ、これがロンドン響の、ラトルのハイ・ヴィジョンだ、と気をそそられる。続くドビュッシーのリア王では音のタブローにぐっと沈潜し、壁画的な威容を黄金のブラスセクションが堂々と張りわたすさまに息を呑む。
こうして素晴らしいアミューズ・ブッシュをふた皿味わってから、ラヴェルへ。ここで何が頭を悩ませたかというと、パロディへの徹底ぶりである。露骨にかき鳴らすハープ、どろどろのスープをかきまぜるような低弦、ありとあらゆる要素が誇張され、ラヴェルのウィンナワルツへのパロディにいくらか潜んでいた懐古趣味の真摯さは吹き飛んで、むしろシェイクスピア的なけたたましい怪笑へと変貌する。ありかなしかと言えば、なしとはいえない。どぎつい美しさがある。しかし、クライマックスに至るパロディとシリアスの攻防戦の構築がいささか簡略化されていやしないか。
ブルックナーの7番にも、はたまた頭を悩ませる。果たしてこの曲は、こんなに絢爛たる、こんなに映像的な音楽だったのか。たとえば第二楽章のワグナーチューバの稠密なる輝き、その金色の海にとぷんと潜っていく木管楽器の艶やかさ、ストップモーションで味わいたいくらいの、今年でも有数の「耳に福ある」瞬間が訪れたことは否めない。この日はテンポの無理な牽引もなく、ごくごく整然と音楽の流れが生み出されていった。だが、このように隅々まで高解像度化されたことによって、ブルックナーの作品の訥弁ぶりそのものが、むしろ奇妙な余剰として立ち現れる。一体これほどの精密な演奏がなぜ、このようなまわりくどくのたくった音楽(言葉の綾が通じない時代であるから明記するが、もちろん、褒め言葉である)を演奏するのか、という根本的疑問のようなものが。まるで身なりの良い紳士が、全く理屈に適わぬ誇大妄想を、滑舌良く、整然と打ち明けてきたかのような感覚がある。私は今日のロンドン響ほどに豊穣で明晰なオーケストラのサウンドを聴いたことはここしばらくないと思うが、このような疑問に頭を悩ますことができるためには、極上のセッティングが不可欠だ。それゆえにこそ、ブルックナーにはそれに尽くされないナラティヴの魅力がまだ眠っているとも感じられるのだから。いずれにせよ、ラヴェルとは、ブルックナーとは、と立ち止まって考えてしまうような、割り切れず、行ったあとに観客と意見を交換したくなるような、つまるところ、価値ある演奏会であった。
(2022/11/15)
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<Cast>
Sir Simon Rattle (Cond.)
<Program>
Berlioz: Overture “Le Corsaire” op.21
Debussy: “Fanfare” and “le sommeil du Lear” from “le Roi Lear”
Ravel: La Valse
Bruckner: Symphony No.7 (Benjamin-Gunnar Cohrs Edition)