アンサンブル室町15周年記念演奏会「会話kaiwa」|西村紗知
アンサンブル室町15周年記念演奏会「会話kaiwa」
Ensemble Muromachi 15th Anniversary Concert (KAIWA)
2022年10月13日 武蔵野市民文化会館小ホール
2022/10/13 Musashino Civic Cultural Hall Small Recital Hall
Reviewed by 西村紗知(Sachi Nishimura)
Photos by bozzo/写真提供:アンサンブル室町
<出演・スタッフ> →foreign language
芸術監督:大平健介
委嘱作品・世界初演:新実徳英
演出:長久允
モノローグ:湯川ひな
指揮:鷹羽弘晃
アンサンブル室町
和楽器
尺八:黒田鈴尊、田嶋謙一、長谷川将山
笙:管原ユーリ
箏:平田紀子、森梓紗
鼓:多田恵子
古楽器
バロックヴァイオリン:須賀麻里江、高岸卓人
バロックチェロ:北嶋愛季
パイプオルガン:大平健介
打楽器:篠田浩美
照明:松本永(eimatsumoto Co.Ltd.)
<プログラム>
新実徳英:
<横豎>
<風韻 Ⅱ>
<ロンターノ C.>
<風の舞> *新作初演
~休憩~
<風神・雷神>(以上、アンサンブル室町版)
<土の舞>*新作初演
「私」は、この演奏会においてその都度方々から発される声、息、風、その発生源となるところの「私」とは、何によって生まれるか。「私」が生まれるところに、そこには何か、形象のない言語とでも言ってしまいたくなるような、つまりは言語以前の言語というような、何かがある。
開演前、80年代らしい洋楽ロックの楽曲がかかっていて、照明は複数の色で上向きに照射されている。
この日の作品の演奏前には、俳優・湯川ひなによる朗読が入る。最初の台本は「声」。この台本のうちには「私は言葉をもたない」という一筋があって――このモノローグの直後に始まる今回の「横豎」は、チェロ独奏曲に小鼓が加わったものだったのだが、チェロの、低音でぐぎぎぎ、と唸るのは声なき声のようで、確かに「私は言葉をもたない」。そこに加わる小鼓は、まずもってその音程とアタックの感覚、音色の多様さに驚くものだったが、この二つの楽器は双方が異化を被る。互いの干渉で新しい声として生まれ変わる。
朗読「ぬ」では、「山の中」で「赤い目の獣」に遇う。直後の「風韻 Ⅱ」の尺八とバロックヴァイオリンはどこか動物のようだ。元々は尺八三重奏曲で、これは「鹿の遠音」をモティーフにしたものだ。全体的にモノフォニックなつくりの音楽で、近い音域で少しずつタイミングをずらしながら3本の尺八が鳴き交わす。バロックヴァイオリンから発されるものもまた、音程の感覚がしっかりしていても鳴き声といったニュアンスのように感じられたが、この両者のアンサンブルは材質の違いが際立つ。風の音と木の音。
朗読「cervoが鳴いている」の台本には、「プールの鹿」「捨てられた受話器」「届かない声」といった言葉が並ぶ。「ロンターノ C.」は「遠くの鹿」といった意になるだろうけれども、オルガンと尺八のアンサンブル作品。それぞれ別の素材を通じて息の流れが音になって、不思議と違和感のない組み合わせである。ただ、オルガンの方がパルス音を安定して鳴らす技量をもつため、音楽の土台はオルガンがつくることとなった、という印象。オルガンのツーツー、という音型を聞くと、直前の朗読にあった「捨てられた受話器」「届かない声」という言葉をすぐに想起することとなった。ここでも尺八は鹿のことだっただろう。
東南アジアのどこか特定の土地のことであろう、かつての占領地に日本人が訪れる様子が描かれた朗読「風」、その直後の「風の舞」は、個人的には何か恐 ろしい印象を抱いた。箏と十七絃のかたかた鳴る音色に、骨のイメージを連想したからだろうか。この日のどの作品でもそうだが、音型の操作、変奏が緻密で、歴史の状況如何では 決して共にアンサンブルを行うことはなかったかもしれないような組み合わせの楽器が、音素材の変奏を実に巧みに担うのであって、そうすると、一体今聞いている音楽が自然なのか不自然なのか、だんだん判然としなくなっていく。聴いている側の経験のなかで自然が揺らぐのであるから、恐ろしい。
休憩中は、鳥の鳴き声と小川のせせらぎの環境音が流れている。
朗読はこれが最後となる。「宗教画みたいな空だ」では、病気の母に山羊の乳を、スクーターに乗って運びに行く。「風神・雷神」、は西洋の大太鼓(グラン・カッサ)のどかーん、という一撃に始まる。オルガンの低音のドローンが加わる。後半にはきちんと旋律的な展開も用意されている。グラン・カッサの名人芸的な一打一打とオルガンの即興的な句とが対比されていく。
最後「土の舞」では、客席に向かってライトが照射され、まぶしい。この日の出演者全員によるアンサンブルで、和楽器、古楽器の鳴き交わしが再び、それにE-G-A-H-Fの音型は、確か「風の舞」にも用いられていたように思った。人数が多いためか、アンサンブルとして成立させるために、西洋音楽らしい方にアンサンブルの取りまとめの感覚が収束していったように思え、その点個人的には「風の舞」の方の不安定さに心惹かれるものが多かった。
今この原稿を書き終わった「私」なら、この日の作品のことを思い出すとき、音楽のことを考えるのを少し忘れた。その代わり、音楽が成立するよりも前にどんなことがあるのか、ゆっくり想像した。それは、呻きや肉だった。声帯をただ震わせるだけの声だった。舞台上の楽器をその度ごとに振動させる、空気の振動だった。
きっと、何かささやかなものなのだろう。音楽以前にあるもの。合わさらない声、やっとのことで音像を結ぶ音の数々。そんなことを思っていた。
(2022/11/15)
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<Artists, staff>
Artistic Director: Kensuke Ohira
Composer: Tokuhide Niimi (commissioned work, world premiere)
Director: Makoto Nagahisa
Monologue: Hina Yukawa
Conductor: Hiroaki Takaha
Ensemble Muromachi
Japanese traditional instruments
Shakuhachi: Reison Kuroda, Kenichi Tajima, Shozan Hasegawa
Sho: Yu-ri Sugawara
Koto: Noriko Hirata, Azusa Mori
Tsuzumi: Keiko Tada
Period instruments
Baroque violin: Marie Suga,Takuto Takagishi
Baroque cello: Aki Kitajima
Organ: Kensuke Ohira
Percussion: Hiromi Shinoda
Lighting: Ei Matsumoto(eimatsumoto Co.Ltd.)
<Program>
Tokuhide Niimi:
< Ohju>*
< Fuin II> *
<Lontano C.> *
<Kaze no Mai> world premiere
-intermission-
<“Fujin Raijin” (The God of Wind, The God of Thunder)>*
<Tsuchi no Mai> world premiere
* Ensemble Muromachi ver.