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パリ・東京雑感|ウクライナ戦争から憲法第九条を考える|松浦茂長

ウクライナ戦争から憲法第九条を考える
Pacifism from Romain Rolland to Gorbachev

Text by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)

朝日新聞の「政治季評」を書いていた政治学者、豊永郁子教授が2ヶ月ほど前に寄稿した文章が、トゲのように胸に突き刺さってとれない。

ゼレンスキー大統領

豊永氏は、ウクライナのゼレンスキー大統領を、戦争にかりたてる無責任な政治家と非難する一方、日本国憲法第九条は、「ウクライナで今起こっていることが日本に起こることを拒否していたのだ。」と平和主義の価値を再評価する。

市民に銃を配り、すべての成人男性を戦力とし、さらに自ら英雄的な勇敢さを示して徹底抗戦を遂行するというのだから、ロシアの勝利は遠のく。だがどれだけのウクライナ人が死に、心身に傷を負い、家族がバラバラとなり、どれだけの家や村や都市が破壊されるのだろう。どれだけの老人が穏やかな老後を、子供が健やかな子供時代を奪われ、障害者や病人は命綱を失うのだろう。大統領はテレビのスターであったカリスマそのままに世界の大スターとなり、歴史に残る英雄となった。だが政治家としてはどうか。まさにマックス・ウェーバーのいう、信念だけで行動して結果を顧みない「心情倫理」の人であって、あらゆる結果を慮(おもんぱか)る「責任倫理」の政治家ではないのではないか。(豊永郁子『抗戦ウクライナへの称賛、そして続く人間の破壊』朝日新聞8月12日)

この寄稿が突き刺さったのは、僕のなかに豊永教授に通じる「平和主義」があったからに違いない。
ロシアがウクライナに侵略した日、僕はゼレンスキーの勇気に感動し、彼が殺されないよう祈った。
でも戦争が長引き、町が破壊され、市民が虐殺され、双方の兵士が殺される生々しい映像を毎日見続けるのは苦しい。「いい加減やめてくれ」と叫びたい気持にもなる。豊永さんは「英米の勧める亡命をゼレンスキー氏が拒否し、『キーウに残る、最後まで戦う』と宣言した際には耳を疑った。」と書いているが、ゼレンスキーが、アフガニスタンの大統領みたいにさっさと亡命していれば、ウクライナ人もロシア人もこんなに死ななくてすんだのに、と別のシナリオを空想したくもなる。――僕のなかの「平和主義」、それはただのエゴイズムだったのか? (豊永さんは、第二次大戦で早々と休戦したフランスを高く評価している。今のフランスは、ユダヤ人の収容所送りを積極的に手伝った大戦中のフランスを恥じているのだが……)

ロマン・ロラン

数年前から、平和主義について考えようと、夏になるとロマン・ロランを読んできた。この夏は少し馬力をかけて読んで、答えを出そうとあせったのだが、頭の中は混沌としたままだ。
なぜ、ロマン・ロラン? 彼は第一次大戦が始まり、ドイツもフランスも愛国の熱気に浮かされたとき、「戦いを超えて」という短い文章を書き、その中で自国の戦いは「聖戦」、敵は「野蛮」と決めつけて、お互いの憎悪を増幅する独仏の作家、宗教者、哲学者らを名指しで批判した。この一文のために、ロマン・ロランは国民的憎悪の的になり、「平和主義者」ロランの受難は死ぬまで続く。
学生時代、ソルボンヌ大学で聞いたアントワーヌ・アダン教授の文学史は絶妙の話術にうっとりさせられたものだが、あるとき「いま君たちはロマン・ロランを読まない。彼は偉大な作家です。読みなさい。」と怒鳴った。当時、日本の学生は『ジャン・クリストフ』を読むか、少なくとも書名を知っていたのに、本国では忘れられた作家だったのか、とびっくりした。彼の不人気は、「平和主義者」のレッテルがわざわいしたのかも知れない。

第一次大戦の開戦3ヶ月後に、ロマン・ロランは、『正義のために苦しむ国民へ』を書いている。ドイツはベルギーに対し軍隊の通過権を要求したが、ベルギー国王アルベール1世は「ベルギーは道ではない、国だ」と言って拒絶。時代遅れの装備の軍隊を総動員して、3ヶ月持ちこたえた。ゼレンスキーのように国民を無謀な戦争に引きずりこんだベルギー国王だが、ロマン・ロランは彼を批判しない。

ベルギーの小軍隊は、3ヶ月の間、巨大なドイツ軍に逆らった。勇士にとりまかれたアルベール王の武勲は、すでに伝説的高みにある。名誉を守るために、不平ひとつ言わず、自己を犠牲に捧げ尽くしたベルギー国民のヒロイズムは、勝ち誇るドイツ精神が現実主義を世界に押し広めてしまった時代に、雷鳴のようにとどろきわたった。それは、力と利益を追求する現実主義によって押し潰されてしまった西欧理想主義の復活を意味する。理想主義を呼びさます闘いののろしを上げたのが、ベルギーのような小国だったのは、奇跡とさえ思われる。(ロマン・ロラン『正義のために苦しむ国民へ』)

ロマン・ロランのベルギー讃歌を読むと、そのままウクライナ讃歌に置き換えたい誘惑にかられる。アルベール王=ゼレンスキー大統領=「伝説的武勲」、ドイツ=ロシア=「力と利益の現実主義」、ベルギー=ウクライナ=「理想主義の復活」。それはともかく、ロマン・ロランの平和主義は、被侵略国が血を流して戦うことを禁止するどころか、むしろ賞賛する戦闘的「平和主義」なのである。

開戦2ヶ月目の文章に『二つの悪のうち、どちらがましか?汎ゲルマン主義か、汎スラブ主義か?』がある。
ロマン・ロランの判定によれば、戦闘の残忍性においてドイツとロシアに甲乙つけがたい。
精神についてはどうだろう?

私はベートーヴェン、ライプニッツ、ゲーテの子である。しかし今日のドイツに私は何を負っているのか。ワグナー以来、いかなる芸術を構築したのか?
40年あまり前から、私たちの肥沃な土地が私たちの空腹を満たすに足りなくなったときに、私たちの精神の糧、私たちの生命のパンをどこに求めたか? ロシアの作家たちの他に誰が私たちの先導者であったか? 詩的天才と道徳的偉大の巨人トルストイ、ドストエフスキーに誰を対比させうるのか? 彼らは私の魂を創りあげた人びとである。(ロマン・ロラン『二つの悪のうち、どちらがましか?汎ゲルマン主義か、汎スラブ主義か?』)

クラムスコイによるトルストイの肖像

革命前後のロシアは、シャガール(今のベラルーシ生まれ)、カンディンスキー、ストラビンスキー、エイゼンシュテイン……絵画、音楽、映画、哲学などあらゆる分野に革命的天才が続出している。ロシア史の中で異常な創造的時代なのだ。若々しい創造的精神は、国家の太鼓持ちにはなれない。「クロポトキンにしろトルストイにしろ、名のある者にして、ツァーリズムの罪悪を世界に告発しなかったものがあるだろうか!」(同上)
それにひきかえ、ドイツの最も高名な学者、芸術家20名が名を連ねて、「ドイツはベルギーの中立をおかしていない、ルーヴァンを破壊したというのは事実でない」などと、いまのロシアの御用学者顔負けのウソ文書を発表している。
さらに驚くなかれ、当時の東欧やバルト諸国は、ドイツに支配されるよりロシアに支配された方が良い、と感じていたのである。

ロシアの支配は、ロシアが併呑した小国に対して、しばしば残酷な重圧を加えた。しかし、ポーランド人がドイツの支配よりも、ロシアの支配の方を選ぶのはどうしたことだろう? ドイツ人よ! あなた達がポーランド民族を殲滅させる恐るべきやり方を、ヨーロッパが知らないとでも思っているのか? バルト諸国が、二つの征服者のうちいずれかを選ばねばならない場合には、ロシア人の方がより人間的であるゆえに、ロシアを選ぶ――こう打ち明けるリトアニアからの手紙を受け取ったばかりだ。(ロマン・ロラン『二つの悪のうち、どちらがましか?汎ゲルマン主義か、汎スラブ主義か?』)

この文章が書かれてから108年、ドイツもロシアもなんと大きく変わったことか。
先月ドイツから入ったニュース――ウクライナにいる8,500人のユダヤ人を支えるために、約17億円の緊急基金を設ける。多くのユダヤ人は、家族や親戚がナチの収容所で殺され、身寄りのないお年寄りなので、いますぐ助けの手を差し伸べなければ、という主旨だ。戦闘地帯に取り残されそうになった90歳代の婦人を救急車に乗せ、42時間かけてドイツまで運んだというニュースもあった。「この方たちは、若いとき最悪の屈辱を経験したのだから、いま可能な限り品位ある人生を送れるよう、私たちはできるだけのことをしなければなりません」――これがいまのドイツだ。
ユダヤ人への補償は70年前に始まり、これまでに約11兆2,000億円が支払われたが、来年約1,700億円が追加されることが決まり、ウクライナへの緊急基金はその一部である。ユダヤ人の中には、「なされたことは償うことができない」と考え、補償金の受け取りを拒んだ人も少なくない。ホロコーストを生き残ったユダヤ人にとって、いま気懸かりなのは、生活費よりも、あの記憶が薄れて行きはしないかということだ。そこで、今回の追加補償には、ホロコースト記憶教育基金が設けられた。ホロコースト生き残りの最後の1人が亡くなっても、その記憶を子供達に伝え続けるのである。
ロマン・ロランにこっぴどくけなされたドイツだったが、戦争中に犯した自国の悪を記憶し続ける粘り強さは、天国のロランを驚かせていることだろう。彼の願った「平和主義」とは、国家と国民のこうした回心のことだったのだ。

ゴルバチョフの死を聞いて、ロマン・ロランの戯曲『ロベスピエール』の1場面を思い出した。フランス革命5年目、腐敗と裏切りで革命が破綻して行くのを見て、ロベスピエール周辺の革命家は、一時的に独裁権を握って革命を救うようロベスピエールに懇願するが……

ロベスピエール いいや! わたしが生きているかぎり、誰も、どんなに自信があろうとも、独裁のオノに手を出すことは許さない! たといそれがシンシナトゥス(廉潔によって知られるローマの執政官)のような人物であっても、また行動のあとで、みずからすすんで独裁権を放棄しても、共和国と国民は、その主権を犯す堕落に同意したために汚れてしまうのだ。
わたしは共和国を自分以上に愛している。
君たちの言うように、独裁がただ一つの頼みだ。――しかしわれわれはそれを望まない。それではわれわれ自身を否定することになるからだ。(ロマン・ロラン『ロベスピエール』)

そしてロベスピエールらはギロチンにかけられ、革命は終わる。しかし、共和国の理想は「汚れ」ることなく、歴史に刻み込まれた。

ゴルバチョフ

ゴルバチョフも、党と国家の最高権力者だったのだから、独裁権を握って守旧派勢力の陰謀を潰すことが出来たはずだ。自信のない凡庸な連中が企てたあんなに迫力のないクーデターの罠にかかったのはなぜだろう。
ソ連は1956年にハンガリー動乱を武力で鎮圧し、1968年にチェコスロバキアに武力介入した。力によって押さえつけるのがソ連帝国の常道だったのに、おひざもとの共和国が独立を求めたとき、リトアニアとラトビアで小規模な発砲があっただけで、ゴルバチョフは流血なしにソ連解体を許した。
ベルリンの壁が崩壊しても、戦車を送り込みもしないし、東ドイツ指導者を叱りつけもしなかった。(壁が崩れた翌朝、「ソ連外務省は『織り込み済みです』と冷静です」と気の抜けたリアクションを送って、東京のデスクをかっかりさせた。)ゴルバチョフは、それぞれの国が自分の道を選び、バラエティに富んだヨーロッパが出来上がるのを願っていた。
アメリカのベーカー元国務長官はゴルバチョフが亡くなったとき「ゴルバチョフは背も高くなく、大きな体でもなかったが、彼の全身から快活で楽天的なエネルギーが放射して部屋を満たし、そこにいる皆の気分を高め、勇気づけてくれた」と回想している。ゴルバチョフと一緒に居ると、それまで非現実的な夢に見えたことも、「できる」という確信に変わる。そんな希望の霊気が彼から発散されたのだ。

当時、ソ連の外交政策についてよく話を聞かせてもらっていたモスクワの若い研究者が、「ゴルバチョフさんは世界平和とかヨーロッパの未来とかで頭がいっぱいだったんです。自分の足許が崩れるなんて思いもしなかった。」と言っていたが、彼は権力音痴だったのだろうか? いま振り返って考えると、違うように思える。
ペレストロイカのあの時代、ことがあると数万人の市民がゴルバチョフ支持を叫んでクレムリン近くの広場までデモしたし、クーデターの3日間は、地下鉄のスピーカーを使って市民にクーデターへの抵抗を呼びかけたり、民主派の将校が戦車の兵士に語りかけ、一台一台武装解除していったり、ロシア人の知恵と勇気に驚嘆したものだ。
あれだけの民衆の熱い支持があったのだから、ゴルバチョフは一時的に全権力を自分に集中し、守旧派勢力を一掃すべきだったのかもしれない。(政治情勢が緊張し、10万人以上が集まった日、演壇がいつものトラック上ではなく、ホテルのバルコニーにしつらえられた。後日デモのリーダーに「なぜあんな高い所に?」と聞いたら「ゴルバチョフさんが来るはずだったのです。」と教えてくれた。民衆をアジって議会を襲撃させたトランプとよい対照。)
しかし、それはゴルバチョフがつくり出した民主主義の道をみずから汚すことになる。ロベスピエールのセリフを借りれば、「独裁は国民の主権を犯す堕落に同意することであり、愛する祖国と国民はそれによって汚れてしまう。」ゴルバチョフもそのように考え、行動したに違いない。
ではゴルバチョフも、豊永郁子さんの引用を借りれば「信念だけで行動して結果を顧みない『心情倫理』の人であって、あらゆる結果を慮(おもんぱか)る『責任倫理』の政治家ではない」のだろうか?
いや、彼の「信念」はいわば天啓によって与えられたものであり、1ミリも動かすことが出来ない。「心情」をはるかに超えた絶対的命令だった。歴史の流れを大きく変えた人物は、「心情倫理」―「責任倫理」の次元を超えた預言者倫理に生きた人たちだったのではないか?

ゴルバチョフはあらゆる点でノーベル平和賞に値する政治家だった。真の平和の使徒には、僕らの生ぬるい「平和主義」とはかけはなれた厳粛さと悲劇性がある。とはいえ、日本も平和憲法を持つ国として、愛され、尊敬されるだけの実績がある。フランスの八百屋さんに「あんたの国の憲法は戦争しないと決めてるんだね」と話しかけられたことがあるし、アフリカやアラブの人たちから、「ヨーロッパが援助してくれるときは必ず下心があるけれど、日本の援助は本当に私たちのためだ」と感謝されることがよくある。JAICAやNGO、それに中村哲さんのような平和の殉教者が、平和の国日本への信頼を築いてくれたのだ。いま、憲法第九条の精神に、真の平和主義の厳粛さを注ぎ込むのにはどうしたら良いのか、考える時なのだろう。

(2022/10/15)

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