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大島 亮 ヴィオラリサイタル Vol.8 花鳥風月|丘山万里子

大島 亮 ヴィオラリサイタル 2022 Vol.8 花鳥風月
邦人作曲家によるヴィオラ作品 特別プログラム
RYO OHSHIMA VIOLA RECITAL 2022 Vol.8 The Japanese Beauties of Nature

2022年2月14日 ヤマハホール
2022/2/14 YAMAHA HALL
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
写真提供:テレビマンユニオンチャンネル

<演奏>        →foreign language
大島 亮(ヴィオラ)
草 冬香(ピアノ)

<曲目>
西村 朗(1953~): 無伴奏ヴィオラ・ソナタ 第2番<C線のマントラ>(2007)
安生 慶(1935~2014): 風の荒野ーⅡー(2006)
林 光(1931~2012): 蔓枝(1999)
信長貴富(1971~): 委嘱作品|世界初演
〜〜〜〜
寺嶋陸也(1964~): 無伴奏ヴィオラソナタ(1992)
武満 徹(1930~1996): 鳥が道に降りてきた(1995)
矢代秋雄(1929~1976): ヴィオラとピアノのためのソナタ(1949)

(アンコール)
石井歓:ヴィオラソナタ (1962)

 

《花鳥風月》と題し、邦人作曲家作品ばかりを並べた一夜。
まず、ヴィオラの深く豊かな響きに驚く。筆者はヴァイオリンより低弦楽器の声音(こわね)を好み、ヴィオラのソロもそれなりに聴いてきたつもりだが、響きの細胞というか粒子がみっしりつまって、その底から発するバイブレーションと輝きの空間拡散力が凄いのだ。宙を押し拡げてゆくエネルギー光線の強弱大小、その絶えざる放出。これはリサイタル冒頭が西村朗『 C線のマントラ』だったからかもしれない。マントラとは呪文(聖なる祈り)の意。微な息遣いから一挙に膨らむE、激しいトレモロにグリッサンド、旋回に飛翔、アルペッジョに羽搏き音、ぼかしににじみ、C線上でほとんど身悶えするかの西村的多層多重世界が現前する。これについては連載中の本誌『西村朗 考・覚書』でいずれマントラ系列作品群として触れるので、これ以上の言及はおく。とにかく、大島の並々ならぬ集中力・表出力に、筆者のメモには「すんばらしい!」の走り書きが躍っている。

大島の力量については、プログラム全曲を通し個々の世界の弾きわけに示されたきめ細かな楽曲理解と音楽創出に明らかで、その意味でもこの選曲構成には彼の知性が見えるように思う。
安生は筆者、実は初めて聴くのだが小澤征爾と同年で、林光よりいくらか若い作曲家(2014年没)。『風の荒野』に相応しく、ヴィオラとピアノ(pf、当夜全般に音の美しい、優れて素敵な演奏だった)が野に吹きかよう詩情溢れたダブローで、小さな画廊に静かに並ぶ小品を見るようだった。嵐とか荒野をさほど感じなかったのは、マントラのあとで弾かれたからかもしれない。
続く3人、林光、信長貴富、休憩を挟んで寺嶋陸也は合唱領域での活躍が知られ、筆者の耳はむしろそちらが親しい。ゆえ、ヴィオラとピアノ、あるいはソロとの違いの有無に興味がいったが、ジャンルの相違に作曲家それぞれの音楽の本然が変わるわけではない(ヴィオラは最も人の声に近くはあるが)、ということを確認したように思う。林にはむろん、『ヴィオラ協奏曲 悲歌』もあり、器楽でも大きな作品を書いているけれど、筆者はやはりこの人は歌と言葉の人だと思った。それもしかつめらしいものでなく、エッセイなども形而上学的言葉で人を煙に巻くようなことはせず、普段着。『蔓枝』はヴィオラコンクール課題曲らしく、ヴィオラの持つ魅力をてらいなく引きだした作品で、舞曲を含む多様な変奏様式を、大島は精確な筆法で弾きあげた。
信長もまた合唱で引っ張りだこのスター作曲家だが、今回は委嘱初演作。「短編詩集のようなもの」という依頼に沿ったやはりポエティックな小品7作で安生に似通うが、カズオ・イシグロの小説にインスパイアされたとのこと。生と死の間をたゆたうような静かな回想が繊細にヴィオラとピアノで語られる。

休憩後の寺嶋は、こんにゃく座など林を継いだところに居ると言えば単純すぎるが、そこはやはり大事ではないか。2人とも、身の回りのちいさな出来事を大切に深く凝視(みつ)めて音を紡ぐ。この『ソナタ』は彼が藝大大学院卒業の頃の作品だが、正直、音の相貌、方向性が見えないのは、林に似てなんでもできちゃう天才少年だったからではないか。歳月は人と音とを創ってゆくのだと改めて思った。
と、ここまで聴いての武満だ。この人はやはり最初から最後まで武満として、それこそ「花鳥風月」を詠み続け、そこに傑出したセンスを保持(利用)し続けたからこんなにも国際的評価を得ることになったのだ、とこちらも改めて思った次第。はい、やっぱり武満ね、と頷きつつ、その意味で、とりあえず彼の作品は残るだろうが、亜流はいずれ消えるほかあるまい(50~100年のスパンでの話)。
最後に、矢代、学生時代20歳の作品。ここで急に、西欧風の素朴かつなかなかにチャーミングな『ソナタ』が来た。この後、パリに学んだ彼の洗練洒脱がどんな道を歩むはずだったか、その早世がやはり惜しい。この愛らしいソナタには矢代のそれからの顔がしっかり刻印されていたから。

聴き終えて、若書き2作を含むこれら7作に「花鳥風月」をかぶせた大島のある種の批評眼を読む。
「和」(と言った時、何をイメージするかは非常に難しいが、「花鳥風月」とすれば自ずから描ける景色があろう)と、合唱に象徴される西洋ハーモニー感覚の間で、彼らが何を自らのものとして手に取ったか。
そんな問いかけがここにはある。
アンコールにやはり合唱で知られる石井歓を選んだのもそこだろう。こちらはバルトークみたいだった。
西村のマントラは花鳥風月というには異色だが、若冲、蕭白を見るならその奥に何が潜むか。
矢代はいかにも西欧香味だが、ドビュッシー、ラヴェル風だけでない節(ふし)も聴こえ。
そして私たちは今、何処に居るのか。
私たちはこういう演奏に、もっと多く向き合う必要があるのではないか。
筆者だってバッハ、ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、ドビュッシーなどなど、弾くのも聴くのも大好きだけど。

(2022/3/15)

 

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<Player>
Ryo OSHIMA : Viola
Fuyuka KUSA : Piano

<Program>
Akira NISHIMURA : SONATAⅡ” MANTRA ” ON THE C STRING for Viola solo(2007)
Kei ANJO : Kaze no Kohyaー Ⅱー(2006)
Hikaru HAYASHI : Vines for Viola Solo (1999)
Takatomi NOBUNAGA : The Room With Nobody In It (2022)
Rikuya TERASHIMA : Sonata for Viola solo (1992)
Toru TAKEMITSU: A Bird Came Down the Walk (1995)
Akio YASHIRO : Sonata for Viola and Piano (1949)
Kan ISHII : Sonata for Viola and Piano (1962)