東京交響楽団 川崎定期演奏会 第84回|齋藤俊夫
東京交響楽団 川崎定期演奏会 第84回
Tokyo Symphony Orchestra Kawasaki Subscription Concert No.84
2021年12月5日 ミューザ川崎シンフォニーホール
2021/12/5 Muza Kawasaki Symphony Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 平舘平/写真提供:東京交響楽団
<演奏> →foreign language
指揮:ジョナサン・ノット
ピアノ:ゲルハルト・オピッツ(*)
コンサートマスター:小林壱成
東京交響楽団
<曲目>
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 op.83(*)
ルトスワフスキ:『管弦楽のための協奏曲』
小説や映画といった物語だけでなく、物語ではない音楽作品にもハッピーエンドとバッドエンドというものがある。ベートーヴェンの交響曲群の突き抜けたハッピーエンド、チャイコフスキーの『悲愴』の救いのないバッドエンドなど、枚挙に暇はないだろう。国内で1万8千人以上の死者を出したこのコロナ禍の中、せめて音楽だけでもハッピーエンドで終わって欲しい、そう願うのは筆者だけであろうか。
ブラームスのピアノ協奏曲第2番、これはまごうことなきハッピーエンドの作品であろう。天真爛漫な第4楽章を聴けば誰もがハッピーになれる(と、思う)。だが、全4楽章、約50分を要するこの交響曲的なピアノ協奏曲を今回改めて生演奏で聴いて、筆者はなんだか妙な気分になってしまった。
第1楽章、ホルンのイントロと最初のピアノ独奏からクレシェンドしてオーケストラがトゥッティで鳴り響く時点で「聴かせたいのはピアノではなく交響曲的オーケストラなのでは?」といぶかしんでしまう。その後もピアノ、オーケストラ共に妙にスケールが大きいが、ピアノとオーケストラが張り合えば勝つのはオーケストラに決まっている。優しさとスケールの大きさが同居するのがブラームス的(例えば交響曲第2番、第3番のように)ではあるが、ピアノ協奏曲でピアノの存在が小さくなってしまうほどスケールを大きくすべきだろうか?しかも今回、ノット・東響は(正確な数はわからねど)編成を相当に大きくしていた。大きいものは良いものだ的ピアノ協奏曲なのだろうか、この作品は。
第2楽章、イントロでオピッツのピアノが鋭く刺さり、短調のテーマが悲劇的に鳴り響く。そして……やはりオーケストラが大きい。長調に転調する箇所のオーケストラの輝きなど、魅了されざるものなし、と言うべきだが、結局短調でピアノとオーケストラが壮大に楽章を終える。
第3楽章の冒頭からチェロのソロがしんみりとした味わいで、ブラームスの優しい顔を見せてくれて、他の楽器、もちろんピアノもしっとりと柔らかく音を紡いでいく。オピッツ・ノット・東響の心が一体となってのこの楽章は素晴らしく温かかった。
と、ここまできて、天真爛漫な第4楽章が舞台上に現れるわけだが、イントロから茶目っ気たっぷりのピアノが大きなオーケストラとぶつかり合うのを聴いて、そう言えば第1楽章、第2楽章の交響曲的で悲劇的なあの音楽はどこに行ったのか、と筆者は考え込んでしまった。ひたすら幸福な第4楽章のハッピーエンドに異議を唱えるつもりはないが、ここに辿り着くまでの音楽的筋道・展開ってものがあるのではないか、と。
名曲の名演で、ハッピーエンドは嬉しい。が、しかし……と変にこだわってしまうのは筆者だけであろうか。
ハッピーエンドあるところ、バッドエンドもある。後半のルトスワフスキ『管弦楽のための協奏曲』は筆者がこれまで聴いてきた中でも最も恐ろしく、救いがない、バッドエンドの音楽であった。
第1楽章冒頭の「ジャン!ドン、ドン、ドン。ドン、ドン、ドン、ドン……」と拍に合わせて叩かれるティンパニーに、弦楽が民俗調だが、絶対にどこかが民俗音楽とは異なる旋律で絡む所からもう怖い。この楽想は一旦引っ込むが、今度は弦楽がもっと速いテンポで拍を刻み、ドラを金属棒か何か(目視できず)でそれに合わせてガンガン叩き、金管楽器の音がそびえ立つ壁のように会場を囲み、脱出を禁止する。そして全楽器がどこかおかしい民俗調の音楽を、苦しむように、呻くように奏でる。やがて何故か静かになり、初めて合奏協奏曲風に本当の民俗音楽的フレーズが奏でられるが、トライアングルの拍打ちは何を物語ろうとしているのか……。
第2楽章、弱音での超高速パッセージになんという色彩美が、と驚いていると、楽器が増えるのに比例して色に灰色味がかかってきて、不吉な予感が。そしてフォルテシモで現れる金管群の明るさが恐怖へと裏返る。何故こんなにも明るいままでいられるのだ、この音楽世界の中で。
第3楽章のパッサカリアはまずコントラバスのピチカートとハープで奏でられ、そこから楽器が増えていくのだが、これはなんと不穏な音楽であることか。金管のフラッターツンゲと打楽器のロールがパッサカリアを無視して喚き立て、それに続けと言わんばかりにあちらこちらから〈攻撃〉が開始される!最後まで生き残ったかに見えたヴァイオリンも静かになり、ゲネラルパウゼ。そして第2主題でさらなる音楽的進軍が!もうこの音楽は止められない!ちゃんとオーケストラがコンツェルトしているのが奇跡に近い、しかもノットは暗譜でこの作品に挑んでいるのだ!カタストロフの後のように、また合奏協奏曲風な静かな音楽が奏でられ、軽快なパッセージに光が見えたと思えば、金管群とシンバルが全員に戦闘態勢を取らせるように鳴り響く。そして他の楽器が超高速で動き回る中、金管群が勝利のファンファーレを鳴り響かせる。これは誰の、何のファンファーレなのだ?最後はミリタリードラムのロールからバスドラムの一撃で何もかもが終わる。本当に、何もかもが終わってしまったのだ、この音楽・演奏で。
バッドエンド→ハッピーエンドではなく、ハッピーエンド→バッドエンドとプログラム構成をした所にノット・東響の意図が見えてこよう。コンサートホールを出て向き合うこの現実世界に待ち受けるのは、ハッピーエンドではなく、バッドエンドなのではないだろうか?
(2022/1/15)
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<Players>
Conductor : Jonathan Nott
Piano : Gerhard Oppitz(*)
Concertmaster : Issei Kobayashi
Tokyo Symphony Orchestra
<Pieces>
J.Brahms : Piano Concerto No.2 in B-flat major op.83(*)
W.Lutoslawski : Concerto for Orchestra