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五線紙のパンセ|音楽関連本は絶滅危惧種・・捨ててはならない!|横島浩

音楽関連本は絶滅危惧種・・捨ててはならない!

Text & Photos by 横島浩(Hiroshi Yokoshima)

今回は、音楽の古書について書いてみたいと思う。まずは、古本などというものに興味を持った子供って面白くないですか?興味を持ったのは中学生になってからなんですけど。
私が育った長野市は、善光寺が坂の上に構える門前町であったが、善光寺のすぐ左横に信州大学教育学部が設置されている。善光寺南参道(中央通り)には参拝者に向けての宿場や商店が立ち並び、周辺を訪れた方ならば日本蕎麦屋の数の多さにびっくりされたことだろう。
善光寺門前が区画整理されたのは、もう40年くらい前であろうか。善光寺門前の地味な左側には古本屋がいくつか軒を並べていた。そのうちの一軒、いつの時代なんだ!という味のある店というよりも古ぼけて客がいるのを見たこともない小さな店があった。店名を忘れてしまったのは返す返すも残念だ。
信州大学付属小学校に通っていた猪瀬直樹氏は、数年前に書いたエッセーの中で、小学校の近くの古本屋の看板にものすごいインパクトを憶えたと記していたが、それは大正元年創業の「新井大正堂」で、私はこちらの店には全く興味がなかった(私の記憶だと「古本1000000冊買い入れしたい」みたいな看板だった)。ちなみに、新井大正堂で子供がエロ本を開いていると、老齢のご主人から怒鳴りつけられる。私が好きだった古本屋にはエロ本は置いてありませんでした。

まず、その古本屋に並んでいる本はいつ行っても同じところにあって、つまり全く売れていない様子。店前のワゴンの本は一律30円くらいじゃなかったかな、一般本屋では見たことがない、要するに絶版の古い本ばかりが並んでいた。店内には音楽本も10冊くらい並んでいたが、売れるわけはないのでお小遣いを持ちたまに買いに行っていた。普段買った多くの本はただ古くて面白そうな文学本だったりした。お分かりいただけるかと思うが、追加在庫がないのである。数少ない音楽書をまとめて買ってしまえば、もうそれで終わりなのだ。
この店で中学時代最後に購入した音楽書は、昭和18年の初版本「厚生音楽全集第四巻・新興音樂出版」。今思えば、なんでこんなに興味深い本がいつまでも売れ残っていたのか、よくわからない。300円くらいだったような気がする。
序文から「大東亜戦争勃発以来既に一年有半、決戦に次ぎ決戦が展開せられ、・・・中略・・・銃後にあるわれわれ国民は、『一つの魂』となって、大東亜戦争完遂の大使命達成の為、各々その持場職場に全力を尽くし、奉公の至誠を尽くして、長期戦に突進しなければならない事を誓わずにはいられない。併しながら、人間の力には限度があって、緊張の後には弛緩が来、激働の後には疲労が来ることは自然の理であって」・・・仕事の能率の為には厚生運動が大切であると続く。極めつけは「音楽に於いては、単に、慰楽としてばかりではなく、近代戦における武器とさへ言われる如く、或は、これを作戦に利用し、或は作業に融合調和せしむる等、その効果は、実に大なるものである」。「作戦」とはなんだろう。絶対音感を持つことで敵機の位置などを知るとか、そんなことをどこかの本で読んだような気がする。また戦意高揚のため、音楽を利用する作戦のことを言っているのかもしれない。

この本を初めて手にしてびっくりしたことは、ペタリと数か所に押された判子だった。例えば湯浅永年氏が執筆した「合唱指導法」の章に掲載された「埴生の宿」の楽譜には『敵性曲ニツキ演奏禁止』との紫色の印が押されている。
2017年夏、NHK「ららら!クラシック」で埴生の宿が取り上げられ、そこで「太平洋戦争中、敵国の歌は禁止されたが『埴生の宿』は許可されていた」と報じられ、しかしそれは事実ではないのかもしれない。イギリスの作曲家ビショップが作ったオペラのアリアが原曲で、民謡風な旋律は無国籍的でニュートラルな味わいがある。だからといって見逃さない当時の厚生省の圧力を、この判子から感じさせられずにいられない。

音楽古書がなぜ私にとって面白いのかというと、簡単に言えばすぐに手に入らなくなるからである。音楽書など売れないし、版を重ねることなく絶版になる運命にあることがほとんどだ。もともと売れないことを見越して高い値段を設定していることもあり、なおさら売れずすぐに絶版になる。東川清一氏の本なんて、これは難しすぎて誰も買わないでしょ?と笑ってしまうが、とりあえずほとんど全ての本を購入して古楽に興味がある時には開いて読み、そうでない時期は積読状態にある。それらも、amazonで検索すると目の玉が飛び出るような値段が付いていたりする。必要な方はごく少数でもいるのだ。
あとは理論書。これも難しくて需要がないのだろう、と思いきや池内「学習追走曲」ほか対位法理論書は絶版だし、これらを求めている方も多いはずだろう。対位法絶版の教科書はこれまで、デュプレやケックランなどフランス系の著作の他、シェーンベルクやヤダスゾーンなどのドイツ系のものがあった。ちょっとすごいのは、ダンディの5冊に及ぶ「作曲法講義」という本で、芸術とは何かから始まり形式学から和声理論・旋法まで網羅しフーガ作曲にまで及んでいる充実した内容である。これも池内訳で、こういうのは再販されずに埋もれていくのだろう。ダンディには「ベートーヴェン」や、師匠である「フランク」の伝記もかつて訳されており、愛情が溢れたエピソードが相当素敵だ。
和声学に関しては、どんだけの本が出ていたのか。家にあるだけで絶版本がやたらとある。シェーンベルク著山根銀二訳(昭和4年刊)による、最初の和声学など譜例がほぼ無く(のちに南カリフォルニアでの授業のために執筆した音楽之友社で出版されたものとは別の「和声学」本)、観念的とも言える和声論が滔々と語られ続く奇本。それが面白い。リムスキー=コルサコフの和声学も二つの別物が和訳されていたし、そういえばヒンデミットの和声学第2巻の和訳なんてものもあったことは皆さんご存じだろうか。私は和声学本をほぼ読み物として読んでいるし、みんな全然違うことを書いているので、ああ面白いなあという具合だし、音楽理論書に関しては一つの書物を妄信するのは良くないと、距離を置いて眺めている程度だ。

自伝本に関しては、私が持っている旧訳本からずいぶんと新訳が出ているように思う。でも油断大敵、そういうのもすぐに絶版になる運命にあるのではないか。最近ではプロコフィエフ自伝の新訳が出たりした。そしてパデレフスキー自伝の新訳も出た(ストラヴィンスキー自伝・塚谷彰弘訳は絶版のままかな。あと、ミヨーの自伝とか)。それでもパデレフスキー自伝については、原田光子さんという不遇にあり短い生涯を終えた女性が全生命を掛けて著した訳・著書群「天才ショパンの心」「大ピアニストは語る」等と共に愛読している。「クララ・シューマン」は今でも現役なのかな。それ以外の訳書はほぼ知られていないかもしれない。リストが記したショパンの伝記はこれまで3つ訳されたが(家にあるもので1.「ショパンの藝術と生涯」昭和17年初版・蕗澤忠枝訳 2.「ショパン その生涯の藝術」昭和24年第二版・遠藤宏、梶原完訳 3.「フレデリック・ショパン その情熱と悲哀」2021初版・八隅裕樹訳)、最初の二つは日本語として読みにくく、リストが向けたショパンへの想いが綴られるものの具体的な技法への批評が抑えられているように読める。新訳は注釈も多く、説明が丁寧であることは音楽学の進歩と並行した事であると受け止められるだろう。それでも、なおかつ古い訳書って魅力がある。ちなみに2.の訳者・梶原完は長野出身の超絶技巧ピアニスト。

作曲家の思想や技法を記した書物というのも、我々日本人にも「芸術音楽」における時代の流れがあったことを知らしめると言える。ブゾーニ著二見孝平訳「新音楽美学論」が昭和4年に出版されており、「芸術家は人を感動せしめなくてはならぬとき、与えられた瞬間に於ける彼の手段の支配を失ってはならぬとすれば自分の方で感動してはならぬ。」など、新古典主義的立場から、芸術至上主義を訴えている・・ように読めるが、この日本訳が古文書風で分かりづらい。
もう一つ、なんとシリル・スコット著「音楽に関連せる近代主義の哲学」なる書物が大田黒元雄によって翻訳されていた(大正15年発行)。メシアン本も全て絶版になっており「わが音楽語法」平尾喜四男訳(昭和29年)に新訳が出たので、旧書を持っていた私はちょっとがっかりした。
スタンフォード著門馬直衛訳の「作曲法」(大正14年)など、スタンフォード好きの私からすると神のような訳書もあった。

理論書に戻るが、キワモノ的な転調のみを扱う奇書が二つ。マックス・レーガー著小松清訳「轉調指針」(昭和34年発行)、呉泰次郎著「転調論」(昭和38年発行)。レーガーの書は異名同音転調を用いることをわざわざ避け、音楽理論に集中させるように施した転調事例を100例載せ、それぞれに解説を加えている。

まだまだ紹介したい所持古本があるが、そういえば、 ドリス・モントゥー著・家里和夫訳「指揮棒と80年」(音楽之友社、昭和42年)とか、ロックナー著・沼野元之/越子訳「クライスラー伝」(昭和34年)「シャリアピン自伝」とかの演奏家ものもスリリングで面白い。紹介しきれないくらい棚に並ぶ音楽本だが、もひとつベルリオーズの回想録1,2巻丹治恆次郎訳(1981年)はとち狂った作曲家の自白が超絶面白い。ベルリオーズの管弦楽法は最近邦訳されたが、津川圭一訳で「合唱・管弦楽指揮法」(昭和4年)がかつて出版されていた。
これら、私が中学生時代から何気に集めた古本(新品購入してから絶版になったものも含むが)が、何故いまここにあるのかを考えることが常である。消費文化が昭和の半ばから加速して、使い捨てが美徳のように言われたころもあった。読み捨てられたその本に価値があって、すぐに絶版になっていた書物なら目も当てられない。
次世代に継がれなければならない貴重な書物は、持ち主が強い意志で守らなければならない、なんて私は思っている。こんなに面白い本が出版されていたことを、私は後の時代に伝えなければならないため大事にしている。それと共に、出版すらままならない時代の書物を購入し、大切に保存して後世に引き渡してくれた諸先輩への感謝の念は忘れないようにしているわけで・・でも自宅は図書館じゃないから、置く場所が悲しいことかなくなってます。

(2021/10/15)

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横島 浩 (Hiroshi Yokoshima)
1961年生まれ。長野県出身。
才能教育研究会にて片岡ハル子氏ほかにピアノを師事。
武蔵野音楽大学大学院(作曲)修了。作曲を池本武、竹内邦光、田辺恒弥の各氏に師事。ピアノを木嶋瑠美子氏に師事。
1988年、第5回日本現代音楽協会新人賞入選。
1989年、第58回日本音楽コンクールに入選。
1990年、第7回日本現代音 楽協会新人賞入選。
1990年、作曲家グループ「TEMPUS NOVUM」創立に加わり創作活動を行う。
2005年、第74回日本音楽コンクール作曲部門第1位、併せて明治安田賞を受賞。
現在、福島大学人間発達文化学類教授