ミニマル音楽の軌跡 ~オール・ライヒ・プログラム~|佐藤馨
ミニマル音楽の軌跡 ~オール・ライヒ・プログラム~
The trajectory of minimal music:All Steve Reich Program
2021年2月27日 あいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホール
2021/02/27 Aioi Nissay Dowa Insurance THE PHOENIX HALL
Reviewed by 佐藤馨(Kaoru Sato)
Photos by Takashi Matsuura/写真提供:あいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホール
〈演奏〉 →foreign language
ピアノ:中川賢一
フルート:若林かをり
エレクトリックギター:山田岳
ヴァイオリン:石上真由子
チェロ:福富祥子
クラリネット:上田希
ヴィブラフォン:畑中明香
エレクトロニクス:有馬純寿
〈曲目〉(括弧内は作曲年)
スティーヴ・ライヒ:ピアノ・フェイズ(1967)
:ヴァーモント・カウンターポイント(1982)
:エレクトリック・カウンターポイント(1987)
:ピアノ・カウンターポイント(1973/2011)
:ダブル・セクステット(2007)
ホールに入ってまず目についたのは、普段のコンサートとは少し違った風景。ステージの上にはグランドピアノとヴィブラフォンの他、6台の小さなスピーカーと4台のモニタースピーカーが設置され、舞台上手と下手にも各1台ずつ大きなスピーカーが据えられていた。いつも行くようなクラシックのコンサートではないとはっきり分かった。
頻繁に思うことだが、やはり開演前からすでにコンサートは始まっている。音が鳴り出すよりもっと前、客がホールに来て席が埋まっていくその時間から、これから会場で起こることに向けて聴衆の心も出来上がっていくものだ。舞台上の椅子や楽器の配置、ロビーの雰囲気、チラシのデザイン、そういった一つ一つがコンサートを聴きに来た人たちの心象を形作る。この意味で、無数のスピーカーが客席を睨む見慣れない景色は、これからの出来事について多くを予感させた。一体どんなエキサイティングな時間になるのか…。しかし、「今日ここに来たのは正解だ」という確信めいたものもすでに心の中にはあったのだ。
1960年代半ばに産声をあげたミニマル音楽は、半世紀を経てもなおその命脈を現代に保っている。最近は新鋭ピアニストのヴィキングル・オラフソンが弾いていたこともあり、フィリップ・グラスの名前はよく聞かれただろう。彼もまたミニマル音楽を語る上で欠かせないが、まずスティーヴ・ライヒの名前を出さないわけにはいかない。ライヒが生み出してきた様々な実験的作品によって、ミニマル音楽はそのポテンシャルを広く世に示し、今日まで確たる位置を占めてきた。今回のプログラムは《ピアノ・フェイズ》から《ダブル・セクステット》まで、作品の時系列に沿ってライヒの約40年の創作を追うものだったが、私にとってはミニマル音楽の領野の広さを知る貴重な機会にもなった。
特筆すべき点は、奏者自身が事前録音した音源との共演が全曲でなされたことである。例えば《ピアノ・フェイズ》は2台ピアノでの演奏も多いが、今回の場合、演奏者は事前に自ら録音しておいたパートの音源をスピーカーで流し、それにあわせて残りもう一方のパートを実際に舞台上で弾く。曲目が全て、作曲者自身によって事前録音×生演奏を想定された作品だったとはいえ、最初から最後まで通してこの形式で演奏されるコンサートはなかなかお目にかかれない。むしろ従来のクラシック・コンサートに慣れた人たちには、かなり刺激的な体験となったに違いない。ピアニストの中川賢一、ギタリストの山田岳、アンサンブル九条山の面々、演奏者全員が現代音楽に一家言ある人々だったが、彼らにとってもこの形式で貫徹される演奏会は滅多にない機会だったのでは、と想像される。その点で、エレクトロニクスを担当した有馬純寿の音楽的な貢献は計り知れない。
現代作品にありがちな難解さは薄く、曲は調性的かつ反復的な構造であるため、リズムの面白さや声部の巧妙な絡み合いが純粋に耳を楽しませる。しかし言うまでもなく、それは奏者の盤石の安定感があってこその愉悦だ。《ピアノ・フェイズ》と《ピアノ・カウンターポイント》における中川の心地良くも揺るぎない手さばき(この演奏会の支柱はまさしく彼であった)、《ヴァーモント・カウンターポイント》での10パートにおよぶ音の洪水を自在に進む若林の技量、《ダブル・セクステット》での6人による隙のない高密度なアンサンブル(録音との共演においても)、どれも比類ない演奏だ。
だがこのコンサートの白眉は、《エレクトリック・カウンターポイント》であった。他の奏者が楽譜を携えて演奏に臨んだのに対し、袖から出てきた山田は肩からギターを提げているのみで、一礼してシールドを繋げるとそのまま暗譜で演奏を開始した。反復が多用された曲を暗譜というのはかなり勇気が要るように思われるが、頭の中には音符が隈なく刻み込まれていたのだろう、彼はこの数多のパートが絡み合う曲を難なく弾き通してみせた。
加えて、彼は抜群にノリノリだった。音の渦が生み出すグルーヴに身を委ね、ライヒの対位法(counterpoint)を相手に踊るような様はなんとも気分が良い。見ているこちらも快楽をくすぐられ、いやでもテンションが上がる。もし彼が暗譜せず、視線が楽譜に釘付けだったら、身体が音楽とリズミカルに呼応するあの自由さは発揮されなかったかも知れない。ライヒの音楽のカッコよさに、山田の演奏のグルーヴが掛け合わされ、エキサイティングな相乗効果を生む。あのトランス感は間違いなくこの日のハイライトだった。こうしたノリに対する原始的な欲求は、高尚な演奏会では長らく軽んじられてきたようにも感じるのだが、そんな頑固な芸術気取りのせいで、音楽がもたらす感動の一部が損なわれてきたのだと理解できる。
公演を終えて確認できたのは、ライヒはミニマル音楽のアイディアを展開した立役者のみならず、カッコいい音楽を生み出せる豊かな作曲家だということである。彼の音楽が支持されるのは、ミニマルのイディオムを巧みに消化しているだけでなく、独特の高揚感をもつコード進行やクライマックスの導き方を心得ているからに他ならない。短い音型の執拗な反復ばかり言及されるミニマル音楽だが、ライヒの作品はそれにとどまらず、明確な形式感やテンションの緩急の妙など広範な音楽性を備えている。何より、機械的な作法に根差しておきながら、中身は著しくエモーショナルなのだ。
オール・ライヒという得難いプログラム以上に、これまでコンセプトから一面的に捉えがちだったミニマル音楽について、このコンサートは別の豊かさを見出させる素晴らしい経験となった。こうした野心と気付きが一体となったイベントは、より一層求められて然るべきではないのか。今回のイベントが関西における新しい種となることを願うばかりである。
(2021/3/15)
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佐藤馨(Kaoru Sato)
浜松出身。京都大学文学部哲学専修卒業。現在は大阪大学大学院文学研究科音楽学研究室に在籍、博士前期課程2年。学部時代はV.ジャンケレヴィッチ、修士ではCh.ケクランを研究。演奏会の企画・運営に多数携わり、プログラムノート執筆の他、アンサンブル企画『関西音楽計画』を主宰。敬愛するピアニストは、ディヌ・リパッティ、ウィリアム・カペル、グレン・グールド。
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〈cast〉
Piano:NAKAGAWA Ken-ichi
Flute:WAKABAYASHI Kaori
Electric guitar:YAMADA Gaku
Violin:ISHIGAMI Mayuko
Cello:FUKUTOMI Shoko
Clarinet:UEDA Nozomi
Vibraphone:HATANAKA Asuka
Electronics:ARIMA Sumihisa
〈program〉
Steve Reich:Piano Phase (1967)
Steve Reich:Vermont Counterpoint (1982)
Steve Reich:Electric Counterpoint (1987)
Steve Reich:Piano Counterpoint (1973/2011)
Steve Reich:Double Sextet (2007)