Menu

ないじぇる芸術共創ラボ展「時の束を披く ―古典籍から生まれるアートと翻訳―」|田中里奈

ないじぇる芸術共創ラボ展「時の束を披く ―古典籍から生まれるアートと翻訳―」

Text by 田中里奈 (Rina Tanaka)

序:善玉悪玉あべこべ問題
突然だが、20年くらい前にやっていた健康情報系のテレビ番組で、人間の体内に蓄えられている善玉コレステロールと悪玉コレステロールの様子を、複数の人間が全身タイツを着て模すというコーナーがあった。今日だと、漫画『はたらく細胞』と言った方が分かりやすいかもしれないが、本物の人間があられもない姿で演じているのがポイントである。

『心学早染草』(東京都立中央図書館加賀文庫蔵、 『新編日本古典文学全集79 黄表紙・川柳・狂歌』より引用)

ご想像頂けただろうか。では、次にこちらの絵をご覧頂きたい。

「あっ、善玉コレステロールじゃん」――これが、『心学早染草』を初めて見た時の、私の正直な感想だ。発想の順序がてんであべこべである。つまり、山東京伝が丸に「善」の入った顔を持つ人の姿で描いたのが先で、そののちに善玉コレステロールという言葉が出てきて、さらにもじもじくんのごとき擬人化に至ったのである。

思い返すとなんとも恥ずかしい話だが、私の覚えている限り、それが黄表紙との最初の出会いだった。たしか、神奈川大学で山東京伝についての講演会をやっていて、単なる好奇心から何の予備知識もなく無謀にも参加したのだった。その後、しばらく黄表紙に触れる機会から遠のいてしまったが、その講演会はなんとなく記憶の片隅に残っていた。

「時の束を披(ひら)く ―古典籍から生まれるアートと翻訳―」
さて、私がこのように珍妙な出会いを果たした黄表紙を含む、明治時代よりも前に人の手によって作られた本を、総じて「古典籍」と言う。東京・立川にある国文学研究資料館には、22,000タイトルの古典籍が所蔵されていて、さらにマイクロフィルムにして補完している画像のタイトル数は約280,000点に上る1。その資料館が、2017年10月に一風変わったプロジェクトを始めた。「ないじぇる芸術共創ラボ」だ。

ないじぇる芸術共創ラボ(以下、「ないじぇる」)は、「誰にでもひらかれた歴史的文化資源である日本の古典籍を、もっと多くの方に自由な発想で活用」2することを目的にして、さまざまな活動を展開している。特別展示「時の束を披(ひら)く ―古典籍から生まれるアートと翻訳―」では、創立から約三年半の活動を一望することができる。

特筆すべきは、アーティスト・イン・レジデンスの足跡だ。ないじぇるは、多様な分野で活躍するアーティストを招聘し、同館所蔵の古典籍を利用してもらい、長期的な創作活動を行ってもらうプログラムを実施している。これまでに、川上弘美(小説家)、長塚圭史(劇作家/演出家/俳優)、山村浩二(アニメーション作家)、松平莉奈(日本画家)、梁亜旋(現代芸術家)が招かれていて、その招聘対象は幅広い。

展示の様子(筆者撮影)

国文学研究資料館内に据えられた展示空間には、上記5名に、さらにトランスレーター・イン・レジデンス枠で招聘されたピーター・マクミラン(翻訳家)と、今回の展示のための特別ゲストである山田卓司(情景作家)とビジュアルデザインスタジオ WOWを加えた計8名による創作活動の過程と成果の一部が、彼らの創作に関連した古典籍とともに展示されている。

コロナ禍におけるないじぇるの取り組み
私がないじぇるの活動を知るに至ったのは、この機関が、昨年の間にコロナ禍に関連した記事や動画を活発に発信していたからである。例えば、館長のロバート・キャンベル出演の動画「日本古典と感染症」(2020年4月)3では、江戸時代におけるはしかやコレラの流行が同館所蔵の古典籍にどのように描かれているのかを紹介している。キャンベルの解説は明快だったし、何よりも、彼が次のように締めくくった点が印象的だった。

一度立ちどまって、100年前、200年前の人々がとても共通している同じような状況にいて、彼らを勇気づけたものが何だったのか、どういうふうにお互いを支え合ったのか、あるいはどういう厳しい状況があったのか、そこにも目を向け、あるいは耳を傾けることが、私たちにとって実はとても大事な、大切な共同の経験、1つの資源、リソースになるんじゃないかなというふうに思っています。

4月当時、「未曽有のパンデミック」という言葉がさまざまなメディアで先回りしていて、筒井康隆の書いたSF小説の中に迷い込んでしまったようだった。カミュの小説『ペスト』(1947)やボッカチオによる物語集『デカメロン』(1348-1353)、それとアルトーの『演劇とその分身』(1938)がたびたび話題に上っていたが、そんな中で、二百数年前の病を得た、あるいはその病によって近しい人を失った人々の生活の記録を知ることには新鮮な面白味があった。

余談になるが、その少し前の3月には、1858年のコレラ大流行を描いた歌舞伎『染分紅地江戸褄(そめわけてもみじのえどづま)』を、国立劇場調査要請部が翻刻刊行している。等身大のパンデミックというのか、諸越ヶ原の火葬場から始まるこの芝居の情報量の多さに驚いた。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の悲劇が生まれたのもペストのせいだが4、コロナ以前に読んでいたら印象が違っていただろうと思わずにはいられない。

未来の利用者にどうやって届けるか?
話を戻そう。ないじぇるの試みは、古典籍の重要性を教科書的にわかりやすく解説するだけに留まらない。魅力的なゲストが古典籍を堪能している様子を一般に示して、門外漢にもなんだか羨ましく思わせしまうような発信方法に優れている。それは、例えとして妥当かどうかわからないが、グルメ番組に似ているかもしれない。調理方法や食材を紹介するだけでなく、またそのレストランの好ましい雰囲気を映すだけでなく、リポーターが実際に食事を味わい、談笑し、そこから物語を膨らませていく様子を見せることで、画面の向こうの、匂いも味も分からない料理を食べに行ってみたいと思わせるのだ。それは宣伝であると同時に、「自分は味オンチだから…」と、自分で試す前にその機会を切り捨ててしまわないための取り組みと言えなくもない。

ないじぇるで古典籍を「味わう」のはレジデントだが、彼らが古典籍に触れ、調査する過程を、専門家としてだけでなくさまざまな形でサポートする案内役が「古典インタプリタ」である。「interpreter」は、一般的に「通訳」「解説者」という意味で用いられ、「古典インタプリタ」の役割もこちらに近いと思う。アーティストの相談に乗ったり、広報の資料を準備したり、イベントの報告書をまとめていたりするので5、舞台芸術の現場におけるドラマトゥルクにもちょっと似ている。この記事をお読みになっている方の中には、音楽作品を解釈する者、すなわち「演奏者」という意味を連想した方もいらっしゃるかもしれない。いずれの意味においても、テキストと向き合って行う翻訳(translation)とは違って、「interpret」には、どこかで起こっているリアルタイムの出来事に関与していく仕事というイメージが伴っている。

アウトプットの話にできそうなので、もう少し、話を利用者目線にしてみよう。そこで気になってくるのが、ないじぇるの活動がデザインに凝っていてお洒落な点だ。研究界隈にありがちな、パワーポイントを単に出力しただけの研究会のチラシや、Zoom会議をそのまま配信した動画といったものが見受けられないのである。それはそれで、謎の臨場感と生活感が時たま垣間見えて面白い時もあるのだが、研究者向けだと一目見てわかるデザインだということは、そこですでに参加者の選別が起こっている。その点、ないじぇるは良い意味で研究機関「らしくない」。

図録『時の束を披く ―古典籍から生まれるアートと翻訳―』

コンテンツの入口は重要だ。私の経験でしかないが、コンサートや演奏会、演劇公演を観に行くとき、ポスターの印象が良いと実際の内容もだいたい面白いし、装丁が気に入って購入した本の中身はアタリが多い。それは、人の目に最もよく触れる部分を丁寧に作り込むことで、ユーザーとコンテンツとの間に生じかねないミスマッチを回避しているからだ。良いデザイナーを見つけ、内容にマッチした外見を作ってもらうには手間暇がかかるが、その効果は大きい。

「誰もが古典籍に触れられる」というアクセシビリティを呈示することは重要だ。だが、それ以上に、「古典籍に触れ、味わうというその過程を自分のものとして楽しんでくれる」人にその機会を届けることを、ないじぇるは目的のひとつとして見出しているように思う。だから、彼らの活動が魅力的に映るのだろう。

 

  1. 「国文学研究資料館と古典籍について」(ないじぇる芸術共創ラボ展『時の束を披く ―古典籍から生まれるアートと翻訳―』図録)、p. 8。
  2. 国文学研究資料館館長ロバート・キャンベルによる同展示会「ごあいさつ」より引用。https://www.nijl.ac.jp/pages/nijl/tokinotaba
  3. 国文学研究資料館「日本古典と感染症」、2020年4月24日、https://www.nijl.ac.jp/koten/learn/post-14.html
  4. ジュリエットは死んだふりをしているだけだとロミオに伝える役の修道士がペストの感染を疑われて隔離されてしまったためにロミオは自殺する。『ロミオとジュリエット』の舞台は14世紀イタリアだが、作品の書かれた16世紀末イギリスではペストが流行していたことを顧慮すると面白い。
  5. 古典インタプリタの仕事については、「古典インタプリタ日誌」(https://www.nijl.ac.jp/pages/nijl/diary)に詳しい。

(2021/3/15)

———————
Open the Caboodle of Times: Classic Books to Arts and Translations
at the National Institute of Japanese Literature, February 15 – April 24, 2021
*Advance reservation required
Organized by the Innovation through the Legacy of Japanese Literature (NIJL) Arts Initiative; the National Institute of Japanese Literature
Supported by Arts Council Tokyo; Agency for Cultural Affairs
————————————–
田中里奈 Rina Tanaka
東京生まれ。明治大学国際日本学研究科博士課程修了。博士(国際日本学)。博士論文は「Wiener Musicals and their Developments: Glocalization History of Musicals between Vienna and Japan」。2017年度オーストリア国立音楽大学音楽社会学研究所招聘研究員。2019年、International Federation for Theatre Research, Helsinki Prize受賞。2020年より明治大学国際日本学部助教。最新の論文は「ミュージカルの変異と生存戦略―『マリー・アントワネット』の興行史をめぐって―」(『演劇学論集』71、日本演劇学会)。