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荒井里桜ヴァイオリン・リサイタル|戸ノ下達也

TOPPAN HALL ランチタイムコンサートVol.107
荒井里桜ヴァイオリン「美しい抒情と悪戯」
TOPPAN HALL Lunch Time Concert vol.107
Rio Arai violin recital

2020年10月20日 トッパンホール
2020/10/20 TOPPAN HALL
Reviewed by 戸ノ下達也(Tatsuya Tonoshita)
Photos by 藤本史昭/写真提供:トッパンホール

<演奏>
荒井里桜vn
日下知奈pf

<曲目>
プロコフィエフ:ヴァイオリン・ソナタ第2番ニ長調 Op.94a
パガニーニ:〈こんなに胸騒ぎが〉による変奏曲 Op.13

 

東京藝大4年に在学中の荒井と、日下知奈のピアノによるランチタイムコンサートは、趣きの異なる2曲によるプログラム。

プロコフィエフのソナタ第2番は、1943年に作曲された〈フルート・ソナタ〉Op.94を、作曲者が1944年に改作した作品である。第1楽章のモデラートは、優美な中にも言い知れぬ不安が感じられる。第2楽章のスケルツォは、揺れ動く世情の中での表現が垣間見える。第3楽章は、半音進行が不安と慄きを実感させ、これら3つの楽章の主張が、第4楽章のアレグロ・コン・ブリオで、確固とした主張としてピアノと共に刻まれる慟哭の音楽と言える。このソナタを、荒井は、第4楽章に焦点を当てて、自身の気持ちを昂揚させる。第1楽章のモデラートでは、もっとヴァイオリンの持つまろやかな深い響きが聴こえてきてもよいかな、と思える点が散見されたが、楽章が進むほどに、自らの主張が音色に込められて来る。第3楽章は、フレージングが意識された丁寧な音作りだし、終章の躍動感溢れる演奏も、自身の思いが吐露されたものであろう。

プログラムによれば、荒井はこのソナタを「明快な構成の中にも優雅さが感じられる」作品と捉えているが、筆者には、単に「優雅さ」だけではなく、1944年の改作という、プロコフィエフがスターリン統治下のソビエトで活動していた時代状況を感じずにはいられない。作品創作の時代状況や、作曲者の意識なども想像し考えながら臨むことが、演奏の深化に直結するのではと思う。

1819年に作曲されたパガニーニ作品は、ロッシーニの歌劇《タンクレディ》のアリア〈こんなに胸騒ぎが〉をテーマにした変奏曲である。実に抒情的に始まる序奏に続く変奏は、懊悩、甘美、躍動、囁き、情熱が、ヴァイオリンの様々な奏法を駆使した超絶技巧の中で、多彩な音の世界となって聴こえる作品。荒井の演奏は、それぞれの変奏の彩りを意識して、音色を形作る。レガートや重音では、もっと艶やかな深みのある響きが欲しいが、ハーモニクスのみの変奏や、左手のピチカートの変奏は、一つひとつの音を、丁寧に紡ぎながら、楽曲の思いを表現するもので、変奏の特性を意識した、めりはりのある演奏だった。

荒井のヴァイオリンは、プロコフィエフもパガニーニも、少々力みがちなボーイングで、中・低音域では音が潰れてしまう箇所が見られたのが、悔やまれる。しかし、テクニックをひけらかすことなく、聴くものに、ごく自然に訴え、ヴァイオリンという楽器の真価を、作品を通じて余すことなく伝えようとする真摯な姿勢が、爽やかに感じられる。日下のピアノは、荒井を徹底して支え、寄り添い、牽引するもので、このピアノが荒井のヴァイオリンを際立たせる。
これからの飛躍が楽しみな、若い演奏家によるヴァイオリンの音楽は、久しぶりの秋晴れの東京で、一服の清涼剤となるものだった。

(2020/11/15)