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新日本フィルハーモニー交響楽団 第626回 定期演奏会トパーズ<トリフォニー・シリーズ>|西村紗知

新日本フィルハーモニー交響楽団 2020/2021シーズン
第626回 定期演奏会トパーズ<トリフォニー・シリーズ>
New Japan Philharmonic 2020/2021 The 626th Subscription concert TOPAZ

2020年10月30日 すみだトリフォニーホール 大ホール
2020/10/30  SUMIDA TRIPHONY HALL 
Reviewed by 西村紗知(Sachi Nishimura)
Photos by K.Miura/写真提供:新日本フィルハーモニー交響楽団

<演奏>        →foreign language
指揮:秋山和慶
ピアノ:上原彩子*
新日本フィルハーモニー交響楽団

<プログラム>
シューマン/劇音楽《マンフレッド》序曲
ピアノ協奏曲 イ短調*
※アンコール:トロイメライ(『子供の情景』第7曲)
交響曲第3番 変ホ長調 「ライン」

 

ロベルト・シューマンの管弦楽曲というと、その管弦楽法のわかりにくさというのが俗説としてよく知れ渡っている。確かにブラームスに比べると響きがあまり整理されておらず、聞こえにくくなおかつ効果のわかりにくい音が書き足されているように感じてしまう。しかもこのことは、シューマン自身の自伝的事実にもイメージ上の根拠をもっているように思える。市民社会に生きる自由主義的な人間の光と影、果てはライン川への投身。精神異常者が聞いてしまったものの記録として彼の残した作品は今なお異彩を放っている、というように。
しかしこの日の演奏は、こうした俗説を吹き飛ばしやしないかと思うほどに、すっきりと整理され聞きやすいものだった。古典主義的といっても過言ではない。シューマンの管弦楽曲における形式・因習の側面がはっきりとし、そのことでかえって彼のオリジナリティ、例えば眩暈がするような調性の変化や行き先のわからないメトリークなどが、表現力を獲得していく。加えて、楽器ごとの役割も明確だ。こういう聴取体験は、どうしても一人の人間の語りとして散文的に演奏せざるをえない彼のピアノ・ソロ曲からは、得られないものだったように思う。

最初は《マンフレッド》序曲。ヴァイオリンパートの高音の一本線が身に染みる。展開部で多少もたついたり、管の縦のラインが少し合わなかったりするものの、再現部で主旋律がチェロに移るときにはすべてうまくまとまっていた。再現部からを聞かせどころにするよう設計したのだ、というのがよくわかる。そして、低音部に渦巻くように結集し合奏する瞬間に、この作品のなかで最も強い表現力が宿る。そのほか、管楽器は降りてくる天界の音であり、弦楽器はつき上がる地鳴りのようで、対比をなしていた。
つまりは、アンサンブルにおける齟齬、結集、解離という関係性構築そのものが、「マンフレッド」という劇作品の内容の描写になりうるのであろう、というのが筆者の抱いた感想である。

「マンフレッド」に対し「ピアノ協奏曲」を聴いてわかるのは、ソロ楽器の役割についてである。シューマン作品のソロ楽器は、自らが参加する音楽にとって、常に外部の存在でなくてはならない。ソリスト・上原彩子の奏でる入りの主題は、もう少しで止まってしまうのではと思うくらいの自由なテンポで、そのタッチは優しくメロウだった。鋼鉄のタッチではっきりと申し立てるような演奏であってはならないのだ。この作品の場合、ソリストの役割は他の楽器を牽引することにはないのであろうし。自ら調和を目指してはならない。冒頭のオーボエのソロも同様である。変節の多いメロディーに自ら酔いしれ、他の楽器から離れていくようでないといけない。
それだから、ふと高音部で停止する瞬間、あるいは急に長調へと転じる瞬間、あるいはもっとトゥッティで全体がまとまる瞬間などにも、感じ入るものが多い演奏となったのであろうと思う。

最後は交響曲第3番「ライン」。
第一楽章。厚みはあってもよどみのない爽やかな音響。第一主題がメトリーク的に不安定なので、スリリングな箇所が多いかと思えばそうではなく、盤石の安定感。ここでもまた再現部など複数の声部が不意に合流するようなところに力強さが生まれるよう、抑えるところは抑えてある。どこを聞けばよいかがわかりやすい。明朗だ。
第二楽章のレントラーも素朴で、木管のもごもごしたアンサンブルもかわいらしい。第三楽章から若干曲調に陰りが出てきたものの、まだまだ小康を保っている。
問題は第四楽章である。シューマンの対位法は本当に怖い。進む先と終わりがわからない。一音一音の歩みは急に変調をきたすことがあり、そのせいでいつ変調をきたすのか怯えて聞かねばならない。オーケストラ全体でそれをやるのだから不安でしょうがない。全体で対位法をやる。しかも支えとなる低音が常に鳴っているというのでもない。こうした不確かなフーガにじっと耐えていると、その歩みは急に中断させられる。唐突に管楽器による濁ったファンファーレが割って入ってくるのだ。何が起こったのか、と戸惑っているうちに、何事もなかったかのように楽しそうな終楽章に突入する。けれどもこれもまた、トニックのなかなか登場しない落ち着きのない楽章だ。フーガという因習の大伽藍を突き破ったそのままの勢いで、とうとう主観に歯止めが利かなくなる。
ここに、音楽上のロマン主義誕生の瞬間を、見るようではないか。

蒙を啓かれるような音楽経験であった。厳しい状況が今しばらくは続きそうだが、今後の定期演奏会にも期待したい。

(2020/11/15)

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<Artists>
Kazuyoshi Akiyama, conductor
Ayako Uehara, piano
New Japan Philharmonic

<Program>
Schumann / Manfred, op. 115, Overture
Piano Concerto in A minor, op. 54
*Encore: Träumerei (Kinderszenen, No. 7)
Symphony No. 3 in E-Flat major, op. 97 “Rhenish”