ショーロクラブ&おおたか静流、アン・サリーsing 武満徹ソングス|戸ノ下達也
ショーロクラブ&おおたか静流、アン・サリーsing 武満徹ソングス
Choro Club & Shizuru Otaka, Ann Sally sing Toru Takemitsu Songs
2020年10月24日 たましんRISURUホール
2020/10/24 TAMASHIN RISURU HALL
Reviewed by 戸ノ下達也(Tatsuya Tonoshita)
Photos by 公益財団法人立川市地域文化振興財団/写真提供:公益財団法人立川市地域文化振興財団
<演奏>
ショーロクラブ(笹子重治 Gt、秋岡欧Bandolim、沢田穣治Cb)
おおたか静流 F.Vo
アン・サリー F.Vo
<曲目>
武満徹:
《翼》
ショーロクラブ
《めぐり逢い》《小さな部屋で》《ぽつねん》《死んだ男の残したものは》
ショーロクラブ、アン・サリー
《明日ハ晴レカナ、曇リカナ》《雪》《昨日のしみ》《燃える秋》
ショーロクラブ、おおたか静流
―休憩―
《うたうだけ》《見えないこども》
ショーロクラブ、アン・サリー
《ヒロシマという名の少年》
ショーロクラブ
《小さな空》《三月のうた》
ショーロクラブ、おおたか静流
《3たす3と3ひく3》《ワルツ~映画「他人の顔」より》《翼》
ショーロクラブ、おおたか静流、アン・サリー
―アンコール―
《MI・YO・TA》
ショーロクラブ、おおたか静流、アン・サリー
アコースティックギターの笹子重治、バンドリンの秋岡欧、コントラバスの沢田穣治という弦楽ユニットの「ショーロクラブ」と、おおたか静流、アン・サリーのヴォーカルで、武満徹の「ソングス」をじっくりと、しとやかに聴かせる演奏会。
冒頭は、ショーロクラブのストリングスによる《翼》。笹子と秋岡の静かな撥弦の音を、沢田の動的な低音が支える。
そして、アン・サリーが、どこか突き放して自らを客観視するような雰囲気の《めぐり逢い》、第1節の「なにもない」と第2節の「あたたかい」というキーワードの奥底を包み込む優しい演奏の《小さな部屋で》、高齢化の諦めと戸惑いを率直に表現した《ぽつねん》、声高ではないが確固とした意志で、戦争の現実と反戦を訴える《死んだ男の残したものは》の4曲。アンの歌声は、ささやき、温もり、優しさが同居する、まさに芳醇な音楽として、聴くものを包み込む。
続いて、おおたかが、不安と開き直りがヴィブラートを排した歌声で綴られる《明日ハ晴レカナ、曇リカナ》、おおかたかの初挑戦ながら荒涼たる雰囲気が表現された《雪》、誰しも日常で感じる悲哀を率直に投げかける《昨日のしみ》、愛と別れの複雑な心情を切々とうたう《燃える秋》の4曲。おおたかは、話し言葉のように歌詞を語りかける演奏で、聴くものに問いかける。そこには、あなたはどうですか、と直截に訴える力が感じられる。
後半は、アンの、どことなく頽廃と独善が感じられる《うたうだけ》、おおたかの、幻想と現実の揺れ動きを淡々と語る《見えないこども》の後に、ショーロクラブが、三つの弦楽をそれぞれに前面に主張する三人の協奏で《ヒロシマという名の少年》をストリングスで聴かせる。
続く、おおたかの空間への言い知れぬ郷愁を誘う《小さな空》、そして東日本大震災の記憶が演奏者に刻印されているが故に、複雑な思いの交錯を感じさせる《三月のうた》という構成は、命ある人間のいとなみと社会を正視させる。
次は、がらりと雰囲気を変えて、コロナ禍でなければ、客席とステージが即興で歌い、風刺と諧謔を楽しんだであろう《3たす3と3ひく3》。発声できない客席が、手拍子やフィンガースナップでリズムを刻み、おおたかの投げかける問いにショーロクラブやアンが、迷答を連発して不確実性を存分に堪能させる。そして、アンの《ワルツ》で、人間の出逢いと別れという失意が歌われた後、エンディングは、プログラム冒頭のストリングスで提示された《翼》が、今度はアンの柔らかな、おおたかの清らかな歌声による二重唱で綴られ、静かに幕を閉じる。
そしてアンコールの、1950年代に映画音楽として作曲された旋律に、谷川俊太郎が武満の死後、言葉を付した《MI・YO・TA》で、演奏者の「ソングス」への思いが完結する。まず二重唱で永遠永久の思い出が、そしてショーロクラブのストリングスで静謐な祈りとなって、武満の「うた」の深さと尊さを語りかける。
ヴォーカルの半音進行や高音への跳躍など、不安定な箇所があるものの、これは演奏者が意識して発声しているのでは、と思わせる味わいさえ感じられる、不思議な音の世界である。その音の世界を一層明確にしたのは、アンの《見えない子ども》やおおたかの《小さな空》などに、アドリブの如く付されたヴォカリーズの前奏や間奏だろう。これは、ふと鼻歌のように口ずさみたくなる武満の「うた」の本質を捉えた演奏のように思える。
アンは、徹底してフレージングを意識して、聴衆を包み込む芳醇な歌声であるのに対し、おおたかは、単語を大切に語り、聴くものに問いかける演奏で、それぞれの特徴が、武満の音楽となって、響くもの。
ショーロクラブは、3人のアンサンブルというよりは、三者三様の楽器の主張が溶け合って、人間の魂を表現する。笹子が、もっと前面で主張してもよいのではと思える箇所もあったが、旋律や和声を補完する味わい深いギター、秋岡の優しい音色のバンドリン、沢田の躍動的に喜怒哀楽を表現するコントラバスのそれぞれが、絶妙な味わいを醸し出す。
武満は、自らの「ソングス」を混声合唱編曲したCD『武満徹 混声合唱のためのうた』(JDC-1074)のライナーノーツ「感想」(『武満徹著作集5』新潮社、2000年、390頁に「うた」として再掲)で、以下の言葉を残している。
「どのうたにも忘れがたい思い出がある。甘く、いくらか感傷的なうたばかりだが、未熟なりに、率直な表現ではある。編曲をおえて、アマチュア合唱団が楽しげにうたうのを聴いていると、うたは既に私の手から離れて、小さな翼でけなげに飛び去ってゆく。私の意図とは別の風景の中で、うたごえが谺する。作、編曲者としてこれに勝る喜びはない」
この武満の言葉は、心情が平易な言葉とメロディーで綴られた武満の「ソングス」という作品群の魅力を端的に表している。当夜の演奏会は、まさにこの武満の言葉が、ショーロクラブ、アン・サリー、おおたか静流という演奏家独自の音楽となって表現され、ホールに響き、客席を包み込むものだった。作曲者の思いと歌詞の主張を受け止めた演奏者が、それぞれの視点でその楽曲に自らを委ねる。そんな「うたごえが谺する」演奏会と言える。
現代音楽の旗手の武満徹だが、その枠組みにとらわれず、劇音楽や映画音楽にも並々ならぬ思いで創作に取組んだ作曲家の残した、武満徹『SONGS』(ショットミュージック)に所収された「ソングス」と称される作品群は、クラシックやポップスなど様々な領域の演奏家が作品を愛し、演奏し続けている。
さらに、この「ソングス」の中から、東京混声合唱団桂冠指揮者・田中信昭の委嘱で武満自身がアカペラ混声四部合唱に編曲して、前述のCDや楽譜として出版されている「うた」全10曲や、沼尻竜典がアカペラ混声四部合唱の編曲した、《混声合唱のための「MI・YO・TA」》のように、合唱愛好者をして一度は演奏したい、と思わせる楽曲群もまた、武満の「ソングス」の魅力でもある。
筆者には、《小さな部屋で》や《見えないこども》の、アンの優しい温もり、《昨日のしみ》や《小さな空》のおおたかの言葉の問いかけ、《MI・YO・TA》の、ショーロクラブの静謐な演奏が、特に心に刻印されたが、何より、ジャンルを超えて愛され、受け止められ、演奏され続ける「ソングス」が、私たちのかけがえのない財産であること、その作品群を、自らに引き寄せ、語り、表現するアーティストの存在が、更にその作品の多彩な魅力を私たちに提示していることを実感する、秋のひと時だった。
(2020/11/15)