特別寄稿|私のフランス、私の音|(8) 聴衆と作品 vs コンクール。|金子陽子
(8) 聴衆と作品 vs コンクール。
Vous avez dit «concours» ?
Text by 金子陽子(Yoko Kaneko)
2020年夏、コロナ禍で厳しいロックダウン生活やテレワークを体験した都会の人々の大脱出がフランスで始まった。常に住宅難なことで有名なパリ市内ではこの夏、貸オフィス、貸駐車場、貸マンションの空き物件が増加し、それに反比例するかのように、郊外や田舎の庭付き一軒家に次々と買い手が付いたという。コロナ災禍前には誰も予想していなかった事態だ。
このような時勢となることを先見していたかのように、パりから家族で過疎地の村に移り住んで地元の人々と音楽の輪を紡いできた同僚の懐深い友情に預かって、この7月にブザンソンの田舎の教会での心暖まる手作りのコンサートに参加させて頂いた。同じ村で4人揃ってロックダウン生活を過ごし、オンラインコンサートを発信し続けた若く素晴らしいアコス・カルテットAKOS QUARTET(第2ヴァイオリンが島根県出身の村上彩さん)とドボルザークのピアノ5重奏曲をマスクをつけた満員の聴衆の前で共演した。
コロナ禍の為に聴衆の前で演奏する機会、すなわち、精神的、現実的な意味で生活の糧となる活動を3月以来失っていた私たち音楽家にとって、この体験は、これから私が述べる『演奏の本質』についての『ひとつの答え』でもあった。
日本でクラシック音楽の業界の方と話すとき、音楽雑誌を手に取ったとき、日本からの優秀な留学生と話すとき、日本の若手演奏家の略歴を見るとき、コンクールと受賞歴が話題を占領していることに何度驚愕したことだろう。コンクールで賞を取ることが留学の唯一の目的かのような印象さえ受ける。その反面「日本の音大生は上手で真面目でコンクールでは優秀だけど、その先、プロになった後の演奏が問題だね」と、同僚の(ヨーロッパ人)の教授の「本音」を折りあるごとに耳にする。腕比べ、というのはモーツアルトの時代から勿論イヴェントとして存在した。しかし、ショパン、バッハ、ベートーヴェン、パガニーニ、いったいどの作曲家が自分の曲が「壮絶な競争の手段」として「演奏技術の審査の対象として」もてはやされる時代が来る日を想像したことだろう?そもそも演奏の目的とは何だろうか。そんな根本的な問題が日本でとりわけ忘れられているように感じる。
コンクールが優秀な若手の登竜門ということは納得できるし、私自身の体験からも難関コンクールへの「準備」と「挑戦」は刺激となり、実力もつく大変に良い機会と言える。
しかし、音楽と、フィギュアスケートや体操も含めたスポーツは、全く別の分野である。競技会やオリンピックが最高レベルのスポーツ選手の “唯一の目標” であっても、音楽の分野で、まるで、コンクールしか基準がない、コンクールに入賞しなかったら演奏家になれない、コンクールの結果でしか演奏家の価値を語れないというのは、一体どういうことなのだろう。そこまで音楽とは内容に乏しいつまらないものなのだろうかと、聴衆を、演奏家達をみくびっているかのように感じるのは私だけではないはずだ。
しかもコンクール出場の年齢制限は20代半ば、せいぜい30歳までだ。人生85年の最後まででも演奏活動は(スポーツと違って)続けられるというのに、20代そこそこでの経歴が一生キャッチフレーズとしてついて回る、どこかおかしい、と思う人はいないのだろうか?
まず、一番の問題はクラシック音楽とコンクールがビジネス、音楽教育界と密着しているということだ。コンクール優勝をキャッチフレーズに、とても高い入場料と、ある程度高いギャラを設定し、効率の高いビジネスが実現できる。コンクール入賞者を多数輩出する音楽学校や教授の元には良い弟子達が集まってくる。
コンクールは登竜門、と言うが、コンクールの結果は審査員が決める。では一体誰が審査員を務めるのか、コンクールの主催は誰がしているのか、賞金や予算はどこからでるのか、審査員と入賞者、スポンサーとの関係などを問いつめたとき、すべてではないが、一部のコンクール『神話』がトランプでできたお城のように揺らいでくる。
第2点として、コンクールで入賞することは大変な努力とチャンスの賜物で素晴らしいことではある。私自身、毎日新聞主催の全日本学生音楽コンクールには大変お世話になり、辛酸を嘗めた3度の挑戦後、4度目で全国一位、各地での披露演奏会を頂く等、素晴らしい体験をさせていただいた。しかし、国際コンクールにてチャンスを得てプロとして演奏や録音でデビューした暁には、恐ろしい事態が待っている。これは体験した本人しか知らない、タブーに近い事実である。
何故なら、今まで優秀な学生、将来有望の若手、だったはずが、歴代の巨匠と同じ天秤にかけられて演奏を比べられるからである。コンクールで入賞して世に出られたことで、「コンクール時のように演奏していれば一生安泰」かのような思い込みをしている演奏家がいたらそれは当然大きな勘違いだ。
かなり前のことになるが、とある国際ヴァイオリンコンクールに優勝し、彗星のように楽壇に登場して雑誌のグラビアも飾った才色兼備の女性ヴァイオリニスト(ヨーロッパ人)のデビューのステージをご一緒させていたたいた時期があった。まだ19歳だった彼女のもとには、有能なマネージャーがついたことも幸いして演奏会依頼が殺到、歴史的な名器も貸与された。しかし、著名音楽祭で大コンチェルトを「生まれて初めて」オーケストラと共演、しかも前日と翌日にその分野の世界的スター、レーピンとヴェンゲロフが出演という事態に遭遇してしまい、比較されて新聞誌上で厳しく叩かれたり、あるオーケストラと共演した折りには団員達から演奏に対してクレームがつくなど、輝かしい成功と同時に想像を絶する過酷な体験が待ち構えていたのだ。
私自身、ガブリエル・ピアノ・カルテットでイタリアの2つの国際コンクール入賞後にリリースした数々のCDへの批評が、それまで尊敬したり師事していた、例えばボーザール・トリオのような歴史的名手達のCDと、まるで「同じレベルであるべき」かのように比較して書かれている、という事実に気づき愕然としたものだ。コンクールに入賞するまでは、『若くて優秀』と褒められていたものが、プロとなると、まだ『青2才』ということで情け容赦なく批判される事態となるのだ。
つまり、コンクールはあくまでプロとしての出発点の『ひとつのきっかけ』でしかない。そう考える時、コンクールを受けない限り演奏の機会が訪れない、とりわけ、「コンクールで入賞した演奏家しか聴衆は聴かない」という『コンクール神話』は間違ったものだと気がつく。
第3に、コンクールの基準はどのようなことだろう、と見渡すときに、いつもメカニックという意味での技術、ミスの少なさ、(場合によっては、大げさな演技やルックス)という要素が優先となる。まるで音楽には他の要素がないかのように。クラシック音楽の意味と価値を正しく考えようとしたら、日本の伝統芸能や料理と置き換えてみるのは如何だろう?「伝統とスタイル」が「テクニック」と同じかそれ以上に重要な観点であることは一目瞭然だ。
コンクールというイヴェントがこれからも繁栄し続けるのであれば、「作品の演奏スタイル」を間違えることが、音のミスをすること以上に「重大な減点の対象」にならなくてはならない。
海外に在住するということで(私がもし日本に住んでいたならば恐らく使わないような)厳しい文調で気づいていたことを書かせて頂いているが、ここで視点を180度転換してみよう。
故三善晃先生という素晴らしい作曲家、教育者が学長を務められた私の桐朋学園在学時代、作曲、音楽学、第一線の評論家などの教授陣が、それぞれ情熱を注ぐテーマや得意分野を自由に講義する数多くの授業を受講することが可能だった。音楽とそれぞれの作品の奥深さ、楽譜の読み方など、作曲家の偉大な仕事というものについて心底感銘する教えを受けた私の内には、音楽家、演奏家としての自覚とういものがしっかりと形成された。日本で素晴らしい教育を受けた後に渡仏したお陰で、パリ音楽院の教授達から(おぼつかないフランス語とは正反対の)私の音楽の知識の深さに驚かれたことを覚えている。先人から学ぶ教え、言葉には表せない内面的精神的要素として時には信仰のように受け継がれていく芸術の世界というものが、「素人でも解りやすいコンクール歴」によってのみ語られるような状況は問題ではないだろうか。
ただ、ここで考えたいのは、社会における音楽と演奏会のあり方についてである。演奏の機会を持たずして、コンクール挑戦を主なアクティヴィティーとし(たとえ会場に聴衆がいても)、「審査を受けて他の出場者より優れた評価を得ることを目標」に、厳しい練習を重ねてきた日本の若手は、聴衆が真に求めている、聴きたいと思っている演奏、つまり、「作品の再現とそのひと時の感動をシェアする」という演奏家と音楽会にとって最も大切なものを知らずにプロになってしまう場合が多いように私は感じる。演奏の本来の目的は完璧な演奏で一位を取ることでは決してなく、聴衆に作曲家の意図を演奏家の感性を通してメッセージとして伝えるということだ。言い換えれば、コンサートにコンクールの勝ち負けの要素や結果を確かめるためにお金を払って聴きに来る音楽ファンは本来いないはずだ。
コンクールが雨後のタケノコのように増えたということが、クラシック音楽に対する誤解、更にクラシック音楽離れさえを助長しているのでは、と私は危惧し、そんな状況の中で涙ぐましく研鑽を積んでコンクールに挑み続けている日本の若い世代がコンクールシステムの可哀そうな犠牲者であるように感じる。
そして、演奏会企画に際しては、演奏家のパフォーマンスやキャリア中心ではなく、音楽作品の内容の深さと豊かさにより重点を置くべきだと私は考える。この点は私が啓示を受けたすべての音楽家、同僚達に共通する信念でもある。
また、ここでも視点を転換し、賞を取ったことをキャッチフレーズに(有名になった)新進演奏家を聴きに行く、というのでなく、音楽作品の素晴らしさと共に、まだ無名な演奏家を「聴衆が応援して育てていく」という聴衆参加型の意識やコンセプト作りができないものであろうか?
私がパリ音楽院でガブリエル・ピアノ四重奏団を結成してまだ間もない頃、熱心にグループが勉強している、ということで、音楽院の教務広報担当のベテランの方からアジャム(AJAM)という音楽愛好団体(アソシエーション)を紹介された。ドイツ国境のアルザス地方、ストラスブールを中心に、優秀な、でもまだ無名なフランスの若手演奏家のために、創設者のダニエル・ボット氏が中心となって村々での数日間のコンサートツアーを企画し続けて今日も続いている。私達の情熱と可能性を信じてくれた氏の尽力で、ストラスブールのライン・オペラ座の大ホールでのリサイタルも含め、なんと計30回もの大小の演奏会に出演させていただいた。ちなみにアジャムが設立された1960年の第1回目のツアーは、後に世界的な演奏家、教育者となって今も大活躍のルヴィエ(ピアノ)カントロフ(ヴァイオリン)ミュラー(チェロ)のトリオだったという!
連日山や谷を超えてドイツの黒い森やヴォージュ山間部の村へ移動し、古城、教会、町役場の広間など、毎日違う会場で、異なったピアノと音響に敏感に対応してテンポやアーティキュレーションに工夫をこらすなど、貴重な体験を積み重ね(音響の不思議と演奏については3月号で取り上げている)その後の国際コンクール、CDリリースにおいて大いに役立つこととなった。そして若い演奏家達を暖かくもてなしてくれる農家の人々、時には涙を浮かべて、コンサートの感想を告げに来る地元の人達、このような人々とのふれあいから、演奏家として成長するには、音楽院のレッスン室やコンクール、試験会場でなく、たとえ聴衆の数が少なくても、手弁当同然なギャラであるとしても、ステージで、人々の前で演奏する体験が最も貴重な「教え」となると確信するようになった。
手元にずっと離さず持っている『チャイコフスキー・コンクール』(中村紘子著)を久しぶりに読み返してみた。ここでも核心を突いた意見を見出しとても参考になった。
かつての共産圏諸国では、大コンクール出場に選ばれた演奏家は国家がコンクールの課題を弾く国内ツアーを作って完璧に準備して臨んだと聞いている。そのような国の体制がない自由主義の日本では、音楽学校に入る事、とりわけコンクールに挑戦することは、特別レッスンや、自主的な肝試しコンサートを企画できる経済的事情に恵まれた家庭の子弟しか実現が不可能というのが現実であり、経済大国というのは名ばかりの情けない状況にある。
日本ではコンクールで入賞すると突然ちやほやされるが、コンクール準備前の段階の人材を応援して育てる人々の集まり、愛好会、財団のようなものができないものだろうか?
この、ビジネスに結びつく事のない問いへの答えをみつけることは、恐らくコンクールを話題にし続けることよりずっと難しいことなのだと思う。文化、その人材の育成、ビジネス、教育、政治経済のモデルのすべての社会における関わり合い、バランスが問われるからだ。
コロナ禍の今だからこそ原点に戻って考え直す時間と価値が少なくともあるのではないだろうか?
素晴らしい伝統と知恵を持つ私達日本ならではの、芸術全般におけるより理想的な仕組みが、音楽を真に愛する人々の希望と努力によってこの先生まれ発展してくれることを私は願って止まない。
(2020/10/15)
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金子陽子(Yoko Kaneko)
桐朋学園大学音楽科在学中にフランス政府給費留学生として渡仏、パリ国立高等音楽院ピアノ科、室内楽科共にプルミエプリ(1等賞)で卒業。第3課程(大学院)室内楽科首席合格と同時に同学院弦楽科伴奏教員に任命されて永年後進の育成に携わってきた他、ソリスト、フォルテピアノ奏者として、ガブリエル・ピアノ四重奏団の創設メンバーとして活動。又、諏訪内晶子、クリストフ・コワン、レジス・パスキエ、ジョス・ファン・インマーゼルなど世界最高峰の演奏家とのデュオのパートナーとして演奏活動。CD録音も数多く、新アカデミー賞(仏)、ル・モンド音楽誌ショック賞(仏)、レコード芸術特選(日本)、グラモフォン誌エディターズ・チョイス(英)などを受賞。
洗足学園音楽大学大学院、ラ・ロッシュギュイヨン(仏)マスタークラスなどで室内楽特別レッスンをしている。
これまでに大島久子、高柳朗子、徳丸聡子、イヴォンヌ・ロリオ、ジェルメーヌ・ムニエ、ミッシェル・ベロフの各氏にピアノを、ジャン・ユボー、ジャン・ムイエール、ジョルジュ・クルターク、メナへム・プレスラーの各氏に室内楽を、ジョス・ファン・インマーゼル氏にフォルテピアノを師事。
2020年1月にはフォルテピアノによる『シューベルト即興曲全集、楽興の時』のCDをリリース。パリ在住。
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