評論(連載5)|強制収容所の音楽—アウシュヴィッツのオーケストラ—|藤井稲
強制収容所の音楽—アウシュヴィッツのオーケストラ—
Musik im KZ: Die Häftlingsorchester im nationalsozialistischen Konzentrations- und Vernichtungslager Auschwitz-Birkenau
5.アウシュヴィッツ後
Text & Photos by 藤井稲(Ina Fujii)
昨年、夏休みを利用して、わたしはポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所博物館を訪問した。アウシュビッツを初めて訪問したのは2001年、調査で訪れたのが2010、2011年。そして、この夏は5回目であった。
アウシュビッツへの玄関口である美しい古都クラクフの町には、アウシュヴィッツ博物館の案内ポスターがそこかしこに張られ、世界中からこの博物館を目的にこの町にやってくる人が多いのを感じた。
クラクフからバスに乗り、博物館に降りたときの光景は以前と変わらず、たくさんの観光バスが停まっていた。だが、かつて無かった光景は、入り口付近のひとだかりだ。そして、もっと驚いたことは、博物館への出入りが自由にできなくなっていることであった。人だかりをよく見ると、入り口から少し離れた場所から駐車場をぐるりと回って200、300メートルほどの長蛇の列になっていた。これまで予約なしに入館できたが、この時は事前予約をしていないかぎり列に並ばなければならなくなっていた。その上ガイド付きでないと入館できなくなっていたのだ。警備員に何を質問しても列の後ろに並ぶよう注意され、唖然としていても仕方がないので、列の最後尾まで行った。
並んでいる人に聞くと「(入場まで)4時間は待つだろう」とのこと。その日、10時に並び始めて入館できたのはなんと夕方4時ごろであった。実に6時間を肌寒い中ずっと立って待っていたのだ。「あとどれくらいで入館できるのか」「この辺に上着を買えるところはないか」と質問するわたしたちに対する館側のスッタフの対応は、まるでアミューズメントの係員のように機械的であった。わたしたちの後ろのほうには手押し車を使って立って並んでいる高齢の女性もいたのに、まるで並ぶのが当然という態度で、何の対応もなされていなかった。時の流れとともに変化していくのは当然かもしれないが、博物館の中に改築された今風のきれいなカフェ、歴史には興味のなさそうな学生バイトの受付と流れ作業のスタッフではあまりにポーランドという国の負の歴史を知るには寂しい気がした。ポスターと観光バスと長蛇の列。何時間も並ばねばならないアトラクションまがいを思わせるアウシュビッツ博物館を訪ねて、訪れる人にいったい何を残せるというのであろう。
これまでの連載で、私はベルリンの大学の修士論文でまとめたアウシュヴィッツ強制収容所のオーケストラについて書いてきた。戦後ドイツにおける「強制収容所の音楽」研究では国の政策と絡んでいたこと、そして2000年に入ってようやく学術的に取り上げられはじめたことを紹介した。また、アウシュヴィッツのオーケストラの実態とレパートリーについて述べてきた。この調査の中で、男性オーケストラの指揮者であったシモン・ラックス、女性オーケストラの指揮者アルマ・ロゼが楽団にとっての重要な役割を担っていたこと、男女オーケストラで楽器編成や団員の生活環境、生き残れるチャンスまでも違っていたことを明らかにした。また、博物館に所蔵されている200曲以上もの楽譜のタイトルを調べると、これまでクラシック音楽という固定概念があった囚人オーケストラのレパートリーが、実際は大衆音楽が愛好されていたという事実に直面したことである。その理由として、クラシック音楽をそれなりに仕上げるための団員の技術的、時間的、体力的問題があげられ、比較的仕上がりやすいポピュラー音楽が選曲されたことが想像されるが、何より強制収容所という極限状況下にいた親衛隊や多くの殺戮に関わった人々がそういった音楽を求めていたことにもつながる。そして、博物館のアーカイブに2000年を過ぎてからという遅い時期に大衆音楽の楽譜が大量に入ってきていることから、これらの音楽ジャンルと大量虐殺を結びつけることに、なんらかの抵抗があったようにも感じた。
このことから、ナチス・ドイツが残虐なことをした一方で、一般的にイメージされる優生思想に基づく音楽や芸術を好んでいたということに疑問符をつけることができ、これまでの歴史のイメージとは異なったものが浮き上がってくる。
また、「アウシュヴィッツの音楽」と聞くと、戦後生まれの私たちにはただでさえ想像し難い残酷な歴史が、より理解できないものへと脚色されてしまう。実際にアウシュヴィッツの音楽についてドイツで紹介されるときは、あのような残酷な場所で(美しい)音楽が演奏されていたなんて、という驚きと恐怖が前面に出される。しかし、どのような曲も「音楽」という一言で表現されてしまうことに、わたしはどこか違和感を感じていた。そのことからも、アウシュヴィッツ博物館に保存されている楽譜資料は、どのジャンルのどんな作品の音楽が演奏されたのかを具体的にみていくことへの重要性を示してくれている。
音楽はすばらしい、音楽そのものに罪はない、という通念は、強制収容所に「音楽」があったということを知ってから、ひとことでそう言ってしまっていいのだろうか、という疑問へと私の中でくつがえった。博物館に保存されたままの大量の楽譜が、今でも「特異な歴史」と見られているところに、このテーマの重さを感じる。「過去から学ばなければ、過ちは繰り返される」という言葉は、音楽の歴史についてもあてはまるのではないだろうか。
(了)
評論(連載1~5)|強制収容所の音楽—アウシュヴィッツのオーケストラ—|藤井稲
(2020/10/15)
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藤井稲(Ina Fujii)
大阪音楽大学ピアノ専攻卒業。渡独後ハンス・アイスラー音楽大学ベルリンのピアノ科に入学。フンボルト大学ベルリンに編入し、音楽学と歴史学を学ぶ。同大学マギスター(修士)課程修了。強制収容所の音楽を研究テーマとし、マギスター論文ではアウシュヴィッツの楽団について調査し研究に取り組んだ。現在、府立支援学校音楽科教諭。