サントリーホールサマーフェスティバル2020 オーケストラ スペース XXI-1|西村紗知
サントリーホールサマーフェスティバル2020 ザ・プロデューサー・シリーズ 一柳慧がひらく~2020東京アヴァンギャルド宣言~オーケストラ スペース XXI-1
Suntory Hall Summer Festival 2020 The Producer Series TOSHI ICHIYANAGI
-2020 Tokyo ‘Avant-garde’ Orchestra SPACE XXI-1
2020年8月26日 サントリーホール大ホール
2020/8/26 Suntory Hall
Reviewed by 西村紗知(Sachi Nishimura)
写真提供:サントリーホール
<演奏> →foreign language
指揮:杉山洋一
三弦:本條秀慈郎*
マリンバ:西岡まり子/篠田浩美**
ガムラングループ・ランバンサリ**
読売日本交響楽団
<プログラム>
高橋悠治:『鳥も使いか』三絃弾き語りを含む合奏(1993)*
山根明季子:『アーケード』オーケストラのための(2020)世界初演 サントリーホール委嘱
山本和智:『ヴァーチャリティの平原』第2部
iii) 浮かびの二重螺旋木柱列2人のマリンビスト、ガムランアンサンブルとオーケストラのための(2018~19)**世界初演 サントリーホール委嘱
高橋悠治:『オルフィカ』オーケストラのための(1969)
今年のサントリーホールサマーフェスティバルのテーマは「2020東京アヴァンギャルド宣言」。作曲家・一柳慧をプロデューサーに迎え、作風の異なる、20代から50代までの幅広い世代の邦人作曲家の委嘱新作が披露された。加えて、エリオット・カーター、カールハインツ・シュトックハウゼン等、現代音楽界の大御所の作品も適宜プログラムに配置され、こうした世代間の橋渡しとなるようなプロデュースにより、現代音楽の現在地を確認するようなイベントとなったように思う。
本セクションでは、山根明季子、山本和智の作品が委嘱新作で、大御所枠(もちろん作曲家本人にとってそうした扱いは不本意だろう)は高橋悠治。当然ながら世界観の全く違う三者三様を聴き比べ、なんとなしに茫然とした心持ちだった。
たぶんそれは、「アヴァンギャルド」という概念に対する、茫漠たる心情のことだ。他に適切な括りがなかったのかもしれないが、随分歴史的な概念を引き合いに出したものだと思った。この概念が美術の世界に転用されたのは、モデルネ芸術の開始と時期が同じだろうか、19世紀末ないしは20世紀初頭のことだったろう。以来、鍵概念として機能し、今日ではその役目を終えたのかどうか、役目を本当に一度でも果たしたのかどうか、一般市民は知らない。
知らないので、アヴァンギャルドの名に値するのかなどと考えると、茫然としてしまう。けれども、概念は来歴に沿って正しく使用するに越したことはない。とりわけ、アヴァンギャルドはもういくつか失敗だって経験しているであろうから、その苦みももう少し共有されていたっていい。それなのに、今になってアヴァンギャルド概念に触れるすべての人やものは、没歴史的できらきらしすぎている――どうして?アヴァンギャルドは本来、イデオロギーや資本を巡って、市民社会との痺れるような緊張関係の上にあったのではなかったか?市民社会の永続性を批判するような歴史意識は?尖った泡沫性の爆発は、アヴァンギャルドの結果でこそあれ、結果を没歴史的になぞること自体アヴァンギャルドの態度ではなかろう。
アヴァンギャルドを時代様式に切り詰めてはならない。これは倫理的な問題だ。アヴァンギャルドとは、常に見た目を変えながら、進歩史観が崩れ去っても前へ前へ行こうとすること――しかし、そんな無謀な賭けをやるための根拠は、今日一体どこにあるというのだろう。
高橋悠治『鳥も使いか』。三味線の弾き語りを中心に据え、場面場面で異なる曲が挿入される合奏。弦、打楽器はソーシャルディスタンスのためか舞台下方に配置。三味線の音は鳴ったらたちまち減衰して、すぐにしんと静まり返る。鳴ることより、静まり返ることの方が美しい。それに比べオーケストラの楽器はしぶとく音が残ってしまう。だから音色は差異が際立ったまま。弦のピチカートかバンダの打楽器くらい繊細でないと、なかなか三味線と釣り合いがとれない。ただ、これらの音はすべて、器楽の音色をまとっているけども、実体は声だ。衆生の声。そういうメタファーを思う。だから、音色の差異が際立っても、音楽全体が多様性のかたちのように思える。
山根明季子『アーケード』。殊更に言う必要もないかもしれないが、歴史的には敵対関係にあったアヴァンギャルドとキッチュを融和させる思考と感性に基づいた音楽が、この作曲家の強みである。
基本的に音楽に発展はない。打ち込みでつくったようなのっぺりとした表情の弦楽アンサンブルによる音響体に、ところどころサウンド・エフェクトのように打楽器をはじめ他の楽器が入り込んでくる。金管合奏による三和音。クラリネットは分散和音に。何か獲得した時の音のようなトランペット。こうして、街のゲームセンターから採取されたと思しき音の数々は、サントリーホールのど真ん中に連れてこられた。これらの音は作品のなかで融和している。その際、もともと音がもっていたであろう暴力性などはすっかり剥奪され、全体がパステルアートのよう。ずっときらきら、ふわふわして、いつの間にかこの作品は終わる。
山本和智『ヴァーチャリティの平原』。2台のマリンバとガムランアンサンブルをフィーチャーした合奏形態。この日の4作品のうちでは最も豪奢。だがなおかつ、音色の重ね方に繊細さも兼ね備えている。オーケストラは音の雲を生み出し、適宜場面に応じて対比をつくる。
2台のマリンバの熱演には目を見張るものがある。オーケストラとは独立したガムランアンサンブルも見事。
そして最後に再び、高橋の作品。1969年の『オルフィカ』。
楽器間にはかなり間隔が設けてあり、これもソーシャルディスタンスのためだろうか。方向をもたない音の数々が生まれた瞬間にまとまることなくすぐに消える。密集する部分でも聞いていてあまりストレスを感じない。個々の音色がかさなり合っても、音楽は常に軽い。
こういう統計的な音響体には時代を感じるところがあるけれども、かえって今っぽいのかもしれない。音の一つ一つはすれ違うだけで衝突せず、また音の容器全体が壊れることなく、結果的に雄大な時間がたちあらわれる。我々の日常における時間経験もまた、これからそうなっていくだろう、と思う。
最後に、8月19日にYoutubeで配信されたDOMMUNE「SUNTORY HALL SUMMER FESTIVAL 2020 Presents 一柳慧の『2020東京アヴァンギャルド宣言』」での一幕について。今回委嘱を受けた作曲家が一人一人、順に「あなたにとってのアヴァンギャルドな作品を一つあげてください」という質問に答えるコーナーがあった。本当に皆ばらばらに思い思いのアヴァンギャルドを表明していて、どれもそれなりに説得的な回答ではあった。
そんな中、最後に高橋はそれぞれの表明に対し「ヨーロッパは死んだ」と言った。次の要約は私の記憶を辿ったものだから、正確さを欠いている。……今回のコロナ禍で、さすがに近代は終わっただろう。もう誰かが誰かを支配する時代は終わりつつある。この地球上で、みんなばらばらに散って生きていくのだ。そのことを思考せよ。そうすれば、そういう音楽になっていくから……。
実際、「ヨーロッパは死んだ」などという時代診断が適切なのかどうかは正直ピンとこない。後期資本主義の終焉。打倒帝国主義。人民の時代へ。そんなこと、ずっと前から言われて、今となってはスローガンとして流通してすらいない。
だが、その高橋の発言について反論してみたところで何にもならない。本当に大事なのは、彼らの世代には自分の人生を賭して取り組むべきことがあったということ、スローガンを常に現実の身体経験へ取り戻すような実践があったということ。それは、我々若い世代にとって、目をそむけたくなるような現実である。
高橋はアヴァンギャルドを知っている――「そういう音楽になっていくから」。先達から投げかけられた課題は、あまりにも深刻だ。
(2020/9/15)
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<Artists>
Conductor: Yoichi Sugiyama
Sangen (Shamisen): Hidejiro Honjoh *
Marimba: Mariko Nishioka / Hiromi Shinoda **
Gamelan Ensemble: Lambangsari **
Yomiuri Nippon Symphony Orchestra
<Program>
Yuji Takahashi: “Tori mo tsukai ka” for Orchestra with a Shamisen/Vocal Player (1993) *
Akiko Yamane: “Arcade” for Orchestra (2020) [World Premiere, commissioned by Suntory Hall]
Kazutomo Yamamoto: “Field of Virtuality” Part 2 iii) Floating Double Helical Timber for Two Marimbists, Gamelan Ensemble and Orchestra (2018-19) [World Premiere, commissioned by Suntory Hall] **
Yuji Takahashi: “Orphika” for Orchestra (1969)