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特別寄稿|私のフランス、私の音|(6)女性であること親になること|金子陽子

(6) 女性であること親になること
Être femme et devenir parent.

Text & Photos by 金子陽子(Yoko Kaneko)

逼迫する日本の少子化問題とそれに深く関わっている社会における女性の地位、教育のしくみ、人々の考え方の違いについて、個人的な体験を交えながら書いてみたい。

1, 祝福される出産

家庭福祉政策が優れているフランスは、ヨーロッパ諸国で最も高い出生率を長年に渡って保ち続けている。
この国で活躍する政治家や大企業の管理職、医者、弁護士、音楽家、教授…., 私の周りでも、子沢山にしてバリバリと働いている女性が如何に多い事だろう。
子供の誕生が人生において最も素晴らしい出来事と国を挙げて母親と家族を応援して保護するフランスの懐の深い福祉政策の恩恵を受け、私自身恵まれた環境で長女と次女の妊娠、出産を体験することができた。

安定期に入って周囲に妊娠したことを告げた折り、子供が誕生した折り、仕事も含む周りのフランス人達から、熱い祝福のメッセージが驚く程沢山寄せられた。パリ音楽院を卒業した時よりも、コンクールで入賞した時よりも、結婚したときよりも、親になった時に、私がフランス社会の大切な一員として迎えられたことを実感した。かかりつけの産婦人科医のマダムは「子供を産む事は、フランスのために働くという素晴らしいことだ。産まれてくる子供のためにも体を大切に、栄養を沢山取って、もし疲れが出る様なら早めに産休に入るように。」と満面の笑顔で9ヶ月間励まし続けてくれた。

2017年のヨーロッパ28カ国の合計特殊出生率。フランス 1,90、ヨーロッパ平均値 1,59

長女が生まれる「前日」、次女が生まれた「9日後」になんと私はパリで演奏会をしていた。1年以上前に決まる場合も多いコンサートスケジュールは、「こうのとり」による、不安定要素が多い妊娠と出産と相容れることが難しく、なかなか計画通りに行かないものだ。長女に関しては出産前最後に引き受けた演奏会が出生予定日の3週間前で、結果的にその翌日に長女が生まれてしまったため、次女については、早めの出産になるだろうと予想して出産予定日の9日後の演奏会を引き受けていたのが、結局予定日当日まで生まれなかったという事情である。共演者と主催者の理解と支えのお陰で両方を予定通りにこなすことができたのは、出産、子育てと仕事の両立がごくあたり前なフランスだったからこそだと思う。
公立病院での出産と(2人部屋の)入院費用は健康保険から出るので、私が退院時に支払ったのは電話代2000円程だった。産後は、出産で弱くなったお腹の筋力の機能回復トレーニングを健康保険適用で10回受け、妊娠前よりも健康な身体になって仕事に復帰できた。

2, 乳児のしつけと保育システム

さて、祝福されてこの世に生を受けた新生児達はどのように成長していくのだろう。フランスでは、子供と両親ははじめから別の寝室というのが伝統だ。夜泣きがひどくなる時期があれば、しばらく泣かせてみて、我慢する事、両親のプライバシーを尊重する事を教えられる。
産休が終了して大多数の母親が仕事に復帰する生後10週間からは、保育園又は個人の保育士宅に預けられる。他の子供達と共同生活を体験することによって、3歳の幼稚園入園時には基礎的な社会性が身についている。
幼稚園、小学校に入ると、週日と、学校休暇中の学童保育が夕方まで完備されている。反対に、学童保育制度の完備が至っていないスイス、ドイツでは女性がキャリアと出産のどちらかを選ばなくてはならず、出生率で大差をつける結果となっているようだ。
ベビーシッター派遣会社も数多く存在し、母親が疲れた時、夫婦で記念日に外出をしたい時でも普通のこととして利用でき、日本の様に母親が非難されたり、罪悪感を感じることもない。
更に、両親どちらかが子供が3歳になるまで1年から2年の育休を取れる制度もあり、収入が減るその期間中は、国から補助金が支給され、2人目の子供が誕生した家庭には(20歳未満の子供が2人以上いる家庭が対象)自動的に子供手当が毎月支給される。

3, 教育の無償と塾の不在

フランスの公立の義務教育は高校終了まで無料である。給食は有償だが、それも、家庭の収入に応じて自治体の援助が出るしくみになっている。高校と大学、グランゼコール準備クラスへの進学はすべて内申点で決まり、高等専門学校とグランゼコール以外は入試がないため、塾も全く必要ないということになる。マクロン現大統領も学んだ、パリのカルチェラタンにある名門のアンリ4世校やルイ・ル・グラン校も公立だ。16歳になると健康保険が親から独立する。そして18歳の誕生日の日以降は、銀行口座も独立し、親は子供の口座の残高など見られなくなる。

4, ストライキとヴァカンス

子供を持って働く女性が生活しやすいフランスだが、私が苦労させられたこともある。それは、交通機関は勿論だが「教職員」のストライキ、そして長い学校休暇だった。
ストライキは労働者が勝ち取った尊重するべき権利であり意思表示の手段である、という考えがこの国ではしっかり浸透している。長女が小学校低学年の時、政府のとある改革案に「私達の子供達の世代の未来を踏みにじる案なので断固反対!」と、担任の先生が数週間にも渡るストライキに突入した。数週間分のお給料を返上してストライキによって意思表示をし続けたのだからその決意の強さは並みではなかった。フランスの義務教育は通信教育や家庭での教育も含まれているが、学校は在学する子供を預かる義務がある。とはいえ、すでに満杯な他のクラスに配属されるのも子供にとっては負担となるため、「できるだけお子さんを学校に連れてこないで家で学習させてください」というのが担任の先生からのメッセージであった。クラスメート(ほとんどがフランス人)の家庭では、祖父母が子守りに来たり、自ら休暇を取って子供の面倒を家で見ながら担任の先生のストライキを応援する親も数多くいた。私自身は子守りに来てくれる親戚もいなかったばかりか、次女の保育園送迎と仕事で余裕がなく困ってしまった。幸い仲良しグループの他の親達がローテーション形式で自宅で預かってくれたことで危機を救われた。
更に、次女が幼稚園児になった時、園全体がストライキを決めた日が一日だけあった。ちょうど大切な演奏会当日だった私にはどこにも預け先がなく、「解決策がないご家庭は私がお子さんを園長室で預かります」というちょびひげに眼鏡姿の『ベテラン園長先生』のご好意に縋って次女を幼稚園に送り込んだ。しかし次女はこの日、全幼稚園でたった一人の通園児として長い一日を(さぞご苦労が多かったと思われる)園長先生と二人っきりで、泣きべそをかきながら過ごすこととなった。つまりすべて他の親御さん達は休暇を取るなどして子供を家で預かっていたという訳だ。演奏会の方は無事に終えられ、園長先生のご好意には大変感謝しているが、私は親として情けない気持ちだった。

そして、1日の授業時間が長いことと比例するかのように、フランスの学校休暇の頻度も多く期間もとても長い。夏休みはほぼ2ヶ月、それ以外では、7週間の授業があるごとに2週間の休暇が年4回(年末、2月、4月、10月末)もある。日本のように学校でのクラブ活動が全く存在しないため、休暇中は、(1) 有料の学童保育に預ける、(2) 地方の祖父母や親戚宅に滞在させて有意義な日々を過ごしてもらう。(3) 家族で、最低1週間単位で、海外旅行、スキー、登山、又は別荘やキャンプで生活する。という具合に、学校の勉強と同じかそれ以上に『ヴァカンス』が重要な意味を持つ。この膨大な学校休暇中に、自宅以外の、できれば自然に恵まれた場所で、子供がどれだけ豊かな体験をするかは親の懐事情と企画力にかかっていると言う訳だ。裏を返せば、学校休暇中も自宅にいるということは、往々にして、恵まれない、可哀想な家庭、ということになってしまうのだ。

5, ヨーロッパ人としての教育

私のかねてからの希望で、2人の娘は家から一番近い、定評のある公立の幼稚園と小学校、いわゆる『現地校』で、あらゆる宗教と出身地が混ざるクラスメート達と共に、素晴らしい先生達から『自由、平等、友愛』を基にしたフランス共和国の教育を受けた。
小4で長女が初めて体験したクラス合宿は一生忘れられないものとなった。臨海学校か山登りかと思いきや、目的地はドイツに近いロレーヌ地方のヴェルダン。フランスのすべての小学生が学習する『ヴェルダンの戦い』で有名な、仏独両国から多くの犠牲が出た (死者70万人, 負傷者40万人)壮絶な第一次世界大戦の戦闘の地だった。兵士達が掘った地下要塞や、犠牲者の慰霊碑を見学、勿論自然の中での様々な体験もして、仏独の辛い過去と、ヨーロッパの平和への希望への願いが小学4年生の子供達の胸に刻まれた。娘にとっては生まれ育ったフランスでヨーロッパ人としての意識を持つことの意味を、私にとってはヨーロッパの未来を担う世代の親としての自覚が芽生えた機会となった。

このような親としての体験を振り返るとき、子育てと言う言葉は一方通行的な意味が感じられてどうもそぐわない気がする。私の方こそ子供に沢山のことを教えられ、日々驚きと感動を共にしながら成長させてもらってきたと感じているからだ。子供を通じて様々な分野の素晴らしい人々と出会い、親として社会参加をすることは人間を豊かにしてくれ、未来を担う子供達の若さと笑顔が私達の世代に与えてくれるエネルギーや歓びは、ことばでは言い尽くせない。

6, 広州での国際婦人デー

2人の娘達もすっかり成長した2018年春に、私は生まれて初めて中国を訪れ、広東の『国際女性芸術家フェスティヴァル』で演奏する機会を頂いた。ちょうどオフの日となっていた3月8日は、国際婦人デー。なんとこの地(広東省)ではこの日は半日が祝日という伝統で、内外の女性芸術家の記者会見とシンポジウムが開催され、私達は広州オペラハウスのステージに招かれた。それぞれの芸術活動を紹介する中国の画家やデザイナーの女性達の明るい笑顔がとても印象的だった。滞在先のホテルの自室に戻ると、赤い薔薇が一輪置かれていた。国際婦人デーに際してホテル支配人からすべての女性宿泊客へのプレゼントだった。
中国のここまでの女性へのエールは「女性も男性と同じ様に社会に出て活躍するべき」と奨励した毛沢東氏に由来するそうだ。それでは同じ日に日本ではどのような女性の為のイベントが開催されたのか知りたくなって早速検索してみた。
結果はゼロだったことに私は再度驚いた。

7, 日本の課題

社会における女性の立場に関することでは、日本と世界の差は驚く程大きい。2019年の世界フォーラムによる世界の男女平等指数調査によると、日本は153カ国中121位だそうだ。フランスの手厚い家庭福祉政策、教育政策に関しては、フランスの重い税制度のお陰でこれらの予算が支えられているという根本的な違いを理解しなければならないが、5月号でも触れた、世界が賞賛する日本と日本人の陰には、沢山の女性達の献身と犠牲が存在し続けたことを私達は意識し直すべきだと思う。献身も犠牲も美しい日本の価値観ではある。しかし同時に個人(ここにおいては日本の女性達)が生き方を自由に選択でき、社会がその実現のために男性と同じく平等な機会を与えられようになるべきだ。
芸術においても伝統と現代性は切り離せないように、日本の美徳と価値観と現代人の真の幸福のバランスはどこにあるかということを、女性、そして次の世代がより住みやすい国になっていくためにも、私達一人一人が真剣に考えなくてはならない。

(2020/6/15)

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金子陽子(Yoko Kaneko)
桐朋学園大学音楽科在学中にフランス政府給費留学生として渡仏、パリ国立高等音楽院ピアノ科、室内楽科共にプルミエプリ(1等賞)で卒業。第3課程(大学院)室内楽科首席合格と同時に同学院弦楽科伴奏教員に任命されて永年後進の育成に携わってきた他、ソリスト、フォルテピアノ奏者として、ガブリエル・ピアノ四重奏団の創設メンバーとして活動。又、諏訪内晶子、クリストフ・コワン、レジス・パスキエ、ジョス・ファン・インマーゼルなど世界最高峰の演奏家とのデュオのパートナーとして演奏活動。CD録音も数多く、新アカデミー賞(仏)、ル・モンド音楽誌ショック賞(仏)、レコード芸術特選(日本)、グラモフォン誌エディターズ・チョイス(英)などを受賞。
洗足学園音楽大学大学院、ラ・ロッシュギュイヨン(仏)マスタークラスなどで室内楽特別レッスンをしている。
これまでに大島久子、高柳朗子、徳丸聡子、イヴォンヌ・ロリオ、ジェルメーヌ・ムニエ、ミッシェル・ベロフの各氏にピアノを、ジャン・ユボー、ジャン・ムイエール、ジョルジュ・クルターク、メナへム・プレスラーの各氏に室内楽を、ジョス・ファン・インマーゼル氏にフォルテピアノを師事。
2020年1月にはフォルテピアノによる『シューベルト即興曲全集、楽興の時』のCDをリリース。
パリ在住。
https://yokokaneko.wordpress.com/