特別企画|新型コロナウィルス感染症と日本の音楽文化|戸ノ下達也
新型コロナウィルス感染症と日本の音楽文化
Music Culture in Japan under COVID-19
Text by 戸ノ下達也(Tatsuya Tonoshita)
◆はじめに
世界を席巻している新型コロナウィルス感染症は、人々の心や生活の糧となる文化にも深刻な影響を及ぼしている。文化芸術の自粛=活動停止は、その深化や発展の阻害のみならず、文化の担い手や享受者の損失という、文化の危機である。本稿では、新型コロナウィルス感染症の日本の文化芸術への影響について、行政、立法、音楽界の現在に至る変遷を整理し、現状を見据えてみたい。
◆行政(首相官邸・内閣官房)の対応
文化芸術は、2月26日の安倍首相の「イベントの開催に関する国民の皆さまへのメッセージ」で「中止、延期又は規模縮小等の対応を要請する」とされた。この自粛要請で、あらゆる音楽活動の完全な停止を余儀なくされたが、3月10日と同20日のメッセージでも同様の内容を要請した。
続いて、4月7日の「新型インフルエンザ等対策特別措置法」第32条第1項目に基づく、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、大阪府、兵庫県、福岡県に緊急事態宣言が発出された。同日には「新型コロナウィルス感染症緊急経済対策」が閣議決定、同16日には、前記都県に北海道、茨城県、石川県、岐阜県、愛知県、京都府を加えた13都道府県を「特定警戒都道府県」とし、さらに全県を緊急事態措置の区域とすることが発出され、同20日に「「新型コロナウィルス感染症緊急経済対策」の変更について」が閣議決定された。
この緊急経済対策は、2段階での対策を想定していて、感染拡大収束の目途がつくまでの「緊急支援フェーズ」で、「学校の臨時休業等を円滑に進めるための環境整備」のひとつで「子供たちの自然体験・文化芸術体験・運動機会の創出」が挙げられた。しかしそれ以外は収束後の「反転攻勢のフェーズ」対応とされ、かつ、文化芸術そのものではなく、「観光、運輸業、飲食業、イベント・エンターテイメント事業等に対する支援」の一環としての「Go Toキャンペーン事業(仮称)」、「地域経済の活性化」のひとつで「文化芸術・スポーツ施設への感染症防止対策等支援」「生徒やアマチュアを含む地域の文化芸術関係団体・芸術家によるアートキャラバン」「文化芸術・スポーツイベントを中止した主催者に対する払戻請求権を放棄した観客等への寄附金控除の適用」が挙げられていた。具体的な対応は、収束後に先送りされている。4月30日の参議院本会議で令和2年度補正予算案が可決し、ようやく国の生活支援策が実施されるが、こと文化芸術に限っては、あくまで「緊急支援フェーズ」の対策に過ぎない。
そして5月4日に新型コロナウィルス感染症対策専門家会議(以下「専門家会議」)の「新型コロナウィルス感染症対策の状況分析・提言」(2020年5月4日)に基づき、内閣官房の新型コロナウィルス感染症対策本部(以下「対策本部」)が「新型コロナウィルス感染症対策の基本的対処方針」令和2年3月28日(令和2年5月4日変更)を発表し、緊急事態宣言の期間延長が発出された。
この提言では、「都道府県別の感染状況と医療提供体制に関する評価」の一項目として、「屋内運動施設(フィットネスジム等)やライブハウスでクラスターが発生した場合に感染者数が多い傾向にある。このほか、カラオケ・合唱関係の場や通夜・葬儀の場などがクラスターとなったことについて、十分な留意と周知が必要である」と指摘され、具体的提言として、「感染拡大を予防する新しい生活様式について」の中に「新しい生活様式」の実践事例」が別添として例示され、「日常生活の各場面別の生活様式」の「娯楽、スポーツ等」の中に、「歌や応援は、十分な距離かオンライン」が明言された。
この提言を受けて、「新型コロナウィルス感染症対策の基本的対処方針」令和2年3月28日(令和2年5月4日変更)は、重要事項として掲げた12項目のひとつに、「室内で「三つの密」を避ける。特に、日常生活および職場において、人混みや近距離での会話、多数の者が集まり室内において大きな声を出すことや歌うこと、呼気が激しくなるような運動を行うことを避けるよう強く促す。飲食店等においても「三つの密」のある場面を避けること」を明記した。さらに、「催物(イベント等)の開催制限」として、「特定警戒都道府県及び特定警戒都道府県以外の特定都道府県は、クラスターが発生するおそれがある催物(イベント等)や「三つの密」のある集まりについては、法第24条第9項及び法第45条第2項に基づき、開催の自粛の要請等を行うものとする」と明言した。
首相官邸と内閣官房は、このような経緯で、文化芸術の危険性を掲げ、新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づき、自粛要請を行い、都道府県知事が具体的施策を周知していくることになる。この政府のスタンスを明確に示したのが、安倍首相の3月28日の記者会見だった。首相は「困難にあっても、文化の灯は絶対に絶やしてはなりません」と述べたが、江川紹子氏の江川紹子氏の「(文化、スポーツなどのイベント自粛の)要請に応えたところは必ず補償しますよということを決めることはできないのか」という質問に対し「損失を補償する形で、税金でそれを補償することは難しい」と回答した。これが現在の日本国の現実である。
◆行政(文化庁)の対応
首相官邸や内閣官房の動きを受けて、文化庁は、以下のように対応した。
2月26日の安倍首相メッセージを受けて、同日付けで「各種文化イベントの開催に関する考え方について(令和2年2月26日時点)が示達され、「多数の方が集まるような全国的な文化イベント等について、大規模な感染リスクがあることを勘案し、今後2週間に予定されているものについて、中止、延期又は規模縮小等の対応をしていただくようお願いします」とされた(下線部は原文ママ)。この安倍首相メッセージと文化庁の事務連絡が、現在に至る原点だが、以降、文化庁は、3月10日と、同19日の専門家会議の「新型コロナウィルス感染症対策の状況分析・提言」を受けた同月20日にも「各種文化イベントの開催に関する考え方について」を更新し、5月4日付け事務連絡「5月4日に決定された「新型インフルエンザ等緊急事態宣言」の延長等について」で、自粛の継続を示達しているほか、この間、3月27日には、宮田亮平文化庁長官が、「文化芸術に関わる全ての皆さまへ」というメッセージを発表した。
その一方で、支援措置も発表している。同月31日には、事務連絡で各種支援制度の発信を告知し、4月7日の緊急経済対策の閣議決定を受けて、文部科学省が同日付けで「緊急経済対策パッケージ」を発表するが、同時に文化庁も「令和2年度補正予算(案)の概要」を発表し、文化施設の再開に於ける感染症対策支援(21億円)、文化芸術への関心と熱意を取り戻すイベントの開催支援(13億円)、子供のための体験活動への支援(文化)(13億円)、最先端技術を活用した鑑賞環境の改善と文化施設の収益力強化(14億円)を骨子とすることを表明していた。更にホームページに「新型コロナウィルスの影響を受ける文化芸術関係者に対する支援情報窓口」を開設し、随時情報を更新している。
4月16日には、緊急事態措置の全都道府県への拡大を受けて、「4月16日に変更された「新型コロナウィルス感染症対策の基本的対処方針」について」で基本的対処方針の周知徹底を行った。そして、同22日の専門家会議の見解や、対策本部の「人との接触の8割削減」を受けて、同23日に事務連絡「接触機会の低減に向けた取組の周知について」を発表している。
ただ、現時点での文化庁の対応は、実演者への対策は予算化されず、支援情報窓口開設に止まっている。文化庁が例示している「新型コロナウィルスの影響を受ける文化芸術関係者に対する支援例」によれば、実演家は、「持続化給付金(仮称)」「生活支援臨時給付金(仮称)」「小学校等の臨時休業に対応する保護者支援」の活用のみが提示され、文化庁の予算は充当されていない。オーケストラや興行主、劇場については、これらに加えて、前記補正予算での活動支援を行うことが例示されているが、その充当も「反転攻勢期」までは具体化できない状況にある。それは、5月1日付け事務連絡「博物館、劇場、音楽堂における事業活動を支える事業者等に関する経済的支援策について」で例示されているとおり、現時点で活用できる支援が、融資や税・社会保険・公共料金等の支払い猶予、雇用・労働環境整備の助成金が主体であり、給付は、持続化給付金のみであることからも明確である。
そして、5月4日の緊急事態宣言期間延長に伴い、同日付け事務連絡「5月4日に決定された[新型インフルエンザ等緊急事態宣言]の延長等について」で、5月31日までの緊急事態措置延長、文化イベント等の開催制限、文化施設の使用制限等という3点で、適切な対応を求めた。特に、文化イベント等の開催制限については、クラスター発生のおそれがある催物(イベント等)や「三つの密」のある集まりは、開催の自粛等を行うこと、全国的かつ大規模な催物等の開催は主催者に慎重な対応を求めることとされ、特定警戒都道府県以外の各県は、感染拡大防止策を講じた少人数イベント等への適切な対応を求めている。
このように文化庁は、首相官邸と内閣官房の決定を、音楽界に示達して政策の周知徹底に注力し、予算措置を講じることとなったが、この対応が個々の実演家や実演団体や関係者の支援・救済に直結することになるのか、予断を許さない。
◆行政(地方自治体)の対応
地方自治体は、個別対応に先んじて、3月23日に全国知事会・全国市長会・全国町村会が「今後の新型コロナウィルス感染症対策について」で、大規模イベント開催のガイドライン提示や小規模事業者への緊急融資を要望と同時に、「新型コロナウィルス感染症に伴う大胆な地域経済対策の実施について」で金融・財政支援を、与党と菅官房長官に要請した。さらに4月8日には、全国知事会が「「緊急事態宣言」を受けての緊急提言」で、イベント等の自粛協力要請の補償等を明記した。
個々の自治体の対応は、令和2年度補正予算に連動して進められた。
地方自治体も、令和2年度補正予算で、具体的な文化芸術の救済策を盛り込んだ。
東京都は、4月15日に令和2年度補正予算で「文化芸術活動の幅広い支援」として5億円の計上を発表、同24日に「アートにエールを!東京プロジェクト」第一弾として、プロのアーティスト・クリエイター・スタッフ等の動画作品募集と専用ページで配信と、出演料相当として一人当たり10万円の支払いを告知した。
大阪府は、4月22日に、令和2年度補正予算(第4号)の中で、「文化芸術活動の継続支援」としてライブ配信立ち上げ経費の補助として144,800千円の計上を、同日に長野県は令和2年度補正予算で「文化芸術による心豊かな暮らしの実現推進事業」で「新型コロナウィルス感染症の影響で活動を自粛しているアーティストの創作活動支援」として12,300千円の計上を、鳥取県は4月2日と16日の平井伸治知事の記者会見で「とっとりアート緊急支援プロジェクト」の推進を表明し、同27日に「とっとりアート支援事業補助金」申請を開始し、映像配信経費の補助(上限50万円)を発表、同24日には、京都市が「京都市文化芸術活動緊急奨励金」創設を、令和2年度補正予算の実施予定を繰り上げて実施することを発表し表現、マネジメント、技術の各部門で、一件30万円の奨励金の拠出を行うことを、同28日には、横浜市が「新型コロナウィルス感染症くらし・経済対策」のひとつで、「文化芸術に携わる団体・事業者に対する支援」を掲げ、市内のアーティスト等の文化芸術活動緊急支援事業(2億1500万円)、バーチャル版芸術フェスティバル事業(9000万円)、アーティスト・クリエーター等へのワンストップ相談対応事業(1000万円)の展開を、5月1日に愛知県が、大村秀章知事が記者会見で、新規施策として「愛知県文化芸術活動応援金の創設」と「文化芸術活動緊急事業の実施」、さらに「文化活動事業費補助金」の拡充を、それぞれ発表した。
限られた自治体予算の中で、他の政策と共に、芸術文化支援の具体的な取組みを独自に進めようとしていることは評価される。しかし、動画作品制作やライブ配信とそれへの出演への支援・助成が主体であり、愛知県以外は個々の実演家の生活支援にまで深掘りできていない。また、私が再三指摘しているように、あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」で顕在化した行政の芸術文化への介入が、この支援や助成でもまかり通る懸念がある。動画やライブの「自主性」がどこまで尊重されるのか。恣意的に行政の都合のよい内容に偏向してしまうことのないよう、注視する必要がある。
補償を伴わない自粛要請が先行し、それに伴う支援や助成が後手に回っていることは周知の事実だが、何より予算措置が講じられないと具体策が実行できない。これは行政に限らず民間企業や各種法人も同様であり、経済政策として感染症や災害等の緊急事態で迅速な対応が課題であることが浮き彫りになっている。さらに4月20日の閣議決定「「新型コロナウィルス感染症緊急経済対策」の変更について」では、文化芸術については、「反転攻勢のフェーズ」での対応とされ、それの文化芸術の支援ではなく、「観光。運輸業、飲食業、イベント・エンターテイメント事業等に対する支援」で「Go Toキャンペーン事業(仮称)」、「地域経済の活性化」で「文化芸術・スポーツ施設への感染症防止対策等支援」「生徒やアマチュアを含む地域の文化芸術関係団体・芸術家によるアートキャラバン」「文化芸術・スポーツイベントを中止した主催者に対する払戻請求権を放棄した観客等への寄附金控除の適用」として位置付けられている。文化芸術支援は、あくまで「地域経済を活性化」するための一つの方策に過ぎないのが、行政の文化芸術への認識であることが明白である。
前述のように自治体レベルでは具体的な支援が検討され始めている。行政の支援は、予算など財源の限界があるものの、私たちも文化庁など国と、自治体の政策がどのようにリンクし、文化への手厚い支援体制が構築されるか注視し、要望していく必要がある。
◆立法の対応
前記の行政の文化領域への対応を受けて、立法は瞬時にかつ迅速に問題を捉え、追及していた。
衆議院予算委員会では、2月26日の第16回委員会で、野党統一会派の玉木雄一郎議員、同27日の第17回委員会で日本共産党の高橋千鶴子議員と、日本維新の会の足立康史議員が、イベント自粛基準の明示や対策、自粛期間の見通しを、同28日の第18回委員会で、野党統一会派の渡辺周議員がイベント自粛の時期と解除要件を、日本共産党の宮本徹議員がフリーランスへの所得補償の必要性について、それぞれ取上げていた。
厚生労働委員会では、3月6日に第2回委員会では、野党統一会派の柚木道義議員と、日本維新の会の藤田文雄議員がフリーランスの休業補償、日本共産党の宮本徹議員がイベント自粛の影響へと支援、同11日の第3回委員会では、野党統一会派の西村智奈美議員がフリーランス向け助成金を生活維持が可能となるレベルにする必要性、野党統一会派の山井和則議員がイベント中止に伴うフリーランスの休業への融資と所得補償の必要性、同18日には日本維新の会の藤田文武議員がイベント自粛のガイドライン作成の有無、野党統一会派の阿部知子議員が雇用労働者と比較したフリーランスの給付額の格差について、それぞれ取上げていて、以降は、衆議院文部科学委員会と参議院文教科学委員会で、議論が展開していく。
衆院では、3月6日の第2回委員会で、自民党の馳浩議員がスポーツ・文化活動のキャンセル料等の損失補償、日本共産党の畑野君枝議員が、児童生徒が芸術・文化に触れる機会確保のための芸術団体支援策、実演家等の支援策、キャンセル料等の経費への助成、オーケストラ団員の経済的損失の補償を、同11日の第3回委員会で、野党統一会派の山本和嘉子議員が、文化・スポーツイベント自粛要請期間の明確な指標、主催者の損失補償を、同24日の第5回委員会で、野党統一会派の城井崇議員が、自粛要請の継続確認と損失補償、日本維新の会の森夏枝議員が国内旅行やイベント実施可能となる対策、再開に向けたガイドライン策定等の支援策を、同25日の第6回委員会で、畑野議員が自粛要請に伴う影響を受けた関係者への支援策情報の提供と文化芸術に関わるフリーランスのサポートの仕組みの検討、公明党の浮島智子議員が、スポーツ庁長官と文化庁長官が国民にメッセージを行う必要性、感染症終息後に文化芸術への気運情勢を、それぞれ質問している。因みにこの浮島議員の要望が、前述した宮田文化庁長官のメッセージ発表に直結していることは、容易に想像される。
参院では、3月10日の第2回委員会で、日本維新の会の梅村みずほ議員が、一斉休校とイベント自粛要請の延長検討の有無、日本共産党の吉良よし子議員が、公演中止の影響を受けた演劇・音楽関係者の支援策、同18日の第3回委員会で、梅村議員が文化イベント再開の見通しを示す必要性、4月7日の第5回委員会で、野党統一会派の横沢高徳議員が、自粛を余儀なくされた文化芸術関係者に対する緊急経済対策、日本共産党の井上哲士議員が、危機に直面した文化芸術活動に対する文科大臣の認識と自粛要請に対する経済的損失の補償を、それぞれ質問している。
さらに、令和2年度補正予算審議の4月29日の衆議院予算委員会では、注目すべき議論がなされた。日本共産党の志位委員長が、安倍首相に、自粛要請にふさわしい補償、文化・芸術・スポーツは人間として生きるために必要不可欠な酸素のような貴重なもので、これらを守り抜くために補償を約束して欲しい、さらに「Go Toキャンペーン事業(仮称)」の予算を収束に向けたものに可及的速やかに充当すべきと質問した。これに対し、安倍首相は「協力には感謝申し上げたい」「出来る限り幅広く支援させていただくものとして持続化給付金を創設した」「灯を絶やさないよう全力を尽くしたい」「収束後、文化芸術に携わる方の活躍の場を設ける」「Go Toキャンペーンでは文化芸術にふれようというキャンペーンも行う」という抽象的な答弁に終始した。ちなみに、野党統一会派と日本共産党が提案した、補正予算組替えにも「Go Toキャンペーン事業(仮称)」の削減と感染拡大防止のための生活・事業・医療等継続支援充当を盛り込んでいた。緊急経済対策は、文化芸術支援は、あくまで経済の失地回復が主眼であり、芸術文化支援のための経済対策ではないことが、ここで明確になっている。
このように、立法では、活動停止に伴う当事者の経済的利益損失や文化芸術の継続への危機感が共有されているように思われる。特に衆議院では、与野党が文化活動の停滞に対する影響を危惧し、積極的に政府を追及し、要望を表明していた。この意識が、超党派の議員による動きに繋がっている。
3月17日には「新型コロナウィルスからライブ・エンタテイメントを守る超党派議員の会」が開催され、関係する20団体が出席して意見交換を行った。そして、同23日には、超党派の文化芸術振興議員連盟が、「新型コロナウィルス感染拡大防止に係る文化イベント自粛要請に関する緊急決議」を発表し文化庁に提言すると共に、河村建夫議連会長から、萩生田光一文部科学大臣、西村康稔新型コロナウィルス感染症対策担当大臣、菅義偉内閣官房長官にそれぞれ緊急決議文を手渡している。緊急決議は、緊急の経済的損失の補填・支援、再開基準の表明と感染防止対策の支援、キャンセルの損害補填と感染拡大防止方策の発信支援、文化庁に一元化した救済・支援窓口設置、文化芸術にふれる機会や鑑賞機会拡大と国内外への発信の強力な支援の5項目が掲げられている。この議員連盟の動きの背景には、「文化芸術振興基本法」の改正で2018年に公布された文化芸術基本法が、文化芸術振興議員連盟による議員立法で成立に至るように、立法の文化政策への主体的な参画意識があるだろう。
もっとも最近の文化政策には、文化立国を標榜する政府の意向や、観光など文化資源の経済的効果の訴求など、文化芸術に社会的・経済的貢献を求める姿勢が鮮明である。現在開会中の第201回通常国会で「文化観光拠点施設を中核とした地域における文化観光の推進に関する法律」が成立したことは、その方向性の表れではないか。この立法の動きも、今後の文化政策を考える上で示唆的である。
立法も、その存在意義が試されている。文化に限らず、人々の意識をどのように吸い上げ政策を立案し実行するのか、有権者として私たちも、当事者意識を持って、新型コロナウィルス感染症対策以外の様々な問題も常に意識しながら、行政や立法を見据え、現在そして将来の文化芸術のあり方を考え、問題提起すべきである。私たちは、文化芸術の実演家や関係者の活動や生活が、その自主性と共に補償されることや、経済的利益に直結しない文化芸術のジャンルにも配慮しながら、行政や立法を巻き込んで、日常に息づく文化を広く発信し、享受し、形作ることを念頭に、現在の危機を捉えることが何よりも大切なのではないか。
◆音楽界の動き
2月26日の、安倍首相と文化庁の自粛要請は、直後から公演の中止や延期が相次いだが、音楽界でも様々な動きが見られた。
3月2日には日本音楽家ユニオンが「新型コロナウィルス感染拡大防止措置に伴う公演キャンセルに関する声明」で、キャンセル料支払いと、国に対し音楽家などフリーランス活動の人々への経済的支援を、同5日には、公益社団法人全国公立文化施設協会が国に対し公演中止や延期に伴う損失補填を、同13日には公益社団法人日本芸能実演家団体協議会が「新型コロナウィルス感染拡大防止による舞台公演中止等を受け、実演芸術活動の維持と鑑賞機会の回復に向けた施策を要望します」として、企業・団体と実演家・スタッフへの経済的支援と鑑賞機会確保の予算計上を、同16日には一般社団法人日本クラシック音楽事業協会が、「文化イベント等の中止・延期などの対応要請に関する要望書」で事業者の損害の補償施策、実演家の損失補填、実演家や事業者への融資等の救済策、自粛要請解除の指針明示を、同17日には、一般社団法人コンサートプロモーターズ協会と同日本音楽事業者協会、同日本音楽制作者連盟、同日本2.5次元ミュージカル協会とコンピュータ・チケッティング協議会の5者連盟で、「新型コロナウィルスからライブ・エンタテイメントを守る超党派議員の会」に出席し、公演再開に向けた機運醸成と経済的支援の要望書を提出した。さらに同19日には、オーケストラ、バレエ団、オペラ、舞踊・演劇・落語のほか、全日本合唱連盟や合唱音楽振興会なども構成員となっている芸術家会議が舞台芸術団体と関係者の経済的支援、4月6日には、音楽・映画・美術等の21団体で構成された文化芸術推進フォーラムが文化芸術復興基金の早期創設と緊急融資の実施、同日には日本オーケストラ連盟が「オーケストラ音楽存続のために」で、財政への支援と公益財団制度の見直しと適用の猶予、イベント実施のガイドライン策定を、それぞれの立場で要望や声明、緊急アピールとして発表した。
これらの要望や声明は、実演家や実演団体、劇場や関係者への経済的支援、自粛要請のガイドライン策定、公演再開後の支援といった問題を、共通の課題として提示している。一刻も早い実演家や実演団体、スタッフへの経済的支援は、文化芸術を存続させる上での死活問題だという深刻な叫びであるが、これらの動きが、立法や行政を後押ししていることは間違いない。音楽界が一丸となって問題を捉え、私たちはこの取組みを支え、継続して解決策を行政や立法に突き付けていくことが望まれる。
実演家や演奏団体は、動画配信やリモート演奏など、遠隔性と同報性を駆使した手法で、新たな発信を行っている。ネットワークを通じた音楽の共有は、新たな音楽のあり様を提示しているが、同時に、直接人間が集まり、それぞれの主張が渦巻いて、有機的な空気の振動となって共鳴していくという、音楽文化の本質を、凝視する機会と認識すべきではないか。五感で深秀な音の響きを受け止めることの尊さを改めて感じる。演奏会も、演奏者と聴衆が、ホールという楽器と共に音楽を作り出している事実を再認識し、そのために私たちは、今何をなすべきかを考えなければいけない。
◆おわりに
新型コロナウィルス感染症の芸術文化への問いかけは、実に重い。先行きが見通せない現時点ながら、私たちは、収束後に到来する新たな社会のあり様を想像しながら、対処方をイメージして、行動しなければならない。そのためには、社会が分断し、ステレオタイプの中に固定されることなく、近視眼的な思考に陥ることなく、冷静に、柔軟かつ寛容な姿勢で、事態を受け止めていくべきであろう。音楽についても、可及的速やかに実施されなければならないのは、実演家や関係者の支援である。クラウドファンディングや各団体への直接支援など、経済的なバックアップは、行政の支援が直ぐに期待できない現状では、日常から音楽を享受していた私たち愛好者一人ひとりが、これまでの実演家や実演団体とその関係者への感謝として積極的に実践していく義務があるように思える。またSNSによる支援状況や情報共有も拡充していく必要があるだろう。
そして、何より行政が経済的支援の具体策を実行することが求められる。感染症の終息(もしくは沈静化)の後にどのような施策を講じるべきか。解決や施策を滞りなく、また国家の介入や干渉をさせることなく、自主性が尊重される活動が再開できるかの取組みを進めなければいけない。もちろん、行政への経済的支援を要請し続けていくことも重要だ。しかし、その際に最も留意すべきは、支援はあくまで芸術文化活動に対するものであること、行政による支援への見返りや、活動への干渉や介入を徹底して排除し、文化芸術基本法の理念である「文化芸術の自主性を尊重すること」を死守しなければならないのではなかろうか。
(2020年5月8日脱稿)
(2020/5/15)
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戸ノ下達也(Tatsuya Tonoshita)
1963年東京都生まれ。立命館大学産業社会学部卒。洋楽文化史研究会会長・日本大学文理学部人文科学研究所研究員。研究課題は近現代日本の社会と音楽文化。著書に『「国民歌」を唱和した時代』(吉川弘文館、2010年)、『音楽を動員せよ』(青弓社、2008年)、編著書に『戦後の音楽文化』(青弓社、2016年)、『日本の吹奏楽史』(青弓社、2013年)、『日本の合唱史』(青弓社、2011年)、『総力戦と音楽文化』(青弓社、2008年)など。演奏会監修による「音」の再演にも注力している。第5回JASRAC音楽文化賞受賞。