小人閑居為不善日記|《パラサイト》とビリー・アイリッシュが紡ぐ絶望のかたち|noirse
《パラサイト》とビリー・アイリッシュが紡ぐ絶望のかたち
Parasite and Billie Eilish
Text by noirse
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アカデミー賞授賞式が近付いている。と言っても本稿がアップされた頃には既に結果が発表されて、間抜けた話で申し訳ないが、まずは今年のアカデミー賞で大きく注目を浴びている作品から紹介したい。
韓国を代表する監督ポン・ジュノの新作《パラサイト 半地下の家族》(2019)。カンヌ映画祭パルムドールをはじめ内外の映画賞を席巻、アカデミー賞では外国語映画賞のみならず作品賞にもノミネート。アメリカが製作に関わっていない作品としては、アジア圏の映画で初となる。
《パラサイト》がこれだけ支持されている理由のひとつは、「格差」という主題にある。韓国は1997年のアジア通貨危機以降、非正規雇用が拡大化した。名門大学を卒業しても就職できない。どうにか仕事にありついても給料は安く、不安定だ。そもそも韓国は大学受験からして過酷で、小学生から準備を始める親も多い。生まれつき横たわる格差を前に恋愛、結婚、出産を諦める若者が続出、「三放世代」と呼ばれたのが10年ほど前。今はそれに就職、マイホーム、友人、夢が加わり、「七放世代」となった。
《パラサイト》の主人公、キム一家も全員失業中だ。受験に落ちて将来の見通しがつかない兄妹は、まさに七放世代の当事者。そんな中、幸運にも裕福な社長一家の家庭教師の口にありついたギウは、巧妙に家族を社長宅に引き入れ、「寄生」する道を模索する。
このテーマ、非正規雇用が常態化した日本はもちろん、アメリカやヨーロッパも他人事ではない。動かしようがない格差を前にどんな手を使ってでも這い上がろうとするパラサイト一家の姿は、アメリカ人の心さえ掴んだようだ。
《パラサイト》が受け入れられた理由はそこにもあるだろう。「寄生」という設定はあくまで作品の一側面に過ぎず、一方で家族の結束、家族愛という普遍的なテーマを描いた点も、多くの共感を呼んだ原因に違いない。
しかしわたしが一番関心を持ったのは、キム一家の他人への無関心さだった。パラサイトされるパク一家は別に悪人ではない。キム一家も寄生はするが、特別彼らに悪意を抱いているわけではない。けれど同情や共感もしない。パク一家が深刻な境遇に陥っても、キム一家は憐憫のひとつくれるでもなく、自分たちのみを気にしている。
わたしは本欄で、たびたび家族志向の映画を批判してきた。家族や血縁を重視する価値観は、ドメスティックで閉鎖的になりやすい。
《パラサイト》の真骨頂は、そうした家族中心主義への批判的なまなざしにある。映画は表向きは感動的に終わるが、キム一家の自己中心的な考え方を踏まえれば、あれで「感動」してしまうのは、観客までも「自分さえよければいい」という近視眼的な渦に巻き込まれたということだ。
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1月にはアカデミー賞に先んじてグラミー賞授賞式が行われた。結果は大方の予想通り、弱冠18歳のビリー・アイリッシュによる主要4部門制覇となった。39年ぶり、2度目の快挙だ。
本欄でもたびたび取り上げた通り、最近のグラミー賞の基調はダイバーシティ、多様化にある。今回も自身の体形をポジティブに歌ったリゾ、ゲイをカミングアウトしたラッパーのリル・ナズ・Xなど、ダイバーシティ路線を踏襲したノミニーではあった。
しかしビリー・アイリッシュはハイランド・パーク出身(現在のL.A.で最も「ヒップ」なスポット)の白人で、両親は映画や音楽業界で働いている、いわば芸能一家だ。そこだけ取り上げれば、今回のグラミーは実に保守的な結果だったと映る。
だがそう判断するのはまだ早い。ビリー・アイリッシュがそこまで支持される理由は何か。それはダークな世界観と歌詞、それを歌う彼女自身のキャラクターにある。
ガラスの上を歩いて、あんたの舌を塞ぐ
友達を埋める 今にも起きてきそうだから
我が子を殺す人食いのように
友達を埋めよう 終わりにしたいから
終わりにしたい
わたし、終わりにしたい
終わりに、終わりに、終わりに…
アイリッシュの〈bury a friend〉の一節だ。ここでの「you」や「friend」は、歌い手自身を指していると考えていいだろう。彼女の曲には自己破壊衝動を歌ったものが多く、中には自殺した夢を見て書いたというものもある。
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1990年代半ばから2010年くらいまでに生まれた世代を、アメリカではZ世代(ジェネレーションZ)と呼ぶ。気付いた頃にはスマートフォンや配信サービス、SNSが身近にあった「ソーシャルネイティブ」だ。
Z世代を代表する音楽にエモラップがある。ダークなトラックに乗せて綴られるリリックは自殺や鬱、ドラッグなど、内省的でペシミスティックな題材が多い。かつてはラップといえば金や女、車自慢ばかりと言われてきたが、そうしたマッチョイズムと真逆なエモラップがZ世代からは絶大な支持を受けている。
現在アメリカの十代の鬱病の報告率は急増、自殺率も高くなっている。貧困などの要因もあるが、SNSにより情報が手に入りやすくなり、格差や環境問題などが山積みとなった悲観的な未来に絶望しやすくなったという見方もある。彼らは親や家族に相談もできず、ひとりで悩みを抱えてしまうという。
こうした状況を背景に人気を集めているシンガーに、ビリーも影響を受けたであろうラナ・デル・レイがいる。死や暴力を好んで歌う彼女の音楽は、よくいえば退廃的だが、自殺を賛美しているとして批判もされている。
だがラナ・デル・レイが歌うような不安や死が、若者を魅了するのも確かだ。鬱や自殺は、インスタグラムなどのSNSを中心に、一種のカルチャーを形成している。リストカットの画像などをアップし、「いいね」を集めるわけだ。
エモラップのラッパーにも、SNSでバズるため、大っぴらにドラッグをキメる姿をアップする者がいる。Z世代を巡るカルチャーは、死や暴力、ドラッグのイメージにからめとられているのだ。
もちろん全員がそうではなく、絶望的な状況の中でも希望を持てと歌う者もいる。しかしここ2、3年のあいだに、エモラップを代表するリル・ピープとジュース・ワールドがドラッグで、XXXテンタシオンが銃撃により命を落としてしまい、この世代の絶望がよりくっきりと浮かび上がってしまった。
ビリー・アイリッシュはエモラップのラッパーたちと同世代だ。彼女自身トゥレット障害や夜驚症、鬱などに悩まされており、彼女の歌詞はその経験に基づいている。
彼女の音楽にも、鬱や自殺願望を美化していると受け止められかねない余地はある。しかしメディアでの彼女のふるまいはポジティブであっけらかんとしており、前に進んでいこうという意思が感じられる(ドラッグをやっていないとも公言している)。こうしたビリーのスタンスが、Z世代の共感を呼んだのだろう。
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そう考えると、今回のグラミーの図も違って見えてくる。ビリー・アイリッシュの受賞劇は、グラミーが保守に回帰したのではなく、多様性よりも希死念慮や鬱、孤独に悩む若者の苦しみを重視したと見るべきなのだ。
他人について関心を持てない《パラサイト》のギウと、誰にも相談できず死へと追い詰められてしまうZ世代の若者は、裏表の存在のように思える。また今回のグラミーの結果と、アカデミー賞最有力候補のひとつ《ジョーカー》(2019)と並べてみても、今の状況がくっきり浮かび上がってくるようではないか。
最後に告白すると、わたしは未だにビリー・アイリッシュがピンとこない。わたしの感性が錆びついているだけなのだろうが、その代わりに今年(といってもまだ2月だが)ずっと聞き続けているのが、マック・ミラーの〈Good News〉だ。
マック・ミラーも時代の寵児だった。2011年にリリースしたデビューアルバムがビルボード初登場1位となり、常にマスコミに注目されていたが、一昨年やはりドラッグで、26歳の若さで世を去った。〈Good News〉は先月リリースされた彼の未発表曲で、以下はその一節だ。
ちょっと休んでもいいかな
このどうしようもない人生から抜け出したいんだ
ほかに言いたいことなんて特にないだろ
今日は最高の一日だよ
ああ、少し横になろうかな
すべての結論を求めないでくれ
答えられるのはただごめんってことだけ
ああいつもこうさ、何の話をしてるのか自分でも分からなくなっちまうんだ
グッドニュース
きみらが聞きたいのはそれだけ
みんなぼくが落ち込んでるのは好きじゃない
でもぼくが最高の気分でも気に喰わないんだろ
違うのかい、じゃあ何が違うんだろうな
(中略)
あっちではたくさんのことがぼくを待ってる
きっと真夏みたいな気分だろうな
手遅れなのは分かってる、うまくやれたかもしれなかったのにね
やっと気付いたよ
ぼくを待ってるものがたくさんある
ぼくを待ってるものがたくさんあるんだよ
もう遅いんだ、うまくやれたはずだったんだよ
けどさ、これもそんなに悪くないのかもな
うん、悪くない
ああ、悪くなさそうだ
少なくともいまよりはマシなんじゃないかな
いまよりも
いまよりもずっと
(2020/2/15)
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noirse
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