高橋アキ ピアノリサイタル2019|齋藤俊夫
高橋アキ ピアノリサイタル2019
Aki Takahashi Piano Recital 2019
2019年10月24日 豊洲シビックセンターホール
2019/10/24 Toyosu Civic Center Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
<演奏> →foreign language
ピアノ:高橋アキ
<曲目>
フランツ・シューベルト:『ヒュッテンブレンナーの主題による13の変奏曲 イ短調 D.576』(1817)
同:『4つの即興曲 作品90 D.899』(1827)
一柳慧:『ピアノ・メディア』(1972)
間宮芳生:『家が生きていたころ』(語り&ピアノ)(2002)
鈴木治行:『句読点VIII』(2011)
ヤニス・クセナキス:『ヘルマ』(1961)
(アンコール)
湯浅譲二:『ポンポンでね』
同:『レナの子守歌』
ビートルズ:『ゴールデン・スランバー』(編曲:武満徹)
シューベルト:『ディアベリのワルツによるヴァリエーション』
〈人間性〉とは古今東西不易なものだろうか。人間を巨視的な〈群れ〉としてだけ見れば、古今東西でその〈人間性〉が異なるのは自明のように思える。だが、そのような視点では見えない個人的な人間の襞までフォーカスしたとき、〈異質ながら共役可能な人間性〉に至ることができる。その〈人間性の被写界深度〉を深める道具の1つが音楽であろう。
シューベルト『ヒュッテンブレンナーの主題による13の変奏曲』、ごく短い変奏曲の連なりの中にある〈人間的な〉素直な感情、それは1817年という時代と作曲者20歳の年齢だけが掴み得たものだろう。短調なら悲しげに、長調なら楽しげに、それぞれ束の間の音楽ながら、現代社会を生きる我々の表面的で湾曲した感情の奥底に潜む、根源的な感情がそこに聴こえた。
同じくシューベルト『4つの即興曲』、第1曲の冒頭、単旋律に宿るミューズの神。哀しみと共にある美しさ。次第にスケールが大きくなるも、あくまで個人的な感情とセンチメンタリズムに基づいて。
第2曲では高橋アキがこんなに綺羅びやかなシューベルトを弾くのかと少々驚くが、中間部とラストの短調でズシリと重い一撃が腹に響く。
第3曲、「女性的」なシューベルトと言って良いだろう。しなやかに、光と影の両方を合わせ持ちつ音楽がはためく。
第4曲、序盤のはかなくひらめくピアノの音にうっとりするが、その後の短調ではぐっと陰鬱な響きが心を捉える。しかし最後は堂々たるフィナーレを。第2曲、第4曲など、「あ、この曲か」と思わず呟くほどのメジャーな曲ながら、改めて全曲を高橋の演奏で聴くと目の前にシューベルトがいて自分と語り合っているかのような感覚を覚えた。
休憩を挟んで現代曲。一見すると前半のシューベルトとは対極にあるような尖った作品が並ぶ。だが前半と後半の間に落差を見せないのが高橋アキのピアノの〈人間性〉の稀有なところである。
一柳慧『ピアノ・メディア』メカニカルに右手が同じパターンを繰り返し続け、左手がその中に音を1つ、また1つ、さらにまた1つ、そして音から音楽を、と置いていく。右手の反復の中に聴き手の脳の回路は一種の混乱・錯視をきたし、左手の音が一種異様な距離感で届く。従来の音楽の〈神秘性〉は剥奪され、その上でさらに始原的な音楽の〈神秘性〉が現れる。
間宮芳生『家が生きていたころ』アラスカのイヌイットの物語をテクストとした作品。「家がいきていたころ、ある晩、家がふわふわと飛んでいった」「雪が燃えるんだぞお、と言った途端にランプの灯は消えてしまった」と高橋が語り、メルヘンチックでアルカイックとも言える童話的なピアノで情景描写を加える。忘れていたおおらかで大きな〈人間性〉を呼び覚ましてくれる音楽。
鈴木治行『句読点VIII』同音連打でのスピード感のある出だしに、ロングトーンが唐突に挟まれ、また同音連打、にロングトーン、の繰り返しからロングトーンが増えてきて、トレモロも挟まれ、アルペジオも挟まれ、シューベルトのような旋律線も挟まれ、それぞれの脈絡がないままにどんどん出現する楽想が多彩になっていくのだが、(おそらく)反復によって前後の脈絡が(何故か)脳内で構築されてきたと思ったら、突然キッチンタイマーの「ピピピピッ」という音で終曲する。音楽感覚の異化と脱臼体験が多層的かつ濃密に圧縮成形された異形の作品。
プログラム最後はヤニス・クセナキス『ヘルマ』、弱音から始まってすぐに強音の乱打――いや、全てが計算されたそれを乱打とは言えない――が始まり、流星群の中にいるような、〈人間性〉なるものを剥ぎ取った純粋な音宇宙の中に放り込まれる。ピアノの1音1音のきらめきが〈人間後〉の宇宙の美しさを表現して余りある。ペダルを開放して銀河の果てまで突っ切るようにラストを駆け抜けた。
アンコール、湯浅譲二が幼い娘のために書いた『ポンポンでね』『レナの子守唄』で心丸く癒やされ、9月に亡くなられた武満浅香氏(武満徹夫人)のための『ゴールデン・スランバー』、『ディアベリのワルツによるヴァリエーション』が温かい涙を誘った。
音楽の〈人間性〉は、安易なそれを拒絶し、弾くごとに、聴くごとに新生を繰り返すことによって深められる。高橋のピアノによるシューベルトから鈴木治行まで、200年近くの時を越えて我々が聴き、覗いたのは、音楽と人間というものの底知れぬ深さであろう。
(2019/11/15)
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<player>
Piano:Aki Takahashi
<pieces>
Franz Schubert:Dreizehn Variationen über ein Thema von Anseln Hüttenbrenner D.576 (1817)
Schubert:Vier Impromptus Opus 90 D.899 (1827)
Toshi Ichiyanagi:PIANO MEDIA (1927)
Michio Mamiya:When Houses Were Alive (narration & piano) (2002)
Haruyuki Suzuki:Punctuation VIII (2011)
Iannis Xenakis:HERMA (1961)
(encore)
Joji Yuasa:Pon Pon dene
Yuasa:Lullaby for Lena
The Beatles (Arr.Toru Takemitsu):Golden Slumbers
Schubert:Variations on a Waltz by Diabelli