小人閑居為不善日記|スプリングスティーンの夢と敗北|noirse
スプリングスティーンの夢と敗北
Springsteen’s Dream and Defeat
text by noirse
1
マーベルの快進撃が止まらない。《アベンジャーズ/エンドゲーム》に続き、《スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム》が公開された。フェイクニュースやポスト・トゥルースをテーマに据えた点が今日的として評価されているが、骨子はむしろ保守的で、古色ゆかしい西部劇に似通っている。
理由は省くが、近年のマーベル映画に関しては、製作者や監督も西部劇からの影響を公言している。X-MENシリーズの《LOGAN/ローガン》(2017)も《シェーン》(1953)が下敷きだ。今のハリウッドは、隠れた西部劇ブームのようだ。
そう考えると、《ファー・フロム・ホーム》がフェイクニュースを主題にしているのは必然だったようにも思えてくる。西部劇というジャンルは東部の人間の憧れが生んだものだ。現実の西部からかけ離れた戯画化された世界。つまりフェイクだ。
カウボーイに乾杯しよう
風を切って走るライダーたちに
今夜、西の空の星がふたたび輝いている
あの頃のように輝いているんだ
ブルース・スプリングスティーンの最新作《Western Stars》の、タイトル曲の一節だ。この歌の語り手は映画の端役を長年続けてきた男で、ジョン・ウェインに「撃たれた」ことが唯一の自慢だ。
ブルース・スプリングスティーン。アルバムは軒並み全米1位を獲得、ツアーに出れば即ソールドアウト。69歳の今も旺盛に活動を続ける、ロック界の頂点に君臨するひとりだ。
人気の秘訣は熱いロック・サウンドや圧倒的なステージ・パフォーマンスなど様々だが、優れた歌詞も忘れてはならない。彼は語り部タイプの詩人で、貧しい労働者の夢や希望、それらが打ち砕かれていく様を、短編小説のように一篇一篇刻み込んでいった。特に白人ブルーカラー層からの支持は絶大で、敬意を込めて「ボス」と呼ばれている。
ところが新作の毛色は違った。ストリングスをあしらったサウンドは、ロック登場以前のポップスに近い。わたしが真っ先に想起したのは、彼が好んで聞いているというシナトラだ。
スプリングスティーンが憧れたボブ・ディランもここ数年ポピュラー・ソングに接近しており、《Shadows in the Night》(2015)は全編シナトラの持ち歌で占められている。彼は伝統的なフォークやブルース、つまり民衆の歌にこだわってきたが、アメリカ人はそれだけを聞いてきたわけではない。自分の音楽をより広い視点からポピュラー・ミュージックとして捉え、再定義したかったのだろう。
スプリングスティーンの意図もそれに近いはずだ。彼は新作に先んじ、1年以上に渡るブロードウェイ公演を行った(《Springsteen On Broadway》)。といってもミュージカルではない。ひとりギターを抱え、自らの過去を振り返りながら代表曲の数々を歌っていく趣向だ。彼らしいステージではあるが、芸能人のディナーショウとそう変わらないとも言える。彼もまた、今までとは別のフィールドに進みたかったのだろう。
そこで鍵になったのが西部劇だ。ジャケットは荒野を駆ける一匹の馬。インタビューではグレン・キャンベルにバート・バカラックと、60~70年代の西海岸ポップスを例に挙げている。キャンベルはポピュラー寄りのカントリー歌手。誰もが知るバカラックの代表作といえば、もちろんニューシネマ・ウェスタン《明日に向って撃て!》(1969)だ。新作で歌われるのは、西部の忘れられた人々。ディランのように直球でポピュラー・ソングに挑むのではなく、西部劇を挟むことで、過去作との連続性をキープしている。
しかしこれだけだと、ただのノスタルジーと受け止められてしまうかもしれない。もちろんそれも間違ってはいないが、この作品の射程はそこのみに留まってはいない。
2
スプリングスティーンは昨年末のインタビューで、民主党はトランプの再選を食い止められないと答えている。「トランプと同じ言葉で話すことができる候補者が民主党にはいない」のだと。トランプを嫌う業界人の大半が感情的な反応に終始する中で、この分析は実に冷静だ。
この発言を意外と受け止める人もいるかもしれない。スプリングスティーンは筋金入りの民主党支持者だ。ブッシュ再選阻止のため立ち上がり、オバマが立候補すれば選挙集会でギターを抱え、前回の大統領選でもヒラリーのために歌った。けれど先のインタビューでは、無力感が見え隠れしている。その理由は何処にあるのか。
スプリングスティーンの人気を支える白人ブルーカラー層の多くは、同時に共和党支持者でもある。ステージを楽しんでいても、ボスが共和党を批判する度、彼らはブーイングを浴びせた。
それでもボスは信念を貫いた。ブッシュ再選は止められなかったが、オバマの大統領就任に立ち会うことはできた。だがオバマは、理由はどうあれ、アメリカの「チェンジ」に失敗した。労働者たちは変わらず低賃金で働き、あるいは職を失い、ドラッグに蝕まれ死んでいった。オバマを支持しながら、トランプ側に鞍替えした者も少なくない。結果彼らの生活は、トランプの保護主義政策で向上しつつある。
スプリングスティーンは感じたはずだ。民主党の政治家に比べれば、自分の歌の方がトランプの言葉に近いだろうと。皮肉な話だ。しかしこの皮肉な状況は、今に始まったことではない。
3
ケサンで一緒に戦った兄弟は死んじまった
ベトコンはまだ生きてるのにな
残ったのはサイゴンの恋人に抱かれたあいつの写真だけ
刑務所の影のもと、燃え盛る製油所の炎のそばで、
おれは10年のあいだ、くすぶって生きてきた
逃げ場所だとか行くあてなんてものは、何処にもありゃしない
アメリカで生まれた
おれはアメリカで生まれた
おれはアメリカに忘れ去られた男だ
スプリングスティーンの代表曲、〈Born in the U.S.A.〉(1984)。ベトナム戦争の帰還兵の視点から、政府への強い皮肉を込めた歌だ。しかしあまりにキャッチーなフレーズとマッチョなイメージとがあいまって、一部で愛国賛歌と誤解されてしまった。
誤解は政界にまで飛び火した。レーガンが大統領選の遊説中、〈Born in the U.S.A.〉を無断使用したのだ。ワンフレーズだけ抜き出せば、共和党にとって理想的なキャッチ・コピーだ。もちろんスプリングスティーン側は抗議し、マスコミもレーガンの勘違いを揶揄交じりに批判。政治家がロックを理解できていない例として、この騒動は語り草になっている。
しかしこの見方は浅薄ではないだろうか。元俳優のタレント議員で強権保守のレーガンを二期に渡って支えたのは、メディア操作に長けた「レーガンのマジシャン」マイケル・ディーヴァーやエド・ロリンズ、リー・アトウォーターなどの老獪な知恵者たちだ。若者文化に興味のなかったレーガンはともかく、彼らが歌詞の意味を理解できないはずがない。特に選挙参謀のアトウォーターは政界に入る前からギタリストとして活動しており、B.B.キングやアイザック・ヘイズとの共演歴もある。分かった上で、あえて利用したと考えるのが普通だろう。
レーガンを揶揄する人は、政治家のしたたかさを理解できていない。彼らからすれば、曲の意図など何の価値もない。票が取れればそれでいいのだ。ロックを理解できていないとバカにされようが、蚊に刺されたほどにも感じないだろう。そして実際、ロックファンが嘲笑し、留飲を下げているあいだに、レーガンは再選を果たしているのだ。
その後この手法は踏襲されていった。トランプもニール・ヤングやローリング・ストーンズ、R.E.M.の楽曲を勝手に使用しては非難された。それでも彼らがロックを使いたがるのは、結果が付いてくるからだ。その事実を無視し、政治家を笑うのは、未だにロックに幻想を見ているのだろう。
1968年、学生やヒッピー、ミュージシャンが一体となり、ニクソン再選阻止のために立ち上がった。ロックには社会を変える力があると彼らは信じていたのだ。けれどニクソンは再選し、現実に打ちのめされたヒッピーたちは社会に戻っていった。「69年からスピリットは置いてないんだ」(〈Hotel California〉)とイーグルスが歌ったように、ロックの力など幻想に過ぎないことがはっきりしたのだ。
そう考えると《Western Stars》の聞こえ方も違ってくる。前述の通りスプリングスティーンは語り部タイプで、自身の思いを歌にすることはあまりない。しかし今回は、過去を懐かしむ語り手の向こうに、彼自身が投影されているように響く。
ボスはずっと戦ってきたが、ほとんどが負け戦だ。自分の戦いは何だったのか。ロックで政治を動かすなんて絵空事なのか。かつて、ロックが社会を変えると言われた時代があった。あの頃に戻ることは、もうできないのか。
西部劇は幻想だった。ロックの力も幻想だ。でも、幻を追い求めるのは、そんなに悪いことなのか――。
しかしこれは、トランプの掲げる「Make America Great Again」にも通じる、「同じ言葉」でもある。
スプリングスティーンは、再びバンドとツアーに出ると宣言している。彼はまだ戦うつもりだ。ファンたちも――トランプに投票した者さえも――ツアーに駆け付けることだろう。みんな「ロック」なボスを望んでいる。
だがわたしは、ロックなサウンドもいいが、《Western Stars》の、甘く苦いサウンドにこそ惹かれる。甘美な響きの向こう側、西部の夢と幻想に彩られたサウンドの先に、当代一のロック・スターの戦いと苦悩、そして幾重にも分断されたアメリカの現状が見えてくるからだ。
(2019/7/15)
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noirse
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