だからどうしたクラシック|ヴァンスカ&ミネソタ管によるシベリウスの交響曲第3.6.7番|松本大輔
ヴァンスカ&ミネソタ管によるシベリウスの交響曲第3.6.7番
text by 松本大輔(Daisuke Matsumoto)
レーベル/商品番号:BIS BISSA2006
<演奏>
オスモ・ヴァンスカ(指揮)、ミネソタ管弦楽団
<曲目>
シベリウス:交響曲第3.6.7番
<録音>
2015年5月&6月/オーケストラ・ホール(ミネアポリス )
アリアCDでの掲載URL
http://www.aria-cd.com/arianew/shopping.php?pg=88/88new01#01
久々にこの2曲のCDを聴いた。
シベリウスの『交響曲第6番』と『第7番』。
ふたつが続けて演奏されるCDが聴きたかったのだ。
オスモ・ヴァンスカがミネソタ管弦楽団を指揮したBISのアルバム。
さてこの2曲、変な曲である。
アドルノがシベリウスの音楽について、「うまく歩くことができない、先に進まない」というようなことを言ったらしいが、この『6番』、『7番』を聴けばそんなふうにも思うだろう。
ポピュラーな交響曲『1番』、『2番』を気に入った初心者が、調子に乗って気軽にこれらの曲を聴いてしまうと、「なんじゃこりゃ、わけわからん」、ということになって、下手すると二度とシベリウスに近づかなくなってしまいかねない。
保守的なのか革新的なのか。同時代の前衛音楽の風潮には背を向けつつも、しかしどうみたってその音楽は普通じゃない。
だが、普通じゃないが、それは作曲の世界に革命を起こそうと躍起になっているわけではなく、自分の何かを表現しようとしたら最終的にそうなった、というだけ。
言ってみれば、これはシベリウスという特別な創造者が生み出したひとつのジャンル。
燃え上がっていきりたって、感動丸出し、聴くものに強制的に感動を誘発させるような曲ばかりがクラシック音楽ではない。
癒し、まどろませ、心を落ち着かせる曲ばかりがクラシック音楽ではない。
ましてや人を驚かせ、今までにないことをやって鼻高々になるような曲ばかりがクラシック音楽ではない。
これらの交響曲はシベリウスが机の上でこねくりまわしたような曲じゃないのだ。
あたかも降霊術師が頭のなかに浮かんだものをそのまま絵に描いたような感じ
だからすべてが刹那刹那で断片的。それらが最終的にひとつの形になった。
変な曲というか、・・・これはひょっとすると、すでに音楽ですらないかもしれない。
フィンランドの湖のほとり、星の瞬く音だけが聴こえるような恐るべき静寂の中で、頭の中に次々と降りてきたものを書き留めた、・・・それがたまたま楽譜上だった。
音楽を作ろうとして出来上がったのではなく、苦悩も歓喜も孤独も人生も生命も超えたところにある何か、哲学も精神も宗教も自然も宇宙も神も超えたところにある何か、人智を超えた、その向こうにある何かを感知して、たまたま人に伝えようとしたらこれらの交響曲という形になった。
たまたまシベリウスという人が作曲家だったから。
だからこの曲を聴いて、なぜそんな流れなのか、なぜそこでそのメロディーが入りこんでくるのか、なぜここでその楽器が鳴らされるのか、なぜそんな終わり方になるのか、調はなんなのか、どういう構成なのかとかそういうことはほぼ意味がない。
考えるな、感じろ、ひたすら全身で五感で、いや、それを超えたもので感じろ。
現世的なものを追うな。
音楽というもので表現されている、シベリウスが感知したものを、いまそこで聴きながら感じるのだ。
考えるな。
うーん・・・・そんなことを言ってたらCDではなく実演で聴きたくなってきた。
といってもこの2曲をコンサートで取り上げてくれる酔狂なオーケストラなんてないか。
ん・・・!!
あるじゃないか、今度あるぞ。しかも名古屋じゃないか。
名フィルが定期演奏会でやるらしい。
名古屋まで行くのはしんどいが、行ってみるか。
名古屋フィルハーモニー交響楽団 第468回定期演奏会|松本大輔
(2019/6/15)
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松本大輔(Daisuke Matsumoto)
1965年、松山市生まれ。
24歳でCDショップ店員に。1998年に独立、まだ全国でも珍しかったネット通販型クラシックCDショップ「アリアCD」を春日井にて開業。
クラシック専門CDショップとしては国内最大の規模を誇る。
http://www.aria-cd.com/
「クラシックは死なない!」シリーズなど7冊の著書を刊行。
愛知大学、岡崎市シビック・センター、東京のフルトヴェングラー・センター、名古屋宗次ホール、長久手、一宮、春日井などで定期的にクラシックの講座を開講。