ヴォーカル・コンソート東京 第8回演奏会|大河内文恵
2019年4月19日 渋谷区文化総合センター大和田4F さくらホール
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 澤田博之/写真提供:ヴォーカル・コンソート東京
<演奏>
四野見和敏(指揮)
合唱:ヴォーカル・コンソート東京(Vocal Consort Tokyo)
VCTバロック・オーケストラ
ソリスト:
長尾良子、森川郁子、金城佳枝、佐藤悠子、安川みく(以上ソプラノ)
横町あゆみ(アルト)
新田壮人(カウンタテノール)
堀越尊雅、小沼俊太郎(以上テノール)
荒井渉吾、關秀俊(以上バス)
<曲目>
バッハ:ミサ曲 ロ短調(ドレスデン・パート譜による改訂版)
宗教曲を歌う習慣のある合唱団なら、バッハのロ短調ミサ曲は、一度は歌った経験があるもしくはいつか歌ってみたい曲の1つに数えられるだろう。その『ロ短調』に数年前、ちょっとした衝撃が走った。2014年カールス社から新しい楽譜が出版されたのだ。その楽譜に基づく演奏会があるということで出かけてみた。
開始早々、ステージに乗っている人数が少ないことに気づく。楽器奏者は24人、合唱はたった27人。古楽演奏にしても、この人数で『ロ短調』が演奏できるのかと一瞬不安になったが、まったく問題なかった。楽器も合唱も含めて全員が同じリズムで始まる冒頭の「キリエ」1フレーズを聴いただけで、演奏全体の良しあしの想像がついてしまう恐ろしい曲だが、本日は幸いその後が期待できるものであった。
アンサンブルも合唱も雑味のない、純度の高い演奏。声楽の基礎がしっかり出来ている人が揃うと、たったこれだけの人数でクリアかつ豊饒な響きが生み出せるのか。とくに6.Gratias agimus tibi、15.Et resurrexitといった全声部で歌われるものに圧倒的な迫力があった。
また、17b.Et expectoの細かい音符のメリスマ(母音でのばしながら音高が細かく動く部分)の正確かつなめらかな動きは見事で、さすがはプロ集団だと唸る。続く18a.SanctusのPleni sunt以降アカペラで歌われる箇所のフーガの美しさも際立っていた。
第3部までが終わると、ここで合唱の配置換えがおこなわれた。SATBの並びが、SATBTASと見た目にもはっきり二重合唱となる。二重合唱で書かれた19.Osannaは、録音で聴くと、合唱が複雑になっていることがわかるという程度だが、実際にこの配置で聴くと音楽が立体的に聴こえてきて、バッハが意図した響きが初めて実感できた気がした。
24人の古楽器奏者による今回の演奏では、まず冒頭の第1キリエで、木管楽器がこんなに魅力的に配置されていたのかと気づかされた。この『ロ短調』の作曲の動機ともされる当時のドレスデン宮廷楽団には、「フルート奏法」を著したクヴァンツを始め、木管楽器の名手が揃っており、オーケストラのレベルの高さで有名だったが、とくにオーボエの音色の豊かさは、もしかしたらバッハがドレスデン宮廷の奏者たちへあて書きしていたのではないかと思わされるほどであった。オーボエ・ダ・モーレの魅力は8.Qui sedesでも遺憾なく発揮されていた。
7a.Domine Deusでは低音楽器のピツィカートとともにフラウト・トラヴェルソの独奏に心を奪われた。これまで、この曲はソプラノとテノールの二重唱が主で、フラウト・トラヴェルソは引き立て役だと思っていたのだが、こんなところに魅力が潜んでいようとは。
指揮者 四野見の解説によれば、『ロ短調』を試演したドレスデン宮廷楽団員の一人、リュートの名手ヴァイスの手紙から、『ロ短調』でヴァイスがテオルボを弾いたかもしれないと推測され、今回の演奏にはテオルボが導入されたという。テオルボというのは、リュートに似た撥弦楽器で、長い棹を持つが、音量が非常に小さく、アンサンブルの中に入ってしまうと音が埋もれてしまう。客席で聴いていると弾いているのが目で確認できても、音としてはほとんど認識できないのだが、20.Benedictusでは使用楽器がフラウト・トラヴェルソとチェロ、オルガンにテオルボと少ないため、効果的だったように思う。
『ロ短調ミサ曲』を演奏する場合には、合唱団のほかに外部からソリストを呼んできて演奏することも多いが、ヴォーカル・コンソート東京の場合には団員がすでにプロの声楽家なので、ソリストはすべて団員の中から選ばれた。その中で12. Et in unum Dominumのアルトを歌った横町と20.Benedictusの小沼が特に優れていたが、特筆すべきは22.Agnus Deiのソロを歌った新田であろう。多少アンサンブルと合わなくなる箇所があったにしても、曲の世界観を見事に表現し、歌詞をよく伝えていた。ソリストというと、大きな声の品評会になりがちであるが、新田は逆に消え入りそうな弱音を細くしなやかに響かせ、楽曲全体の表現の幅を広げていた。
ここで楽譜に話を戻そう。これまで親しまれてきたベーレンライター社および音楽之友社のスコアは新バッハ全集の縮刷版で、長きに渡る最先端のバッハ研究の集大成であったが、カールス社の楽譜はベルリンの国立図書館に所蔵されているオリジナル・スコアなどに加えて、ドレスデンの州立=大学図書館所蔵のパート譜を資料としていることに特徴がある。
これまでのスコアとドレスデン・パート譜との違いの中で一番印象的だったのは、7a.Domine Deus。十六分音符が並んでいるところに、ロンバルディア・リズム(逆付点)を追加してあり、これによって推進力が増す。このことは研究者の間ではすでに知られたことではあったが、楽譜として世に出ることによって、その選択が容易におこなえるようになった。
カールス社の楽譜は、2006年にブライトコプフ&ヘルテル社からリフキン校訂で出された楽譜がC.P.E.バッハの書き込みも反映させ、(2010年にベーレンライターから出た新全集の改訂版も含めて)作曲家だけでなく演奏にも目を配るよう舵を切る流れに沿ったものとみることができる。すなわち、楽譜校訂の現場で作曲家本位から演奏本位へ比重が移されつつある現れとも考えられる。これは、演奏習慣の研究が20世紀半ばの古楽復興から積み重ねられ、近年飛躍的に進んだこととも無関係ではなかろう。
バッハの時代、1つの作品について唯一絶対の正しい演奏があるというより、演奏機会の数だけ正解があったのだとすれば、21世紀に入って我々はようやくそれに追いついてきたといえるかもしれない。それは、これからさらに研究が進むことによって、新たな解釈の可能性が増えることになり、演奏実践の豊さに繋がるのはないか、そんなワクワクした気持ちになれた演奏会であった。
(2019/5/15)