紀尾井 明日への扉23 三宅理恵|藤堂清
2019年2月22日 紀尾井ホール
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 藤本史昭/写真提供:紀尾井ホール
〈出演者)
ソプラノ:三宅理恵
ピアノ:川島基
フルート:永井由比(*)
〈曲目)
パーセル:歌劇《妖精の女王》Z.629より〈聴け、大気はこだまして〉
モーツァルト:〈すみれ〉 KV476
ヴォルフ:《ゲーテの詩による歌曲集》より
第26曲〈つれない少女〉
第27曲〈心変わりした少女〉
《メーリケの詩による歌曲集》より第48曲〈こうのとりの使い〉
ドビュッシー:〈アリエルのロマンス〉
《忘れられたアリエッタ》より第4曲〈木馬〉
C.シャミナード:〈肖像(愛のワルツ)〉(*)
———————(休憩)——————
藤倉 大:《世界にあてた私の手紙》(ソプラノ版 世界初演)
ハンドリー:〈朝は本当にあるの?〉
プレヴィン:《3つのディキンソンの歌》より〈朝は本当にあるの?〉
ゴードン:〈朝は本当にあるの?〉
グノー:歌劇《ロメオとジュリエット》より〈ああ、なんという戦慄が〉
——————-(アンコール)—————
グノー:歌劇《ロメオとジュリエット》より〈私は夢に生きたい〉
三宅理恵ソプラノ・リサイタル、紀尾井ホールをうめた聴衆はあたたかい拍手をおくった。
三宅は、東京音楽大学大学院修士課程修了後、2006年よりニューヨークに留学し、ドーン・アップショウ等に学んだ。日本では、2017年にパーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団の《ドン・ジョヴァンニ》でのツェルリーナ、2018年に藤倉大の《ソラリス》でのハリーなどオペラでの実績が増えてきている。コンサートではファビオ・ルイージや小澤征爾との共演もあり、活動の場を拡げている。
国内でのソロ・リサイタルは初めてという彼女、紀尾井ホールが若手アーティストの支援を目的に続けている「紀尾井 明日への扉」の第23回として行われた。
プログラム前半は、1曲目のパーセルが英語、モーツァルトとヴォルフのドイツ語の歌曲4曲、そしてドビュッシーとシャミナードのフランス語の歌曲3曲という構成。
アメリカで勉強してきた歌手には、複数の言語を自在にこなす人が多い。三宅もその一人といえるだろう。この三ヶ国語の響き、それぞれの母音、子音を明瞭に歌い分けた。
最初のパーセルでは、歌詞を中心に歌うというより音程の変化を正確に行うことがポイントとなる。彼女の歌はその点見事なもの。同じ詩の繰り返しをどのように聴かせるかが次の課題だろう。
彼女のドイツ語は聴き取りやすい。〈すみれ〉での「花」の心理描写。〈つれない少女〉と〈心変わりした少女〉での “So la la! le ralla!” といった掛け声のような部分での声の色合いを変えた表現。〈こうのとりの使い〉での語りのタイミング。詩自体を読み込み、それと音楽のつながりをしっかりとつかんでいる。
フランス語も美しく響く。〈アリエルのロマンス〉のしっとりとした味わい。対照的な〈木馬〉の早い動き。最後のシャミナードの〈肖像(愛のワルツ)〉ではフルートが入り、それにつれ、彼女の声の色も多彩になった。
前半を盛り上げて終えるプログラミングもなかなかのもの。
後半は、英語の歌を中心に、最後にオペラ・アリアを歌うというもの。
はじめは、藤倉大の歌曲集《世界にあてた私の手紙》、エミリー・ディキンソンの詩5篇とウィリアム・ブレイクの詩1篇に付曲されたもの。2012年にバリトン版の世界初演が行われているが、ソプラノ版ではこの日が世界初演であった。曲の作り自体も幅広い表現の可能性を追求しているが、三宅も重めの声や「きたない」声を使ったりして、彼女自身の拡がりを模索しているようであった。
続いて演奏された3曲はすべて同じディキンソンの詩「朝は本当にあるの?」に作曲されたもの。リチャード・ハンドリーが1970年、アンドレ・プレヴィンが1999年、リッキー・イアン・ゴードンが1983年に作曲した作品。同じ詩なのにこんなに感触が異なる歌になるということをしっかりと伝えてくれる演奏であった。プレヴィンの、ウィットに富み、抒情性も兼ね備えた歌に惹かれた。
プログラムの最後におかれたオペラ・アリア、始めの発表では同じオペラから〈私は夢に生きたい〉を歌うということであった。こちらの方が彼女の軽めの声に合っているだろう。それを変更し、暗めの声が必要で不安や恐怖を歌う〈ああ、なんという戦慄が〉を選んだところに、彼女がこれからの歌手人生に何が必要と考えているかが表れているように感じられた。そしてその挑戦は成功だったと思う。
アンコールで歌われた当初の予定曲、その明るい軽やかな歌のように、彼女の今後の活動が拡がっていくことを期待したい。
(2019/3/15)