びわ湖ホール オペラへの招待 モーツァルト作曲歌劇『ドン・ジョヴァンニ』 |能登原由美
びわ湖ホール オペラへの招待 モーツァルト作曲歌劇『ドン・ジョヴァンニ』
2018年9月16日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール 中ホール
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
写真提供:びわ湖ホール
<演奏>
指揮・チェンバロ|園田隆一郎
演出・お話|伊香修吾
管弦楽|大阪交響楽団
<キャスト>
ドン・ジョヴァンニ|五島真澄
騎士長|林隆史
ドンナ・アンナ|藤村江李奈
ドン・オッターヴィオ|川野貴之
ドンナ・エルヴィーラ|船越亜弥
レポレッロ|津國直樹
マゼット|的場正剛
ゼルリーナ|山際きみ佳
従者、侍女など|蔦谷明夫・溝越美詩・吉川秋穂
なんと、亡霊の現れない《ドン・ジョヴァンニ》とは、最後になって大きな問いを突きつけてきたものだ。確かに、我々の目の前に亡霊はいない。だが、その声は会場全体に轟きわたり、舞台上では大きな破裂音を立てながらセットが一つ一つ崩れていく。のたうち回るジョヴァンニ。彼を今まさに地獄に引きずり落とそうとする、その声の主は誰なのか。亡霊は我々の目に見えないだけなのか、それとも殺された騎士長とは別の何か…?
びわ湖ホールが手掛けてきた「オペラへの招待」は、オペラに馴染みがない人でも楽しめるよう、開演前に解説も交えてその魅力を紹介する人気シリーズ。今回は、オペラの中でも上演頻度の高いモーツァルトの《ドン・ジョヴァンニ》が取り上げられた。演出には気鋭の新人、伊香修吾を起用。若手ならではの目線や、従来にはない新たな視点が期待される。
だが、幕が上がってみるとこちらの予想は外れ、その演出にも演奏にも、亡霊の登場と地獄落ちの場面に入るまではこれといった目新しさはなかった。むしろ、かなり控えめな演出で、舞台上の人物の動きもおとなしく、セットや衣裳も極めてオーソドックスなもの。「オペラ初心者」を意識してのことなのかもしれないが、これだとブッファに求められるような軽快さや滑稽さはほとんど感じられない。初めて見る者にとっては、クライマックスに至るまでの時間が冗長になりすぎていなかっただろうか。少なくとも、場面を展開させる躍動感に欠けていたことが、オペラ全体を重くさせていた。
それは音楽においても同じだ。推進力が今ひとつ足りない。五島真澄は、美しく色気をもったジョヴァンニを作り上げるものの、劇を牽引する存在にはなっていない。レポレッロの津國直樹とのやり取りは巧妙だったが、音楽の流れを作るまでには至らなかった。そうしたなかでひとり際立っていたのは、エルヴィーラを歌った船越亜弥。声も豊かで安定していたが、何よりも表現力があり、ジョヴァンニへの愛憎含んだ複雑な女心をうまく演じていた。
指揮とチェンバロは、すでにベテランの域に入りつつある園田隆一郎。その通奏低音の華麗さに並び立つものはそういないが、今回も期待を裏切らず、園田=モーツァルトの聴かせどころの一つとなっていた。また、各幕フィナーレなどを粗雑にさせずにうまくまとめるあたり、いつもながら棒さばきが巧い。ただ、総じて喜劇性や劇的な表現が抑えられ、上品な装いに過ぎるのではないかと思う場面も多々あった。
半ばもどかしさ、半ば苛立ちを抱えたまま終わるかに見えた頃、いよいよあのクライマックス場面を迎える。それまでがかなり静的に進んできただけに、その展開が与える衝撃の大きいこと。と同時に、ふと別の考えが頭に浮かんできた。もしかするとこの演出の究極の狙い、それは、ジョヴァンニの悪行を罰する者の存在を我々に問うことなのかもしれない。つまり、ジョヴァンニの一連の行為とその結果を通して、罪と罰、罪と改悛というキリスト教の大きなテーマを浮き彫りにすることなのかもしれないと。だとすれば、姿を現さなかったあの亡霊、その声の主は実は騎士長の亡霊ではなく、罪を悔いるジョヴァンニの「心の声」ということだったのだろうか。いやそればかりか、もしかすると我々自身の心の内にある、罪と悔悟の存在を問うているのかもしれない、とも。
いやいや、それは深読みがすぎるだろう。どちらにしても、最後にしてひとひねりしたその演出をどう解釈すれば良いのか。今後の伊香演出が明らかにしてくれるだろう。
(2018/10/15)