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季節をめぐる歌たち~木下正道作曲作品個展|齋藤俊夫

季節をめぐる歌たち~木下正道作曲作品個展

2018年6月13日 近江楽堂
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 稲木紫織

<演奏>
ソプラノ:小坂梓
フルート、バスフルート:沼畑香織
クラリネット、バスクラリネット:岩瀬龍太
ギター:土橋庸人
打楽器:會田瑞樹
木下正道:作曲、指揮、お話

<曲目(全曲木下正道作品、初演)>
 『夏は夜IV』テクスト:清少納言
   ソプラノ、クラリネット、ギター
 (木下正道によるお話)
 『3つの秋の歌IV』テクスト:八木重吉
   ソプラノ、フルート、バスフルート、ギター
 『灰、灰たち..灰…V』
   ギター、打楽器
 『冬のスケッチ』テクスト:宮沢賢治
   ソプラノ、フルート、バスフルート、クラリネット、バスクラリネット、打楽器
 『季節表への前奏曲』
   ギター
 『季節表II』テクスト:エドモン・ジャベス
   指揮、ソプラノ、フルート、バスフルート、クラリネット、バスクラリネット、ギター、打楽器
 (アンコール)『春はあけぼの』
   ソプラノ、フルート、クラリネット、ギター、ヴィブラフォン

 

モノクロ写真やモノクロ映画の画には、フルカラーの写真、映画、そして現実世界とは異なるそれ独自の世界がある。色のないその世界は自分がいる現実世界から「遠い」のだ。遠い、と言っても、時間・空間のような測定可能なものではなく、次元、とでも言うべきものが異なる、無限に遠い別世界がモノクロの画の中には閉じ込められている。
今回の木下正道個展は、このモノクロの画の中、別世界の中に誘われるような音楽体験であった。

クラリネットが古典的な奏法で古典的なソロを涼やかに吹いて始まる『夏の夜IV』、その後もクラリネットは終わりなき旋律もしくはオブリガート(現代作品にこれらの概念が使用できるかどうかは危ういが)を吹き、ソプラノが「夏は夜。月のころはさらなり」に始まる枕草子の一節を、あるときは繰り返し躓くように反復し、ある時は滑らかに歌う。静かな、夏の、暗闇の中で仄かに蛍の光が見えるような「夜」の音楽。だが、その暗闇に感情的な暗さはなく、黒の世界の中で安らいだ。

『3つの秋の歌IV』第1曲「秋の壁」、フルートとギターの音の数は多く、音量もメゾフォルテからフォルテ程度の大きさがあるのに、何故か枯れた世界が広がる。長唄や謡のような「ひぃぃぃぃびぃぃぃぃきぃぃぃぃ」と喉を使った日本的歌唱法もまたさびていた。
第2曲「木」、ソプラノ、フルート、ギターが強音で、しかし叫ばず、明るいとも暗いともつかない不思議な音楽。秋の昼か、それとも夜か?
第3曲「秋のかなしみ」、フルートとギターが落葉のように舞い散る中、独りでソプラノが枯木のように立っている。「いちめんに くすぐる あきのかなしみ」と歌われる終曲近くではもはや落葉すらなくなり、ただ、枯木のイメージだけが残る。寂しく、孤独で、静止した、モノクロの世界。

『灰、灰たち..灰…V』、ギターと様々な打楽器(ウッドブロック、ボンゴ、バスドラムとその上に5個乗せたゴングの一種などなど)が、合わさったり、遠ざかったり、また近寄ったりしつつ、途中阿波おどりのような部分も混じり、陽気なのか狂気なのかわからない奇妙な舞踊を演じる。いや、舞踊だったのか、ただ騒いでいたのかも定かではない。謎めいていたが、今回の演奏会の中では「色彩」と「運動」のある作品だったと言えよう。「この演奏会に於ける一種の間奏曲」(作曲者による曲目解説より)を入れた見識を買いたい。

『冬のスケッチ』、バスドラムの木枠を弓で擦り、バス・フルートが半無声音、バス・クラリネットが裏声のような特殊奏法をそれぞれ奏する冒頭は、まさに雪が降り積もり音が消えた真白の世界。ソプラノは普通の発声法で歌い、3人の楽器もかすれた音から次第に通常の音に近くなっていく。それなのになぜ真白な世界、そして音が消えた世界のイメージが最初から最後まで消えないのであろうか?音をもって無音を表現するという矛盾と謎の音楽であった。

ギター独奏による『季節表への前奏曲』から続けられる『季節表II』は、これら全体で40分を超える大作であった。だが全く冗長になることのない、充実した、されどゆるやかな音楽体験となった。
終始執拗な変拍子(整数の変拍子だけでなく、小数点以下も付け加わった変拍子も幾度となく使われる)とテンポの変化の中にあって、少ない音がそっと置かれたり、音の波が幾重にも押し寄せたり、バスドラムの強烈な打撃が入ったり、ソプラノが美しい声を映えさせたり、複雑極まりないアンサンブルが絡み合ったりと、客観的には「多彩」な音楽になるかと思われるのだが、主観的印象としては、形の定まらないモビールが動き続けるようでありつつ、全てが静止しているようで、額縁の向こうの幻の世界に自分が入ってしまったようであった。
季節が移るように、はっきりとした区分けはないながらも、変化しつつ過ぎ去り、巡る。それは、虚無的であったり冷血であったりはしないが、人間性の軛から逃れた、自然そのものの音楽。感情や情念といったものを捨て去り、ただ、音楽が描き出す自然の情景、それも、モノクロの世界の静謐な美しさの中でたゆたった。木下の音楽世界は、この作品で1つの完成を見たと言えよう。

アンコール『春はあけぼの』は草や虫たちが萌えいづる啓蟄の音楽。先の『季節表II』のモノクロの別世界から、この現実世界の色めく春に帰っての終演となった。

今回の公演、近江楽堂にこれほどの聴衆が入るのかと驚くほどの客入りとなった。独自の音楽世界を貫いてきた木下正道がこんなにも多くの人々に受け入れられるようになったのか、と筆者まで嬉しく感じた。

(2018/7/15)