東京都交響楽団 第829回定期演奏会Bシリーズ | 齋藤俊夫
2017年4月18日 東京オペラシティコンサートホール
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
<演奏>
東京都交響楽団
指揮:アラン・ギルバート
ヴァイオリン:リーラ・ジョセフォウィッツ(*)
コンサートマスター:四方恭子
<曲目>
ラヴェル:バレエ音楽『マ・メール・ロワ』
ジョン・アダムズ:『シェヘラザード.2』ヴァイオリンと管弦楽のための劇的交響曲(2014、日本初演)(*)
ラヴェル『マ・メール・ロワ』は前奏曲の時点で「オーケストラとはこんなに美しいものだったか」と目の覚める心地がした。第1場の愛らしく奏でられる木管に風のように吹き抜ける弦楽。第2場ではしっとりした旋律で各楽器の音色を心ゆくまで堪能する。第3場の王女のクラリネットと野獣に変えられた王子のコントラファゴットの旋律のユーモアを楽しむ。第4場では木管アンサンブルの妙とそれを包み込む弦楽によって夢を見ているかのような気がしてくる。第5場の人形の踊りのチャーミングなことよ。そして終曲では優美な音の波に乗って最後のクレシェンドまで運ばれる。ピアノシモからフォルテシモまでの音量の幅がありつつ、どの楽器も全体の音楽的流れから飛び出ることなく滑らかに奏でられる。オーケストラの音響の曲線美に改めて気付かされる名演であった。
今回のメインの『シェヘラザード.2』は第1楽章「若く聡明な女性の物語―狂信者に追われて」でのソリストのリーラ・ジョセフォウィッツの、凛として気高く、そして強靭でかつ美しいヴァイオリンにまず感動した。男性中心主義へのプロテスト的な意味合いが濃い音楽であり、「女性的」という単語を使うのはいささかためらわれるが、筆者にはソロ・ヴァイオリンは「女性的」であると聴こえた。だが、いわゆる欠点としての女々しいところは一切ない。
第2楽章「はるかなる欲望(愛の場面)」では激しいオーケストラの後にヴァイオリン独奏が奏でられるのだが、通常の音楽で連想されるようなしとやかな「愛」ではなく、まさに「欲望としての愛」が追求される。官能的で、激しい愛の音楽である。
第3楽章「シェヘラザードと髭を蓄えた男たち」ではオーケストラがヒステリックに叫び、シェヘラザードたるソリストを激しく糾弾する。男性中心主義による、女性という主体への暴力的抑圧としてこの楽章を認識するのは間違っていないだろう。だが、全奏で圧死させられたソリストが最後に発したモチーフは何を意味するのか。
そして最終楽章「脱出、飛翔、聖域(サンクチュアリ)」では暗い楽想から、上行音型のパッセージでソリストがオーケストラを伴って聖域に向って上昇していく。この汚辱にまみれた世界から浄化された聖域への脱出、飛翔は確かに希望かもしれない。しかし、それではこの世界は汚らわしいままではないのか、とも筆者は感じた。この世界自体を変えるような、そんな音楽はありえないのだろうか。終曲のソリストの哀歌は浄化された救いなのかもしれない。だが、それはこの世界においては敗北なのではないだろうか。名曲・名演だったことに異議はないが、音楽と現実社会のポリティクスを考えさせられた。