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五線紙のパンセ|その2)|望月京

その2)

text & photos by 望月京(Misato Mochizuki)

3週間後に初演を控えた《Têtes》(頭/顔)が書き上がった。一ヶ月の夏休みは、まだ楽譜にはほとんど書いていなかったこの曲の、「演者」(話し手、歌い手、役者を兼ねる)と脚本家、演出家との5日間のワークショップや作曲に集中でき、楽しく充実した日々となった。
作曲家の友人知人には、作曲行為そのものが楽しくて仕方なく、毎日作曲せずにはいられないし、作曲さえできれば幸せだ!というタイプが多いが、私はまったくそうではない。むしろ逆で、いろいろと曲のアイディアを考えたり、それを委嘱者や演奏家などの恊働者と話し合ったりすることは楽しいのだが、いざ実行(楽譜化)するのは苦行であり、同時に、ある種神秘でもあるので、ついつい後回しにしてしまう。
私にとって最大の興味は、世界を形成する人間の営み(文化)やその環境(自然、宇宙)のしくみ、連関を模索し理解することだ。作曲はそのためのひとつの手段であると思っている。ある事象や思考、その成り立ちを、音楽上のしくみとしていかに置き換えうるか。それが私の作曲の根幹であり、その部分はわくわくするが、それを発展させるために必要な「書き起こし」が面倒なのは、基本的に怠惰だからであろう。

そんな私にとってさえ、今回の作曲がいつになくエキサイティングであった理由のひとつは、この曲の大半を楽譜化したローマのメディチ邸が、まさに「Têtes」について日々考えさせられざるを得ない環境だったからだ。何しろ、邸内や庭園にはあやしい頭ばかり、あるいは、頭部のない像がごろごろしている。

 

こういう「頭たち」や「顔なし」に囲まれて日々を過ごし、邸内の人工林では、その昔、権力争いの末に処刑された者がいるなどの話を聞けば、否応無しに、なぜ…?どうして…?この顔は一体…?と、その背景について考えを巡らさずにはいられまい。荒唐無稽な神話や寓話などは、決して突拍子もない空想ではなく、少なからず当時の人間たちの思考や生活を反映したメタファーであろうから、《Têtes》のテキストの原作である、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの「怪談」でとりあげられている数々の物語とあわせ、古今東西変わらぬ人間の「業」が、これらの形象を通して生々しく伝わってくるような、いわく表現しがたい空気や感覚の中で、作曲を進めていくことになった。いきおい、この曲は、自分が書いたというよりも、何かべつのエネルギーに書かされたような気がとりわけ強くしている。

その理由には、8年前にオペラ(という呼称がふさわしいかどうかはさておき)《パン屋大襲撃》を作曲した時にも感じた、「コスプレ」の楽しさも関係しているだろう。《Têtes》は劇音楽ではないが、テキストに付随した世界が前提として存在している。私はそれに応じて、「いつもの私」が選択しないような音楽的言語や語彙をまとい、「変装」や「擬装」をするのだ。「他者を装った私」とは、まさにこの作品のテーマにも通じるが、そうして「いつもの自分ではない自分」を発見できることは楽しいし、私にとってはそれこそが音楽以外の要素を伴う作品をつくることの醍醐味である。
音楽そのものの領域を拡げるだけでなく、音楽を通して、人が自らの意識を拡張/拡大できること。それが、前回のこのコラムで触れた「Expanded/Extended Music」なる概念の理想的本質ではないかと思う。

ただ、「コスプレ」が成り立つためには、その「コスチューム」が持つ表象が多少なりとも共有されている必要があるので、言い換えるならそれは、「真に新しい語法」ではあり得ない。そうした、「『前衛』という幻想の呪縛」については、また次回に稿を改めたい。

4年前にべつの音楽祭からこの作品の委嘱を受けた際、私は「妖怪まんが」を出発点にしていた。そこから数々の事務的・経済的・人間的紆余曲折や挫折を経て、題材が《Têtes》–頭、顔、首…−に落ち着き、たまたま、Têtes研究プロジェクトを掲げた美術史家まで滞在しているような、Têtesだらけの歴史的場所に滞在して作曲することになった経緯に、なんとも不思議なめぐりあわせを感じている。

★公演情報

望月 京《Têtes》世界初演
台本:ドミニク・ケレン(一部、小泉八雲著「怪談」に基づく)
演出:フレデリック・タントゥリエ
演奏:ポール=アレクサンドル・デュボワ(声)、エノ・ポッペ指揮MusikFabrik
2017年10月22日ドナウエッシンゲン音楽祭(ドイツ)
SWR(南西ドイツ放送局)委嘱作品

《Intermezzi I》(1998)
Hard Rain Soloist Ensemble
2017年11月2日
ベルファースト(アイルランド)

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望月 京 (Misato Mochizuki)
1969年東京生まれ。東京芸術大学大学院およびパリ国立高等音楽院作曲科、楽曲分析科修了。1996~97年IRCAM研究員。国内外の多数の放送局、管弦楽団、劇場、音楽祭などから委嘱を得て、オペラ《パン屋大襲撃》、オーケストラ作品(東京フィルハーモニー創立100周年記念作品《むすび》、ブザンソン国際指揮者コンクール課題曲《むすびII》…)、無声映画のための音楽(溝口健二監督「瀧の白糸」、マン・レイ監督「理性への帰還」)など60余曲をこれまでに作曲。作品はBreitkopf & Härtel社より出版、ザルツブルク音楽祭、ウィーン・モデルン、ベルリン・ムジークビエンナーレ、ヴェネツィア・ビエンナーレ、リンカーンセンター・フェスティバル、サイトウ・キネン・フェスティバル(松本) といった音楽祭等で初演/再演される。パリの秋芸術祭、アルス・ムジカ音楽祭(ブリュッセル)、アムステルダム・ムジークヘボウ、コロンビア大学ミラーシアター、サントリーホールなどでは、オーケストラやアンサンブル作品による個展が開催された。欧州各地で作曲講師を務める一方(ダルムシュタット国際夏季現代音楽講習会、ロワイヨモン国際作曲セミナー、パリ・エコール・ノルマル音楽院、アムステルダム音楽院…)、一般聴講者を対象とした講演(コレージュ・ド・フランス、コロンビア大学、ウィーン芸術写真学校…)や執筆(読売新聞連載「音楽季評」2008〜2015、 日本経済新聞「現代音楽入門講座」、新潮社「考える人」、講談社「群像」…)にも定評がある。芸術選奨文部科学大臣新人賞、尾高賞、出光音楽賞、芥川作曲賞、ユネスコ国際作曲家会議グランプリ、ハイデルベルク女性芸術家賞などを受賞。明治学院大学教授。