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Pick Up (19/9/15)|落合陽一×日本フィル VOL.3 第1夜《耳で聴かない音楽会》|藤原聡

落合陽一×日本フィル VOL.3 第1夜  《耳で聴かない音楽会》
Yoichi Ochiai&JPO Project Vol.3 Part.1 SOUND FREE CONCERT

2019年8月20日 東京オペラシティ コンサートホール
2019/8/20  Tokyo Opera City Concert Hall
Reported by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 山口敦/写真提供:日本フィルハーモニー交響楽団

 

「目を瞑って音楽を聴くほど馬鹿げたことはない。」

正確な引用ではないが、今さら紹介するのも気が引けるストラヴィンスキーの至言、普通は「楽譜という視覚情報を参照することによって格段に聴体験に深みと奥行きが出る」、という意味に取れるが、しかしそれだけではない、というかそうではない。例えばコンサートでは演奏者が楽器と組んずほぐれつの「格闘」をしているのか、あるいはいとも容易に戯れているように見えるのか。『春の祭典』のある部分で指揮者の上半身が本人も意識せずいきなり前のめりになるや否やオケの音圧が急に膨れ上がる。あるピアニストはスクリャービンの『焔に向かって』でそれまで不動の姿勢で冷静に弾いていたが、音楽の情動に反応して唐突に上半身をぐるぐると揺らし始めると出て来る音楽はそれと軌を一にしてにわかに不吉な様相を呈し始める(この2つ、演奏者は誰でしょう?)。出て来る音とその身体的な発動はリンクしているし、視覚を凝らすことによって音だけでは得られない情報を得る。あるいはコンサートホール。その場の1回限りの雰囲気。ホール特有の匂い(香り)、オペラグラスを覗いて見えたヴァイオリニストのパート譜に付いたインクのこぼし跡…。ああ、俺も子供の頃ヴァイオリンをやらされていたが、確か溶けかけたアイスクリームを楽譜に落として先生に叱られたっけ。おっかなかったあの先生、今はどうしているのかな。

ここまで書いておいて何だが、この日の落合陽一プロデュースによる『耳で聴かない音楽会2019』はそういう文脈とは違う。あくまで音が主体、他の諸感覚を使うことによる補佐的情報から耳で音楽を聴くという体験に他の意味が付加される、というのが先の文脈だ。しかし本コンサートは別に耳を優位に扱っていない。あるいは音楽に合わせて類型化された情動を視覚化する、と言うのとも違う。

例えば『パッヘルベルのカノン』の演奏において、背後のスクリーンに投影される映像はさまざまな色彩がさんざめきながらまるで芋虫が右から左へと変態しつつ這っているような映像だが――とは言えこれははっきりと芋虫ではない――、これは同曲のカノン構造をイマジネイティヴかつ即物的に視覚として表現した作品であるし、『剣の舞』では無数の隊列を組んだ人間(らしきもの)がある時は増殖して快速調の狂気じみた邁進を、またある時は減少して地面に引っ込んだり。その不気味な(と書こう)運動性は音楽から得られるありきたりのイメージ(浮かぶ風景と言い換えてもよい)を視覚化したのではなく、分節化された感情やら情動に還元されない単なる運動体として提示され、しかもそれは音楽に従属しているというよりも、それ自体が勝手にガン細胞のように増殖している得体の知れなさを発揮する。この感覚はただ「音楽に合わせてそれらしい映像を付ける」のとは似て非なるものだ。

ルロイ・アンダーソンの『タイプライター』と『サンドペーパー・バレエ』こそベタな遊びを仕込んでいたが――前者はスマホのタイプライターアプリを事前にインストールして、そして後者は入場客に配られたサンドペーパーでもってオケと「共演」する――先の『パッヘルベルのカノン』と『剣の舞』は映像化の感覚が斬新でなかなかに強いインパクトである。

後半の『動物の謝肉祭』の映像は個人的には一部を除いて割に「ありきたり」と感じてしまったし、当日用意されたデバイス―「SOUND HUG」「Ontenna」「ボディソニック」(興味ある向きは「ググって」頂きたい)は未体験ゆえ自身の身体感覚として言及することは不可能だが、本コンサートを「聴覚の不自由な方へ向けた新たな音楽の享受の仕方」と言う文脈で捉えるよりも――と言うよりも筆者はいわゆる「健常者」ゆえそういう方の感覚は分かるわけがないし、それらしく嘘くさいことも書きたくない――上に記したような観点から本コンサートに接し、そしてそれは新たな感覚を掘り起こした、と言うか、または音楽(聴覚)を含めた六感の関係性あるいは自律性についての考えを巡らす一助にはなった。いや、これもより正直に書けば「よく分からない」。まあしかし分かればよいというものではない、と開き直っておく。

(付記1)
このコンサートの翌週27日に、これと対をなす『交錯する音楽会』が開催された。こちらは未参加だが、もし参加したならさらに多層的な感想というか感覚が掘り起こされた気がしてならない。残念。

(付記2)
休憩中、日本フィルの打楽器奏者の方々がロビーに出て来て手拍子を取り始め、それを取り囲んでいた客もつられて自然発生的に手拍子を開始、その輪は次第に広がる。様々なボディランゲージを駆使した打楽器奏者群に同調し、この手拍子の渦はある時は盛大に、そしてある時は沈静化へと。この単純と言えば単純な「集団演奏」はじわじわと、かつやたらと(笑)盛り上がり、最後は大団円で盛大な喝采。祝祭における原初的な高揚がこれか。

関連記事:Pick Up (19/9/15)|落合陽一 × 日本フィル VOL.3 第2夜 《交錯する音楽会》|大田美佐子

(2019/9/15)

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<出演>
演出:落合陽一
指揮:海老原光
ファシリテーター:江原陽子
映像の奏者:WOW
ピアノ:デュオ・グレイス(高橋多佳子&宮谷理香 ピアノ・デュオ)
照明:成瀬一裕
日本フィルハーモニー交響楽団
ゲスト・コンサートマスター:鎌田泉
ゲスト・ソロ・チェロ:海野幹雄

<曲目>
ジョン・ケージ『4分33秒』より第2楽章(剣の舞のエア演奏)
ハチャトゥリアン:バレエ音楽『ガイーヌ』より「剣の舞」
パッヘルベル:カノン
アンダーソン:タイプライター
アンダーソン:サンドペーパー・バレエ
サン=サーンス:組曲『動物の謝肉祭』(管弦楽版)
(アンコール)
サン=サーンス:組曲『動物の謝肉祭』より「終曲」
サプライズ・ライブ!(休憩時)
福島喜裕/エリック・パケラ/岩下美香/藤原耕/武井南/中野志保

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◆ Performances by:
Hikaru EBIHARA (Comductor)
Japan Philharmonic Orchestra
Piano Duo:Duo Grace
Direction: Yoichi OCHIAI
Visual Performance: WOW
Creative Director: Kosuke OHO
Lighting: Kazuhiro NARUSE

◆ Program:
SAINT-SAËNS: The Carnival of the Animals (Le carnaval des animaux)