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評論|西村朗 考・覚書 (7) 西村と朔太郎 (後編)〜「詩魂」と「歌霊」|丘山万里子

西村朗 考・覚書 (7) 西村と朔太郎 (後編)〜「詩魂」と「歌霊」
Notes on Akira Nishimura (7)
Akira Nishimura & Sakutaro Hagiwara (2)

Text & Photos by 丘山万里子(Mariko Okayama)

【日本への回帰】〜悲しい漂泊者の歌

左から朔太郎、北原白秋、小山篤二郎(大正4年5月、前橋にて)

朔太郎が評論『日本への回帰』を書いたのは1938年。前年に日中戦争、南京大虐殺が起きている。和辻哲郎『風土』(1931)の日本文化論を端緒に保田与重郎らの『日本浪漫派』創刊は1935年、当時の近代への問いと日本回帰の流れに乗ったものではある。保田らの主張する日本古典主義の帰結先は太平洋戦争であったが、宣戦布告の翌年、朔太郎は死を迎えている。
この時期、音楽界では楽壇の大御所山田耕筰がアーノルド・ファンクとの日独合作映画『新しき土』(1937)、『昭和讃頌』(1938)などすでに戦争礼賛態勢に入る一方、汎東洋主義を唱えた早坂文雄の初期作品『古代の舞曲』(1937)が目を惹く1)
だが、朔太郎『日本への回帰〜我が独り歌えるうた』で吐露されるのは、まさに「我が独り歌えるうた」で、当時のいわゆる日本礼賛とはいささか異なる。彼の嘆きは「異端者・エトランゼ」たる自分であり、どこにも戻れぬ漂泊者の孤独と寂寥だ。
「少し以前まで、西洋は僕らにとっての故郷であった。」から始まるこの文章は、日清日露に勝利し「世界列強の一位に伍した」僕等は長い間の西洋心酔から覚醒したものの、気づけば自国文化は喪失、眼前には「虚無」が広がるばかり、という慨嘆と、いや、再度「西洋からの知性によって日本の失われた青春を回復」「世界的新文化を建設しよう」との鼓舞ではあるのだが、主旋律は「悲しい漂泊者の歌」である(『萩原朔太郎』ちくま日本文学全集/掲載写真も同様)。

「西洋の図」を心に描き、海の向こうに蜃気楼のユートピアを夢みていた時、僕らの胸は希望に充ち、青春の熱意に充ち溢れていた。だがその蜃気楼が幻滅した今、僕らの住むべき真の家郷は、世界の隅々を探し廻って、結局やはり祖国の日本より他にはない。しかもその家郷には幻滅した西洋の図が、その拙劣な模写の形で、汽車を走らし、電車を走らし、至る所に俗悪なビルジングを建立しているのである。僕等は一切の物を喪失した。しかしながらまた僕等が伝統の日本人で、まさしく僕等の血管中に、祖先二千余年の歴史が脈搏しているというほど、疑いのない事実はないのだ。そしてまたその限りに、僕等は何物をも喪失してはいないのである。p.318

僕等は西欧的なる知性を経て、日本的なものの探求に帰ってきた。その巡歴の日は寒くて悲しかった。なぜなら西洋的なるインテリジェンスは、大衆的にも、文壇的にも、この国の風土に根づくことがなかったから。僕等は異端者として待遇され、エトランゼとして生活してきた。しかも今、日本的なるものへの批判と関心を持つ多くの人は、不思議にも皆この「異端者」とエトランゼの一群なのだ。p.320

締めくくりはこうだ。

過去に僕等は、知性人である故に孤独であり、西洋的である故にエトランゼだった。そして今日、祖国への批判と関心とを持つことから、一層また切実なジレンマに逢着して、二重に救いがたく悩んでいるのだ。孤独と寂寥とは、この国に生まれた知性人の、永遠に避けがたい運命なのだ。
日本的なものへの回帰!それは僕等の詩人にとって、よるべなき魂の悲しい漂泊者の歌を意味するのだ。誰か軍隊の凱歌と共に、勇ましい進軍喇叭で歌われようか。かの声を大きくして、僕等に国粋主義の号令をかけるものよ。しばらく我が静かなる周囲を去れ。p.322

朔太郎は西洋的知性人ゆえの孤独と、伝統的日本人としての血液との間に引き裂かれつつ、軍隊の凱歌や国粋主義の号令から身を遠ざけ、よるべない我が身の漂泊を女々しく嘆くばかり。時の権勢から見れば、なんと軟弱な、であろう。
筆者は前稿で三善晃の「寄る辺なさ」「宙吊り」を指摘したが、それは朔太郎が痛覚していたものでもあったのだ。朔太郎は戦前のファシズムの足音の中で、三善は戦後復興の青春期、渡欧の先に。だが、三善は帰国後さらに、少年期の戦時体験へと「自らの歴史」を振り返ることになる。西欧への憧憬を通して新たな個我の存立を目指した日本の近代知性が、自国の歴史・文化土壌への冷静な知見をも含めた自己咀嚼成熟に向かう以前に、世界は大規模な戦争暴力へと墜落する。あらゆる個我が蹂躙・抹殺されてゆくその現場に、そしておそらく彼自身もその共犯であろうとの自覚に三善は立ちすくむことになる。その意味で、上述の朔太郎のよるべなさと三善のそれとは明らかに異なろう。
だが、朔太郎の『月に吠える』『青猫』などにある詩魂には、それとは別のよるべなさ、異端者と言うより「異物者」の自覚が鋭い叫びとなって噴き上がり、流血している気がする。三善が反応したのは、その「異物性」ではないか。そこに時代、文化論を超えた表現者の持つ特有の「生理」を筆者は見たいが、今言えるのはそこまでだ。

『日本への回帰』にある「一切の物を喪失した」「何物をも喪失してはいない」の朔太郎の言葉は『氷島』(1934)の《乃木坂倶楽部》の中の一節。彼はこの詩集を最後に詩作から離れ、批評論考を多く残した。『月に吠える』からの3編は口語であったが、『氷島』は文語。不倫妻に逃げられ、残された二人の子を連れ帰郷する朔太郎の、詩人としての最後の詩集だ。ここでは《乃木坂倶楽部》ではなく、詩集の巻頭に置かれた《漂泊者の歌》を引いておく。
本人の「詩篇小解」は以下。

「漂泊者の歌(序詩)  斷崖に沿うて、陸橋の下を歩み行く人。そは我が永遠の姿。寂しき漂泊者の影なり。卷頭に掲げて序詩となす。」

《漂泊者の歌》

日は斷崖の上に登り
憂ひは陸橋の下を低く歩めり。
無限に遠き空の彼方
續ける鐵路の柵の背後うしろに
一つの寂しき影は漂ふ。

ああ汝 漂泊者!
過去より來りて未來を過ぎ
久遠の郷愁を追ひ行くもの。
いかなれば蹌爾として
時計の如くに憂ひ歩むぞ。
石もて蛇を殺すごとく
一つの輪廻を斷絶して
意志なき寂寥を蹈み切れかし。

ああ 惡魔よりも孤獨にして
汝は氷霜の冬に耐へたるかな!
かつて何物をも信ずることなく
汝の信ずるところに憤怒を知れり。
かつて欲情の否定を知らず
汝の欲情するものを彈劾せり。
いかなればまた愁ひ疲れて
やさしく抱かれ接吻(きす)する者の家に歸らん。
かつて何物をも汝は愛せず
何物もまたかつて汝を愛せざるべし。

ああ汝 寂寥の人
悲しき落日の坂を登りて
意志なき斷崖を漂泊さまよひ行けど
いづこに家郷はあらざるべし。
汝の家郷は有らざるべし!

では、西村はエトランゼか? 異端者か? 漂泊者か?
この問いに、今、答えるのは難しい。
一気に彼の芸大時代のアカデミズム「“適応不全”症候群」2)と「エキゾチシズムとしての西洋」3)に話を飛ばすのも可能だが、ここはあくまで朔太郎に沿って進みたい。ゆえ、そうでもあり、そうでもない、と言おう。
ただ、直裁に「同体質・同生理」であった、とは思う。それは西村の選ぶ詩句、その言語感覚、そこから引きずり出される音から明らかだ。
いずれにせよ、上記の詩集に三善も西村も音で反応することはなかった4)。この古典的嘆き節に、かつての詩人の詩魂を見るのは難しい。実際、彼は『詩の建設と歌壇の新運動』5)で『青猫』当時の自分の詩境(一種のアンニュイ気分)が口語のDullな調子と一致、その音楽美と抒情感を利用しえたが、詩境に変化を生じ、口語では一切書くことが不能になった、と述べている。詩人朔太郎は『氷島』で終わったのだ(ただし、西村は「生活者としての外界の現実と直面しつつ、その精神的苦闘の中から『氷島』のような詩集を残し、ついには人を逆境から救う力を持った詩を書いた」と評しているが6))。
また口語(日常的日本語)について、「ハズミと彈力に缺け、強い緊張した音調を持たないところの、從って全體に重苦しく、平坦でネバネバした言語だといふことである」と述べてもおり、口語の放棄は自身の内的変化であることがうかがえる。にしても、この言語認識と、西村がその詩に付した音像を重ねるなら、両者の技の絡み合いの凄さに感嘆のほかない。その仕掛けを朔太郎に少しだけ見ておこう。
朔太郎後期論考『口語歌の韻律に就いて』の一部より7)。口語そのものの非韻律性を克服すべく、「韻文の本質すべき音楽要素、すなわち抑揚や節奏」「言葉に調子をつけるハズミ、抑揚をつけるメリハリ」を説き、音楽に力を尽くした例として自作『青猫』を解説している。●印が抑揚のアクセント。間(ま)の長短も筆者がそのまま写した。

●どうして●あなたは●此処に来た●の
●やさしい ●青ざめた ●くさのやうに●ふしぎな影●よ
●貴女は貝●でも●ない 雉●でも●ない 猫●でも●ない

《艶めかしい墓場》

残念ながら、西村の選にこの詩はないのでアナリーゼできないが、前稿『「青猫」の五つの詩』での筆者記述を参照していただければと思う。

【恋愛名歌集】〜青春的情熱と郷愁的詩人、柿本人麿
朔太郎の日本主義(彼なりの伝統回帰)に戻るなら、『氷島』の2年前『恋愛名歌集』(1931)を刊行、保田与重郎ら周辺との交遊も始まっている。この歌集は万葉集、古今集、六代歌集、新古今集からの選でほぼ恋愛歌だが、他の種類の名歌も幾つか入る。西村はこれを高校生の頃から愛読した。

祇園双紙p.11p

すでに(4)『寂光院にて』で触れたが、当時彼は京の歌人吉井勇に心酔、この尼寺を訪れたのだが、後年その歌をテキストに『祇園双紙』(1995/無伴奏女声合唱のための組曲)を書いている。『祇園歌集』『祇園双紙』から20首を選んだもので、『寂光哀歌』の流れを汲み、女声がたおやかで美しいハーモニーを聴かせる。第1曲<祇園>の冒頭、有名句「かにかくに祇園はこひし寝(ぬ)るときも枕の下を水のながるる」は透き通った声の薄衣の重なりが加茂川のせせらぎを映し、<舞姫><河原蓬><おれん><嵐山>とつなぐ中に織り込まれる微細な波動(とりわけ第5曲<嵐山>の震えと膨張)がいかにも西村らしい妖しさを含む。いずれにせよ、吉井の短歌と朔太郎の名歌集をほぼ同時期に手に取った、このあたりから『紫苑物語』の「歌と弓矢」の道はすでに彼の中に播種されたのではないか8)。さらに言うなら、西村と朔太郎にある特異体質・生理を、その母胎内感覚にまで遡れる気がするが、今は控えよう。
ただ、寂光院を後にするとき、彼はその背に尼僧の声を聴いた、そのことを思い出しておく。客と思しき人へ「よいお年をお迎えください」といった意味の言葉をかけたのだが、「その鄙びて雅な京大原の言葉のニュアンス、味わいは特別なもので、ここに再現できない。が、言葉を超えた何かが心にしみ入って、そのひと声の記憶は今もみずみずしい。」9) 。大阪人のしゃべくりと京の尼僧の音声との落差。日暮れて院からさらに北へ上り、樹林に抱き込まれるような街道の先に「冥界」「生と死の臨界域」を感取して引き返すそのシーンだ。ここには、声、言葉、響き、別界、異界といったものへの西村独特の生理反応が凝縮されて現れているように思う。そこに朔太郎からの和歌世界、さらには彼らの特異体質・生理をも嗅ぐのはあながち的外れではなかろう。それが声と響き(合唱)となって立ち現れるのはほぼ四半世紀のちだけれども。

朔太郎は『恋愛名歌集』での古典和歌へのまなざしから、歌論、俳論、日本文化論へと展開してゆくが、ここでも彼の主旋律は常に「漂泊者の歌」である。もっとも、批評的文化論における彼の切り口語り口の鋭さはまた別ゆえここでは触れず、主旋律のみを『恋愛名歌集』に追う。
まず万葉集、冒頭から12首は柿本人麿の恋歌、さらに続4首を編外秀歌として収録し、人麿を「万葉歌人第一の情熱歌人で、且つ芸術才能が群を抜いている」と絶賛する。

「その戀愛詩には火のような情熱が燃え、その旅情歌には郷愁の人に迫る音樂がある。後世の西行や芭蕉やも、人生を覉旅(きりょ)の中に過した郷愁の詩人であるが、思想が佛教の僧侶的遁世觀に立ってるため、氣宇が小さくいぢけて居り、人麿の汪洋たる自然的雄大の諧調に及ばない。況や人生詩人として、後者は人麿の青春的情熱を全く缺いている。けだし人麿は日本詩歌の歴史を通じて、唯一の巨大なる歌聖であり、眞の抒情詩的抒情詩人の典型である。」p.17

「青春的情熱」と「郷愁詩人」に加え、人麿讃美を芭蕉ら「仏教僧侶的遁世観」と対比しているところに注目したい。彼はまた、蕪村への傾倒を語るがそこで強調されるのは「青春の彷徨と郷愁」で「青年性の俳人」と彼を賞する。青年性とは時代感情・神経に密接に触れることでありその「若さ」「みずみずしさ」こそが詩の本質で、それが蕪村にはある、というのだ。に対して「年寄りの芸術」は仏教臭く「わび」「さび」「枯淡」とし、俳句を嫌った。芭蕉に関してはのち評価を改め、その「寂び」「侘びしおり」を漸く理解したものの「だがその新しい発見は、僕にとって何の悦びでもなく楽しみでもない。却って益々過去を顧み、自分の長く寂しかったエトランゼとしての生活を、自ら憐れみ悲しく、地上の影を抱いて泣くばかりだ。」10)
当の彼こそが「青年性」「詩魂」を失った詩人そのもの、その自覚がどれほど痛切に彼を苛み続けたことか。『氷島』以前と以降の自分。その相克が「どこにも戻れぬ漂泊者の孤独と寂寥」の内実であったろう。さらにこの相克に彼の出自すなわち故郷上州(群馬前橋)の土地柄が分かち難く結びつくことを思う時、筆者には西村の原風景としての「にぎやかな始まり」の土壌が浮かぶのだ。それが「宗教」「哲学」の問題へとつながることを(本稿第1回で触れている)ここで言っておきたい。

【悲恋の歌人式子(しょくし)内親王】〜『式子内親王の七つの歌』
さて朔太郎の人麿讃歌から、前稿で触れた『炎(かぎろい)の孤悲歌〜柿本人麿の歌に依る』(1990)と『炎の挽歌』(2000)の2作を見るつもりだったが、この2作、『恋愛名歌集』の人麿の歌とテキストがそぐわない11)。むしろ『孤悲歌』同年の『式子内親王の七つの歌』(1990/無伴奏混声合唱のための)の歌の方が適切に思う。この式子内親王については、朔太郎、『悲恋の歌人式子内親王』(1935)を発表してもおり、ひとかたならぬ力の入れようだ。しかもこの合唱作品がまた驚異・脅威であるゆえ、こちらを取り上げることにする。
式子は鎌倉時代の代表的女流歌人で朔太郎『名歌集』中の「新古今和歌集」にある。朔太郎曰く。

「彼女の歌の特色は、上に才氣溌剌たる理知を研いて、下に火のやうな情熱を燃燒させ、あらゆる技巧の巧緻を盡して、内に盛りあがる詩情を包んでゐることである。即ち一言にして言へば式子の歌風は、定家の技巧主義に萬葉歌人の情熱を混じた者で、これが本當に正しい意味で言はれる『技巧主義の藝術』である。そしてこの故に彼女の歌は、正に新古今歌風を代表する者と言ふべきである」p.112

式子は後白河天皇の第3皇女。内親王宣下を受け斎院に卜定、とは伊勢の斎宮が天皇家祖神に仕えるのに対し、賀茂神社斎院は皇室守護神に治世安泰を祈るもので、6,7歳で賀茂の河原に御禊、聖所に入り厳しい潔斎の日々を送る。以降、斎宮御所(野宮)での奉仕ののち病で退出、叔母八条院暲子内親王家に身を寄せ37,8歳で法然のもとで出家(法然については疑義があるが)、53年の生涯を閉じるまで独身を貫いた。小倉百人一首の「玉の緒よ絶えねば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする」がよく知られよう。朔太郎はこの歌を「わが命よ。むしろ早く死なば死ね。生きてこの上苦しさに堪へられないとの意で、戀歌としてもっとも哀切な感情を絶叫している。」p.111と解いている。
この美貌の歌人、独身出家の身でありながら遺した多くの恋歌に立つ炎(ほむら)により「忍ぶ恋」を言われるが、その相手を法然、とするのが石丸晶子『面影びとは法然〜式子内親王伝』(1989/朝日新聞社)で、西村はこれをも読んでいる。上述の朔太郎の言葉を重ねれば、この合唱作品の姿が予見されよう。
7首のうち (Ⅲ)(Ⅳ)(Ⅶ)の3曲が『名歌集』から、(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅵ)3曲が『新古今和歌集』、(Ⅴ)は『新千載集』から引かれている。(Ⅰ)と(Ⅶ)は春をテーマとし、対応する形を取る。ここではスコア記載の7首とテキスト、それに付せられた西村のメモから要所を拾う。

(Ⅰ) 花の光に
此世にはわすれぬ春の面影よ 朧月夜の花の光に
テキスト:花の光に/春の面影

<祈りのように>という言葉が曲頭に記されている。

『寂光哀歌』と似た入りだが(『寂光』は2年後の作)、religioso(祈りのように)(a—)女声3部の晴明なヴォカリーズがゆっくり上行、p<mfへと一気に広がり4小節で途切れる。一呼吸から混声allarg. で再度ヴォカリーズ(a) p<fだが、女声2にtr~~~~が入り、磨りガラスのような感触に変化。休止のち、「はなのひかりに」が女声1で歌われ、混声(a)ヴォカリーズが3連符で流れるが、とりわけ男声2の低いざわざわが不穏。そこに女声3「はるのおもかげ」がたなびく。終尾(a)女3声ヴォカリーズは全てtr~~~~でpp<ff12)。半呼吸のち女声3(a)gis,ais,h/ dis,e,f/ fis,g,aにmisteriosoの指示がついたクラスター、それもppで、だ。最後は女声3(a)のtr~~~~ppp<f。余韻尾をひく休符上にlungaの指示で終わる。2分半ほどの短い曲だが、すでに一筋縄で行かぬものが背後に鳴っているではないか。

Ⅱ化野のp.9

(Ⅱ) 化野の
暮るる間も待つべき世かはあだし野の 末葉の露に嵐たつなり
テキスト:暮るる間も/あだし野/末葉の露に嵐たつ

化野は京都嵯峨野の奥、古来死者を葬った場所。今日でもこの地は、一種独特な霊気のようなものを漂わせている。

化野とくれば察しはつこう。tempo rubato(残酷な響きを込めて)。男声3部「くるる」p<mfと不気味な低音で蠢きはじめ、女声2部がf「くるるま」半歩遅れてsop「ま」がやはりfでの衝撃波。そこから「くるる くるる くるる」と各声部下からfで押し上げること9波でff。アポストロフィ「’」ののち4部音符テヌートでmf「く・る・る・ま・も」に、さらにpp「ま」pp<f>が膨張収縮、pp「も」にかき消える。ヴォカリーズsubito(o)p<f> pが半音上行ポルタメントを伴いffのあたりの音圧の凄さ。bass(ho)sop(ha)のヴォカリーズに混声2が「あだしのーの」と一足一足踏み入ってくる...ここらのポルタメント、グリッサンドがまたホラーっぽい。「すえばの すえばの すえばの すえばの」が例によって増殖、に続き跳躍同音型全声部(ha)が執拗に襲いかかる。その果て、女声3部クラスター(ha)p<fff。終わらず、Allarg.無声子音のシの指示でp<ff、その下には男声2の口笛が...このあたり、化野を歩けばぞくっと腑に落ちるゆえ(筆者はあまり好まないが)行かれるとよかろう。休止ののち「すえばの つゆにあらし たつ」、最後は全声部(u)p<ffのh,zis/d,e/f,ges/h,zis/ d,e/f,gesの響きで押し切る。

(Ⅲ) しるべせよ

Ⅲしるべせよp.21

しるべせよ跡なき浪に漕ぐ舟の 行方も知らぬ八重の潮風
テキスト:しるべせよ/跡なき浪に

私はこの歌は、情死のエクスタシーを感ずる。———愛の喜悦として、情死にまさるものがあろうか。今まさに身をなげんとする二人は、究極のエクスタシーに身をふるわせる。

こちらも3分弱で一気、しょっぱなからfだ。 haa(ハア)とsop, mezzo , altが順にh-cの上行、次いで高音a-gis(sop), ges-f(mezzo), es-d(alt)と降ってくる、そこに同型でten, bariton.bassが加わるこの波が、微妙に変形、細分化、poco a poco Accel.<ffとスコア4ページにわたり叫びまくる。9/8拍子1拍3連符分割で切迫に男声3部がffで「しるべ せよ」と入り8波を重ね、いかにも艪(ろ)をぐいぐいと漕ぐさま。続く「あとなきなみに」の「なみに」4波に、西村的「情死」であれば、男の誘声と響く。詩はこれだけで、あとはhaa(女の喘・叫声)とhoo (男の呼声/高音は一部ファルセットを混用しても良い。の指示あり) の際限ない波に埋め尽くされ、43小節 Più agitato からは全声部hahahahahahaをffアクセントつきで叫びまくるゆえ、聴き手も共にほぼ過呼吸状態に(前稿『炎(かぎろい)の孤悲歌〜柿本人麿の歌に依る』を見よ)。最後fffの絶叫のち、ずぶっと低音に沈み、果てる。

紫苑物語第1幕p.13

さて筆者、このhaahaahaahaa(ハアハアハアハア)の重波に、思わず『紫苑物語』冒頭混声合唱の「とうとうとうとう」を聴いた(ここは(3)の「お泊まり宴会」でも述べているが「とうとうたらり あがりはたらり ちりやたらり あがりはとうとう」の部分13))。そのスコアを見てみると、スケールは異なるもののほぼ同態。『紫苑』ではこのあと、うつろ姫のアリアとなるがそれを囲む合唱は「とうとうとうとう」だの「ちりやたらり」だのと大騒ぎしている。なるほど、これか、と隠れたシーニュを見つけた気分(このフレーズは第1幕第4場うつろ姫のアリア、第2幕第3場の四重唱にも現れる)。

朔太郎はこの歌、『名歌集』『悲恋の歌人式子内親王』両者にあげているが、『名歌集』では「編者の知ってゐる或る詩人は、この歌を朗吟すると不思議に心が誘惑され、月光の海に人と情死がしたくなると言った。」と書く。一方、『悲恋の歌人』ではこうだ。

「沖を漕ぎ行く舟のように、行方も知らず自分の恋は導かれて行く。この燃ゆる思い、日ごとに深くなりまさって行く情熱は、一体どこまで行ったら止まるのだろう。…ああもう私は自分を制御することが出来なくなった。どうにかしてくれ。誰か来て、自分を導いてくれ、自分の行く道をしるべしてくれ!と身悶えして訴える恋歌である。」14)

西村がこれを情死の場面というのは、『名歌集』でのこれら朔太郎の言葉もあろうが、その身悶えをまさに音化するあたり、やはり共通する生理を感じずにはいられない。『紫苑』のこの部分が官能うつろ姫の悶えそのものであれば、形姿が似るのも宜なるかな。

(Ⅳ) 夢

夢p.27

しづかなる暁ごとに見渡せば まだ深き夜の夢ぞかなしき
テキスト:あかつき/深き夜の夢ぞかなしき

無明長夜の煩悩の夢にひたる衆生を、慈悲のまなざしで静かに見つめる地蔵菩薩。曲頭<やわらかく、秘めやかに、慈愛の光でつつみ込むように>との指示が記されている。

全7曲の中央に位置する。歌趣はいかにも静寂だが、音はどうか。 5分と最も長く、全体に上下行ポルタメント多用でゆうらゆうらの船酔い気分。冒頭「やわらかく秘めやかに、慈愛の光でつつみ込むように」との指示通り、p(o)ヴォカリーズで順次ハーモニーを重ねてゆくのではあるが、10小節から男声pp(o)、女声(a)でポルタメント4度〜オクターブ音程を「神秘的な光に満ちて」「ポルタメントはその音符の長さをすべて使って、ゆっくりとねばっこく、表情豊かに」。そのまさに波打つ粘っこさは衆生の煩悩でもあろうか。「あかつき まだふかきよのゆめぞかなしき」は混声で9小節、末尾sop高音f「き」からすぐに男声低音3、女声2からhumで響上がるポルタメントをどう聴くか。地蔵菩薩の光? ポルタメントの大揺れから、bass低音fg〜sop高音abに至る幅広いppハーモニーで静寂に収斂。
前曲の官能情死(ケチャ)から慈愛光(ヘテロフォニーへ)への場面転換、いかにも西村ではあるものの….。
朔太郎曰く、式子仏門に入ってからの作、非常に象徴的で幽玄の情趣深く、思想としては仏教の「無明長夜の夢」を含蓄したものであろうが「あきらめきれない人生無常の寂しさが、歌の心の影に沁々(しみじみ)と現れている。」15)であれば、「あきらめきれない」に焦点があったのか?

(Ⅴ) 君ゆゑや

君ゆゑやp.31

君ゆゑや始も果もかぎりなき うき世をめぐる身とも成なん
テキスト:君ゆゑや/かぎりなき/めぐり

この歌にいう“めぐる”とは、六道輪廻のめぐりをさすとされる。解脱の道を捨てて果てなき情欲に身を焼かんとする。

この歌のみ『新千載集』で巻11-恋の分類に入っている(『新古今』より新しい)。意は、あなたのせいで始まりも終わりも無い六道輪廻(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道)をさまよい続ける身になってしまうのだろうか、とされる。恋歌ゆえこちらも「情欲に身を焼かんとす」ということだが、まさにそんな感じ。男声3部pで(ao)と不気味な響き(a とoの中間の母音で、の指示)にポルタメント、tenには「無声音(シ)にちかい(ス)」の指示ゆえ、なおさら。に、女声3がppで入る。女声2部和声3連符上行でff、に男声口笛。《化野》に似るが、その上に女声3で「ki〜mi〜yu~ye」がアクセントつき装飾音、h~dといった音程間を尺八のユリ、コロみたいに収縮膨張で縫い進む。「かぎりなき」はほぼ1小節で片付け「め〜ぐ〜り」もまたユリ、コロ路線でff!再び冒頭の気配に戻り、最後はそれなりppハーモニー<ffで了。「あなたのせいで〜〜〜〜」と恨めし顔が浮かんでくるような曲調だ。

(Ⅵ) 澄みし世の
伝へ聞く袖さへぬれぬ浪の上 夜深く澄みし四つの緒の声
テキスト:浪の上/夜深く澄みし四つの緒の声

澄んだ夜の壇ノ浦の浪の上、滅んでいった平家の人々のたましいの叫びが、琵琶の調べとともに、四辺に広がって、消えていった。

平家滅亡の情景に想いを寄せつつ「夜深く」と歌う式子の抱える闇の深さが波となって寄せる。冒頭澄んだ女声にほっとするのもつかの間、31小節目Più mosso「よつのおのこえ」からaccel.全声部での(ao)< ff, 6連符の連なりで最低音d〜最高音hまで駆け上がる絶叫。波間の女声ハーモニーに水底からの男声のつぶやきが溶けて幕。兄を平家に奪われた女人でありながら死者の無念怨念が自分の人生に重なりもするのか。男声低音はチベット仏教真言「オーム(om)」を想起させる響き(声明というより筆者にはこちら)。筆者の耳にはむしろ不安を煽るものであるが….。

(Ⅶ) 春
今桜咲きぬと見えて薄曇り 春に霞める世の景色かな
テキスト:今桜咲きぬ/春に霞める世の景色

(Ⅰ) 花の光に、に対応する形で、この最終曲でも春の歌を選んだ。初々しい詩魂漂うすばらしい和歌であるが、これら式子内親王の歌々には、いずれも春の愁いというべき歌魂が宿っているように私には感じられる。

この最終曲のメモには、続いて友人作曲家佐藤聰明『春愁歌』のエピソードが語られている。独奏ハープのこの曲がさまよえるいくつもの霊を引き寄せる。レコーディングで篠崎史子が演奏中、霊にとりまかれ思わず悲鳴をあげた。「音楽には、そうした力があることを、時に作曲家は思って見るべきであろう。」

女声3部が「いまさくらさきぬ はるにかすめる よのけしき」の下を男声humやヴォカリーズ(o)(ao)が流れる。合間に入る吐息にふっと冷気が立つけれども。

長々述べたが、和歌から引き抜いた言葉でその「歌霊」を呼び出す、という西村の術がここに全てさらけ出されているからだ。構成も見事。
彼はこの合唱曲のスコアでこう語る。

「彼女の歌々には、まぎれもなき詩魂が宿って在る。詩魂を言いかえるならば、歌霊。たとえば、私の最も好きな歌のひとつ。
此世にはわすれぬ春の面影よ 朧月夜の花の光に
このような歌を心に詠ずる時、私は、五感全体をその歌霊によって、みずみずしく震わせられる思いがする。」

朔太郎の「詩魂」と西村の「歌霊」。
万葉びと人麿の青春的情熱と郷愁に「詩魂」を見る朔太郎は、新古今の式子の技巧と情熱を讃する。同時代の女流、和泉式部は恋に生まれ恋に死んだ「生活即芸術」の歌人だが、式子は「象徴恋愛詩人」と対比する(『悲恋の歌人式子内親王』16))。和泉式部は下級生まれの宮廷女官で放胆愛欲生活の連続だが、式子は高貴な生まれ、神に仕える聖女として生涯童貞不犯の境遇を強いられた。その一生は白百合のように純潔で、恋愛は心の内部に秘められており、

「若く美しい女性が、一人斎院に閉じこもって、やり所のない青春の悩みに悶え、心の秘密を忍びがたく歌ったもの、それがすなわちこの人の芸術であった。」p.358

「式子内親王の歌にあっては、恋が現実のものでなくって、心中に秘められた情熱の嘆息だった。つまり言えば、彼女は一人で心ひそかに愛人の幻影を胸に抱いていた。〜〜〜〜神女の雪白な着物を着ても、彼女は青春の少女であった。」p.359

朔太郎にとって式子は永遠の「青春の少女」、愛の幻影にのみ生きた魂のよるべなき「漂泊者」なのだ。

【朔太郎の「詩魂」と西村の「歌霊」】〜大手拓次『まぼろしの薔薇』から朔太郎『「青猫」の五つの詩』まで
朔太郎の日本、伝統文化回帰としての和歌、人麿、式子、そこに彼が何を見たか。
自分がすでに喪失した「詩魂」。
詩魂とはすなわち、青春の情熱と彷徨そのもの。
不倫妻の残した子を連れ帰郷した朔太郎は二重の喪失の自覚に苛まれるうらぶれた中年男だ(その後の彼の批評論考は鋭いが、それは別の話)。
彼の日本主義が、ファッショへとなだれる当時の文化言論と異なるのはその二重喪失、宙吊りの自覚。だから永遠のエトランゼ。だから式子。
筆者はこの二重喪失、すなわち「青春」と「文化的土壌」喪失の意識こそが日本の近現代の詩的個我(自己意識)、表現者としての朔太郎の立ち姿であったと思う。

朔太郎と西村に話を絞るなら。
西村が朔太郎を手にしたのは高校生の時(1969年府立旭高1となり京散策を開始。吉井勇も忘れずにおこう)。
合唱創作の順序でいうと、朔太郎経由の『式子内親王の七つの歌』が1990年。同年『炎の孤悲歌』は1980年代梅原猛『水底の歌』からのものゆえ(註参照)、胚胎はほぼ10年後だが、出てきたのは一緒、そして両作ともいわゆる合唱領域では異様・異常な相貌であるのは詳述の通り。
平家関連の『寂光哀歌』(1992)に続き、吉井勇『祇園双紙』(1995)、翌年、朔太郎『「青猫」の五つの詩』(1996)が来る。さらに『かつて信仰は地上にあった』(2000/男声合唱と打楽器のための)、『内部への月影』(2001/無伴奏混声合唱とカウンターテナーまたはソプラノ独唱のための)、同年『輪廻』(2001/男声合唱とピアノのための)、『蝶を夢む』(2002/無伴奏混声合唱組曲)のち、飛んで近作『猫町』(2015/松平敬委嘱バリトン、ピアノと声のための)が続く。
つまり高校生で出会った朔太郎影響下で、まず音化されたのは20年後、式子内親王和歌世界の「歌霊」。その背後に西村は朔太郎の「詩魂」を語る口調を聴いている17)。朔太郎自身の詩の音化は遅れること6年、四半世紀後。
筆者が『式子』にこだわったのは、その前に大手拓次詩3部作があり18)、音響世界が全く異なるからだ。
朔太郎は夭折の詩人大手を以下のように賞賛した(大手拓次『藍色の蟇』跋文「大手拓次君の詩と人物」1936/アルス)。

「この特異な詩人の本領は性の悩ましいエロチシズと、或る怪しげな夢をもったプラトニックの恋愛詩に尽きるのである。童貞のやうに純血で少女のように夢見がちなこの詩人は彼の幻想の部屋で人に隠れた秘密をいたはり育てて居た。彼のエロチシズムと恋愛詩は、いつも阿片の夢の中で、夢魔の月光のやうに縹渺して居た。それは全く常識の理解できない不思議な容器に満ちたポエジイである。」

孤独の薔薇

大手拓次(1887-1934/19歳年下の少女との熱愛ののち不遇のまま病死、死後に朔太郎らが詩集刊行)にはこれ以上触れないが、上記のほか『氷河の馬』(2008/混声合唱とピアノのための組曲)、『木立をめぐる不思議』(2015/藤木大地委嘱カウンターテナー、ピアノのための)がある。朔太郎同様、西村は近年、再びこの二人を手にしている。
朔太郎から拓次をたどった西村は、まず拓次3部作に手をつけた。理由は以下だ。

「私は萩原朔太郎と大手拓次が特に好きで、拓次の詩をテキストとした合唱組曲はすでに3つ作曲している。しかし、朔太郎の詩にはなかなか手が出せなかった。朔太郎の方が、拓次よりも詩としての自立性が強いためである。が、両者の詩風は一時期非常に似通っており、拓次の側から入って行って朔太郎の世界に至ることが可能ではないかと思えぬでもなかった。」(『「青猫」の五つの詩』スコア前書き)。

拓次世界についての西村の言葉を拾っておく(CD『まぼろしの薔薇』西村朗作品集ライナーノーツ「大手拓次三部作について」より)。

「深い孤独の中からふき出し、にじみ出てくる詩的幻想の妖しさ、そのじめじめとして鮮烈な肉体的生理的イメージのものすごさ〜〜〜そういうものを生みつづけた詩人としての原質的部分の豊穣さ、それがすごいと思った。」

音を聴くなら、これら3作は透明で清冽な美を宿す。筆者は『まぼろしの薔薇』のとりわけ《孤独の薔薇》の美しさに、ああ、西村にはこんな歌もあるのだ、と深く胸を突かれ涙ぐんだことを記しておこう(ただ、『そよぐ幻影』の《白い狼》には拓次の異様が顔を出す)。その合唱の平明、清潔を西村は、「私の中に巣くう、暗く、病的な拓次世界に少し健康な風を送り込みたかったからだ。」と述べている。

【表現者としての肉体生理・原質】〜拓次、朔太郎、西村朗
大手拓次、萩原朔太郎を流れる「肉体的生理」「原質的部分」、その詩魂の炎にあぶられ生きた中世歌人式子。西村は自分に巣食う暗く病的な肉体生理・原質的部分を大手の詩句では抒情でくるみ、式子の歌霊にはひたと張り付き、朔太郎の詩魂でそれらを全放出させた。この表現行程での踏切板は『式子』だったというのが現在の筆者の見立てだ。
すなわち、朔太郎の詩における涅槃だの輪廻だの、後期の日本主義だのはほぼ実体なきものに近く(仏教僧侶的遁世観を嫌うの意)、詩魂にある二重喪失という自己意識こそに朔太郎の実存がある。そして西村が嗅いだのは、間違いなくこの実存、すなわち「青春」という時層と「文化的土壌」という地層への非帰属の自覚から滲み出る詩人の体質・生理であろう。それは、自身の中のほの暗い巣窟、あるいは異界の入り口を覗くことでもあった。
「にぎやかな始まり」から高2の寂光院へ。青春の彷徨に蒔かれた種子(筆者のイメージは苔類胞子なのだが)とは。

前稿、最後に立てた問いに沿って整理するなら。
西村合唱の二面相。大手拓次3部作系列の清明、優美な抒情ハーモニーと『式子内親王の七つの歌』系列の異形。この二系列中『式子』からの異形こそが、西村の表現原質であり、それは『紫苑物語』(うつろ姫、合唱)にも明確に現れている。では、拓次系列はどこに?誰に?は、まだ開(ひら)かずに、この先の扉の一つとしたい。
次に朔太郎の日本主義。
彼の日本主義の主旋律は漂泊者の歌。「青春」と「文化的土壌」の二重喪失、非帰属性の悲嘆の奥底にあるのは、「どこにあっても異物たる実存の自覚」であろう。これを、日本の「近現代」における自己意識と位置付けるより、今のところ筆者はどの時代どの土地文化にあっても「異物」であり続ける表現者たるものが負う「実存」の形と考える。シューベルト、はたまたマーラー、何より式子の歌霊は、それを痛切に示していよう。式子が生きたのは平安末期、鎌倉初頭の動乱の世。その激変、狭間波間に揉みしだかれる叫喚を我が身のものとし発さずにはおれない在り方、それがいつの世も表現者の生理・原質なのではあるまいか。
では西村の汎アジアとは?
器楽世界がその入り口だ。
『式子』の全篇を通してみるなら、(Ⅰ)ヘテロフォニー、トレモロ(清明系列だが)、(Ⅱ)ポルタメント、グリッサンド(Ⅲ)ケチャ(Ⅵ)ヘテロフォニー、ポルタメント(Ⅴ)トレモロ(ユリ・コロ)(Ⅵ)声明(としておく)(Ⅶ)清明系列。
この作品に至るまでの20年、西村が器楽世界で獲得した全ての技法がここに表出されている。『青猫』はその頂点の一つ、と言ってよかろう。ちなみに清明系列に朔太郎『純情小曲集』の色調を重ねれば、そこには朔太郎と西村二蛇絡み合う白き注連縄….。
西村は『そよぐ幻影』スコアの前書きで、「20代の10年間、管弦楽曲、器楽曲の作曲に熱中し続けていた私にそれまで想像もしなかった合唱曲を書く喜びを教えてくださった栗山先生の恩」を述べているが、栗山とは合唱指揮者栗山文昭のこと。彼との出会いが合唱世界を開いたが、それ以前の器楽10年の実りがそこに大きく翼を広げたことは間違いない。さらに、『紫苑物語』への路程には詩人佐々木幹郎との出会いがあった。三善晃にとっての宗左近のように。併走者の存在のあるなしは実に大きい。そして出会いとは常に「時、至れり」の声だ….。

寂光院の道、すなわち高2の彷徨はまた、大阪万博の祭の熱気を頭からどっと浴びた刺激に満ちた日々でもある。
時代の先端は、彼に何を知らせ、見せたのだろうか。
朔太郎を離れ、1970年大阪万博に戻ろう。

追記)
朔太郎、西村については、その仏教観など書き残したことが多々あるが、西村の言も含め「言葉」にあまり近づきすぎると見えなくなるものがある。ゆえ、一旦ここで離れて器楽へ向かう。また、朔太郎がマンドリンをよくし、20代なかばに上野の東京音楽学校を目指し作曲を学んだ時期があり、韻律論から楽曲解釈に至る鋭敏な知見があることを書き添えておく。

註)

  1. 早坂はこの時22歳、まだ札幌在住で教会オルガニストを務めていた。彼の日本主義については秋山邦晴『昭和の作曲家たち 太平洋戦争と音楽』(みすず書房)の(7)「日本的なるもの」の虚構の章中「早坂文雄の挑戦」p.479に詳しいがここでは立ち入らない。秋山は保田与重郎ら日本主義の周辺も丁寧に読み込んでおり、文壇と音楽領域における全体主義への動向が見渡せる。
  2. 『光の雅歌』西村朗+沼野雄司(春秋社)p.34.35
  3. 『光の雅歌』西村朗+沼野雄司(春秋社)p.56.57
  4. 作曲家西村氏に『氷島』についてお聞きしたところ、その自序には非常に感動したが、その後の文化論的論考については興味を持たなかった、朔太郎はあくまで「詩」であった、とのこと。
  5. 《詩論と感想》(1928)『萩原朔太郎全集 第7巻』「歌論・歌壇論争」筑摩書房p.392
  6. CD『まぼろしの薔薇』西村朗作品集ライナーノーツ「大手拓次三部作について」記載
  7. 『萩原朔太郎全集第7巻』p.405 (1935/『日本歌人』初出)
  8. 西村氏に『紫苑物語』への経緯について問うたところ(上演時プログラムには長木誠司氏の示唆とある)、確かに長木氏経由で石川淳は知らなかったが、一読、運命的なものを感じた、とのことだった。
  9. 『曲がった家を作るわけ』西村朗/春秋社p.237~238
  10. 《芭蕉について》『萩原朔太郎全集 第7巻』p.466
  11. これも西村氏に伺ったところ、人麿は梅原猛『水底の歌』(1972~73「すばる」連載の柿本人麿に関する評論、73年出版)を80年代に読み、そこから人麿、万葉集への関心が一気に強まった、とのこと。つまり、『恋愛名歌集』からは『式子内親王』が強烈であったようだ。
  12. トリル(トレモロ)効果はすでに『青猫』で述べたが、器楽では『瞑想のパドマ(1988/perc.6)に顕著だ。本作の2年前である。
  13. このフレーズは『紫苑物語』第1幕第4場のうつろ姫のアリア、第2幕第3場の四重唱でのうつろ姫の歌唱にも出てくる。このオペラにいずれ向き合うにあたり、一応指摘しておく。
  14. 『萩原朔太郎』ちくま日本文学全集p.361
  15. 『萩原朔太郎』ちくま日本文学全集p.366
  16. 『萩原朔太郎』ちくま日本文学全集p.358
  17. 「朔太郎独特の語り口が、思春期の私の心をとらえ、『恋愛名歌集』は、一見軟弱なタイトルに思えたにもかかわらず、私の愛読書となった。」『式子内親王の七つの歌』について(スコア記載)
  18. 『まぼろしの薔薇』(1984/混声合唱組曲)、『そよぐ幻影』(1985/混声合唱組曲)、同年『秘密の花』(女声合唱組曲)

参考資料)
◆CD
『式子内親王の七つの歌』:合唱団OMP 第8回定期演奏会/FONTEC FPCD1141
この作品中2曲を合唱団(OMP)がコンクール全国大会で歌った際、曲のあまりの難しさに、他の合唱団の脅威となり、コンクールに参加する喜びを奪う、との批判が出たという(『光の雅歌』西村朗&沼野雄司)。さもありなんの至難作である。
『祇園双紙』:『寂光哀歌』西村朗作品集2/ビクターエンタテインメント VICG-60147
『まぼろしの薔薇』西村朗作品集:日本合唱曲全集/ビクターエンタテインメント VICG-40199
http://www.billboard-japan.com/goods/detail/353507

◆楽譜
音楽の友:
 『そよぐ幻影』(大手拓次詩)
 『式子内親王の七つの歌』
全音:
 『祇園双紙』(吉井勇)
 『かつて信仰は地上にあった』『内部への月影』『輪廻』(萩原朔太郎)
 『蝶を夢む』(中原中也、大手拓次、萩原朔太郎)
カワイ:
 『まぼろしの薔薇』『秘密の花』『氷河の馬』(大手拓次)

◆Youtube
『まぼろしの薔薇』
 1. https://www.youtube.com/watch?v=2Lf1JuYBaiw
 2. https://www.youtube.com/watch?v=uaYlkHYYRo0
 3. https://www.youtube.com/watch?v=-iPQhGVWqQI
 4. https://www.youtube.com/watch?v=IqRTFbp63iM
 5. https://www.youtube.com/watch?v=myut2ga-xUo
『そよぐ幻影』
1.~5. https://www.youtube.com/watch?v=JxCAeHS7TYo&list=PLE54n-SJIUd86gNkjQWGFFXmtcCWyhbpT
『秘密の花』
 1. https://www.youtube.com/watch?v=WNPA0ie30J0
 2. https://www.youtube.com/watch?v=UJ4KkXyJ2vA
 3. https://www.youtube.com/watch?v=IWI2utLcco4
のみ
『蝶を夢む』
 1. https://www.youtube.com/watch?v=VAaMDvj74cM
 2.https://www.youtube.com/watch?v=KmZh_rV2n1Q
 3.https://www.youtube.com/watch?v=5KEFXBQ8pvE
『氷河の馬』
 https://www.youtube.com/watch?v=os4496Mll2A

◆書籍
『萩原朔太郎 ちくま日本文学全集』筑摩書房
『帰郷者』萩原朔太郎 中公文庫
『萩原朔太郎全集 第7巻』筑摩書房
『式子内親王伝 面影びとは法然』石丸晶子 朝日新聞社
『大手拓次詩集』原子朗編 岩波文庫
『新古今和歌集』佐々木信綱校訂 岩波文庫
『光の雅歌』西村朗&沼野雄司 春秋社
『曲がった家を作るわけ』西村朗 春秋社

『西村朗 考・覚書』 (1) (2) (3) (4) (5) (6)

 (2021/2/15)