Menu

ウィーン留学記|ゲーテの『ファウスト』――オペラ、演劇、イェリネクの二次戯曲|蒲知代|

ゲーテの『ファウスト』――オペラ、演劇、イェリネクの二次戯曲
Goethes Faust: Oper, Theaterstück und Jelineks Sekundärdrama

Text & Photos by蒲知代(Tomoyo Kaba)

私の日常から彩りが消えた。コンサート、オペラ、演劇。ウィーンで知り合った音楽関係の友人たちに影響されて、主に楽友協会に通った留学1年目。翌年以降はオペラとオペレッタが中心となり、だんだん演劇にシフトしていった。留学のタイムリミットが近づくにつれ、劇場に行く機会は減らさざるを得なかったが、まさかこんな形で今シーズンが終わってしまうとは……。オーストリアは3月中旬から6月末までの全ての公演の中止を決定した。劇場は死刑宣告を受けたに等しいが、インターネット上で過去の作品を無料で公開したり、アーティストたちが自宅から動画を配信したり、今できることを精一杯提供してくれている。外出制限で気持ちに余裕がなくなってきていた私の心に咲いた、一輪の花。劇場が閉鎖しても、舞台を語ることはやめられない。

*****

ゲーテ像

2019/20シーズンに、私は三つの劇場でファウスト作品を観た。ファウストと言えば、ドイツの文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749-1832)の戯曲『ファウスト』がもっとも有名だが、あらすじは以下のとおり。老いた学者ファウストが人生に絶望し、悪魔メフィストフェレスと契約して、死後の魂の自由と引き換えに若さを手に入れ、この世のあらゆる快楽を享受する旅に出る。原作は第一部(1808年)と第二部(1832年)に分かれ、第一部をもとに、フランスの作曲家シャルル・グノー(1818-1893)のオペラ『ファウスト』(1859年)が作曲された。このオペラのヒロインは美しい娘マルガレーテで、若返ったファウストに誘惑され子どもを身ごもり、原作と同様に、自分の子どもを殺した罪で投獄されるが、最後は天上で魂が救われる。

カンマーオーパー

昨年10月30日にカンマーオーパーで上演されたオペラ『ファウスト』は、オーストリアで人気の人形遣い、ニコラウス・ハビヤンによる演出で、チケットは早くから完売していた。カンマーオーパーは旧市街にある、アン・デア・ウィーン劇場系列の小さな劇場で、客席数は300以下。安い立ち見がないこともあり、高齢の常連客が多い印象だ。
舞台の端の机の上で、年老いたファウスト人形が突っ伏して眠っていた。そこに人形遣いの女性とファウスト役の男性歌手が登場し、最初は二人がかりで人形を動かし始めた。基本は両手の動きと口の動き。人形が良く出来ているのもあるが、表情豊かで複雑な動きをする。ファウスト役は歌いながらで大変だが、人形遣いがメフィストフェレス人形(唯一、人間と等身大のサイズ)のサポートに回った後も、人形の動きに不自然さがなく感心させられた。相当稽古したことだろう。歌と音楽が合わないように感じられる場面はあったものの、カンマーオーパー史上に残る意欲的な作品と言っても過言でない。
ちなみに人形のデザインはちょっとグロテスクで個人的には苦手だったが、「嬰児殺し」を扱うこの作品の雰囲気にはとても合っていた。特に印象に残ったのは、第5幕のヴァルプルギスの夜。血のように赤いスポットライトを浴びた、老人顔の赤子たちの人形が、一本縄の上でダンスする。バレエ音楽「フリネの踊り」に合わせて軽快に足を動かし、会場はとても盛り上がったが、やはり気味が悪かった。しかし醜悪なものを見ることも、時には必要かもしれない。

二番目に観たのが、ブルク劇場のゲーテ『ファウスト』(12月22日)。昨年9月から、ブルク劇場の総監督はミュンヘンのレジデンツ劇場の芸術総監督であった、マルティン・クシェイが務めているため、今シーズンはブルク劇場とレジデンツ劇場の俳優の一部がトレードされ、劇場の雰囲気がかなり変わったように思われる。私自身は今シーズン、ブルク劇場で『ファウスト』とハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン』(2月6日、カジノ・アム・シュヴァルツェンベルクプラッツ)の二作しか鑑賞していないので総括は出来ないが、どちらもかなり刺激的な公演――血まみれ、全裸、暴力的、だった。
もはやゲーテの『ファウスト』ではなかったので、あまり深入りはしたくないが、メフィストフェレスはファウストのセックス・カウンセラーという設定らしく、ファウストの目の前で妖艶な魔女と愛し合い始める。メフィストフェレス役を女性が演じていなかったら、見ていられない光景だっただろう。そのうえ、ファウストとマルガレーテが完全に裸で舞台に横たわる場面があり、別にそこまで体を張らせなくても、伝わるものは伝わるのではないかと疑問に思った(『ハムレットマシーン』では全裸の男性が仁王立ちで独白して、たしかに気迫に満ちてはいたが、見なくていいものを見せられた感は拭えない)。
しかしながら、メッセージ性の強い舞台ではあり、宗教と暴力性というテーマも描かれていた。イスラム過激派組織の兵士に似せた集団が銃を持って登場。メフィストフェレスが子どもの腰に爆弾を巻きつけて送り出すと、子どもが建物に入って大きな爆発音がした。その後、舞台が回転すると、血だらけで倒れている集団が現れ出る。作り物と分かってはいながらも、舞台上の兵士が本物のテロリストに見えてきて、背筋が凍る思いがした。

ライプツィヒのファウスト像

三番目は、2月28日にフォルクス劇場(フォルクス/マルガレーテン)でプルミエを迎えた『原ファウスト/女ファウスト・アンド・アウト(FaustIn and out)』だ。『女ファウスト・アンド・アウト』は、オーストリアの女流作家でノーベル文学賞受賞者のエルフリーデ・イェリネク(1946-)がゲーテの『原ファウスト』を受けて書いた戯曲(2012年)である。イェリネクは、ファウストの女である「ファウスティン」(昔のドイツ語で「ファウスト」の女性形で、ファウスト氏の奥さんを指す)、すなわちマルガレーテに何人かの史実上の女性――牢屋などに閉じ込められた女性を重ね合わせている。その代表がオーストリア人のエリーザベト・フリッツル(1966-)で、彼女は実の父親から24年間自宅に監禁され、性的虐待により7人の子どもを産まされた。また、当時10歳だったナターシャ・カンプッシュ(1988-)が男に誘拐されて8年間監禁されたオーストリア少女監禁事件も念頭に置かれている。
登場人物はたった4人だが、やたらと長い早口のモノローグに、何度置いてきぼりを食らったか分からない。賞味期限切れのプリンを、我が子のために勤務先のスーパーからくすねてクビになった女店員の話が、ゲーテのファウスト氏(特別出演)の口から語られた。失業問題、資本主義批判、フェミニズム。イェリネクの問題意識は多岐にわたるが、「そんな考え方は時代遅れ(out)よ!」という心の叫びが聞こえてきそうだった。
これが劇場閉鎖前、最後に観た舞台。全席自由だったので、私はあえて有名な劇評家の隣に座りに行った。
「ここ、空いてますか?」「どうぞ。」
笑顔で答えてくれたその老婦人はシュニッツラー研究者でもあり、憧れの人。またすぐに会えるだろうと思って、それ以上話さなかったのが悔やまれる。劇場が再開しなければ、彼女には会えない。でも、コロナが収まる頃にはもう、私はウィーンにいないだろう。

(2020/5/15)

———————-
蒲 知代(Tomoyo Kaba)
兵庫県神戸市出身。2012年、京都⼤学⽂学部卒業。2020年、京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。現在はウィーン⼤学博⼠課程に在籍中。専攻はドイツ語学ドイツ⽂学。主に、世紀末ウィーンの作家アルトゥル・シュニッツラーを研究している。