広島交響楽団 Music for Peace Concert|能登原由美
広島交響楽団 Music for Peace Concert
Hiroshima Symphony Orchestra Music for Peace Concert
2019年6月20日 広島文化学園HBGホール
2019/6/20 Hiroshima Bunka Gakuen HBG Hall
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
写真提供:広島交響楽団
<演奏者> →foreign language
指揮|クシシュトフ・ペンデレツキ
指揮|沖澤のどか*
ヴァイオリン独奏|庄司紗矢香
管弦楽|広島交響楽団
デンマーク国立交響楽団より客演
フォゴット奏者:ドーテ・ベニケ
首席ホルン奏者:ラッセ・マウリツェン
アシスタントコンダクター:マチェイ・トヴォレク
<曲目>(指揮者の変更とともに、当初の曲順を変更)
ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調*
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ペンデレツキ:平和のための前奏曲
ペンデレツキ:ヴァイオリン協奏曲第2番「メタモルフォーゼン」
(アンコール)
J. S. バッハ:無伴奏ソナタ第3番「ラルゴ」
ペンデレツキが広島で再び自作を指揮する―。そのニュースを知って「これは行かなければ」と咄嗟に思った。すでに80代後半に差し掛かっているはずの、その年齢を考えればこれが最後になるかもしれない。少なくとも広島での自作自演については…。
よく知られるように、ペンデレツキと広島との繋がりは非常に長い。1960年に作曲された《広島の犠牲者に捧げる哀歌》は、その前衛的な技法により彼の名前を一躍世界に轟かせた作品だ。もちろん、その創作と広島との関係についてはいわくつきではあるけれども、作品自体の運命は広島とともに育まれたと言っても良い。その点について、今さらここで語る必要もないだろう。いずれにしても、作曲者自身もその後来広し、この曲を指揮している。今からちょうど25年前のことだ。今では世界中の誰もが、「ヒロシマ」の音楽と聞いて真っ先に名前を挙げる作品にさえなっている。
その創作から半世紀を超えた。その間、彼は広島ばかりではなく、戦争や暴力の犠牲者、とりわけ祖国ポーランドが歩んだ苦難の道に思いを馳せ、幾度となく音楽で表現してきた。その歩みを考えれば、今回の広島での自作自演は彼にとっても大きな意味をもっていたことは容易に想像できる。
当初は全曲、ペンデレツキが指揮する予定だったが、体力的な問題から自作のみの指揮を希望。その結果、メインとなるベートーヴェンの交響曲は、昨年の東京国際音楽コンクール指揮部門で第1位となった沖澤のどかが代役を務めることに。それに伴い、演奏順序も変更。前半に交響曲、後半にペンデレツキ作品という内容になる。
では演奏順に述べよう。
沖澤によるベートーヴェンの第8交響曲。舞台上のキビキビした動きにすでに明らかなように、非常に溌剌とした演奏である。冒頭楽章などは振幅を大きく取るとともに、弾みをつけて推進力を重視。だが、さすがに緊張していたのだろう。硬さがなかなか取れない。また、全体の流れに気を取られるせいか、例えば低弦による対旋律の動きなど、音楽内部の対話や造形に備わる遊び心がほとんど姿を見せることなく消えていく。とはいえ、デビューから間もない上に世界的指揮者のピンチヒッターだ。大役を無事に果たしたことは間違いない。
休憩後にペンデレツキが舞台に姿を現わす。確かに、そのゆっくりとした足取りには年齢が感じられた。実は2013年の9月、私は研究の一環でポーランドに1週間ほど滞在していたが、ちょうど彼の生誕80年を記念する音楽会が目白押しで、ワルシャワと彼の故郷、クラクフで行われたいくつかの公演に足を運んだことがあった。その時はカーテンコールで姿を現すだけであったが、やはりそれから6年近い歳月の流れを思わずにはいられない。
まずは《平和のための前奏曲》。第二次世界大戦開戦から70年目となる2009年にクラクフで行われた「ワールド・オーケストラ・フォー・ピース」にて初演されたという。金管楽器と打楽器によるファンファーレ。協和音を中心としたコラール風の響きに加えて、タイトルの「平和」という文字も重なり、祈りにも似た思いに駆られるが、時折入り混じる不協和の響きがどこかザラザラとした感触を胸に残す。
最後にヴァイオリン協奏曲第2番。副題は、「メタモルフォーゼン」、すなわち「変容」。冒頭から激しく打ち鳴らされる同音反復のモチーフと、その直後に不気味な唸り声のように応答する半音進行のモチーフ、これら2つのモチーフの葛藤とせめぎ合いが全体(単一楽章)を通じて様々な要素を交えながら変容していく。その頂点となるのは独奏ヴァイオリンによる激しいカデンツァだ。そこに至るまでの、徐々に蓄積されていくエネルギーのなんと密度の濃いことか!
庄司の演奏は、以前と比べて随分と大きくなって来ているように思う。いや、音の形や幅といった表面上の大きさではない。彼女の内部から発せられる声の深遠さ、大きさである。その声をオーケストラも引き受けるべく、長いカデンツァの後の弦楽パートの入りではコンマス(佐久間聡一)が伸び上がって全身で合図を出した。残念ながら個々の出だしが一致することはなかったが、その身体の動きは確かに庄司の声を捉えるものであり、彼の動きを通してオーケストラの声を聞いた思いがした。
一方のペンデレツキ。その表面に現れたものとは裏腹に、音楽自体には加齢による翳りのようなものは感じられない。無論、前衛的な手法で世界に挑戦していた当時の尖鋭さは影を潜めている。が、むしろ外に向かっていた刃は内に向かって凝縮されていき、鈍い痛みが音楽の内部を走り抜けるかのようだ。耳を傾ければ傾けるほど、その痛みが激しく重いことに気づくのである。今日の演奏もまた、そのような痛みを感じるものであり、奏者の側もそれを受け止めていたことは間違いないだろう。
関連記事:カデンツァ|広島〜ペンデレツキ〜つくる・ゆく|丘山万里子
(2019/7/15)
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〈players〉
Krzysztof Penderecki (cond)
Nodoka Okisawa (cond)*
Sayaka Shoji (solo vn)
Hiroshima Symphony Orchestra
DR Symphony Orchestra, Denmark (guest members)
Dorte Bennike (fg)
Lasse Mauritzen (hr)
Maciej Tworek (assistant cond)
〈pieces〉
Beethoven: Symphony No. 8 in F major*
Penderecki: Prelude for Peace
Penderecki: Violin Concert No. 2 “Metamorphosen”
(encore)
J.S.Bach: Violin Sonata No. 3 in C Major “Largo”